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イスラエル:無知が傲慢を生み、傲慢が無知を加速する

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 筆者の乏しい経験に鑑みると、世界でイスラーム過激派の広報を最も熱心に閲覧しているのは、イスラーム過激派の活動家たちでも、彼らに教化される人々でもない。イスラーム過激派から見ると「敵方」に属する人々、イスラーム過激派から攻撃されると信じている社会や組織の構成員たちだ。なぜなら、「敵」の関心事や活動状況についての情報を集めたり、「敵」がどんな有害な活動をしているのか、「敵」がどんなことを考え何を感じているのか熟知したりしないと、いつ何時厄災に見舞われるか知れたもんじゃないからだ。となると、現在のイスラエル・アメリカ陣営と「抵抗の枢軸」陣営との紛争では、前者は後者の、後者は前者の広報や報道を、それこそ血眼になって観察しなくてはならない。実際、ヒズブッラー(ヒズボラ)の戦果発信では、被占領地(≒イスラエル)のどこで、何時に、どんな理由で空襲警報が発令されたのかを、被占領地(≒イスラエル)発の報道や警報発表状況をリアルタイムで観察し続けている。イラクでは、「イラクのイスラーム抵抗運動」を構成する諸派こそが、イスラエル発の報道や情報を熱心に観察すべき当事者となる。

 2024年10月9日、イスラエルのテレビ局が、その「イラクのイスラーム抵抗運動」諸派をちょっとどころか大騒ぎさせるとんでもない傑作(?)番組を発信した。筆者自身はイスラエルのテレビ番組を閲覧して理解できるほど賢くはないので、「イラクのイスラーム抵抗運動」諸派の広報とその解釈をあるがままに眺めるしかない。それでも、その番組の当該の場面が「ものすごいチョンボ」だという感触は十分伝わってくる。問題の(?)場面は、イスラエルの「チャンネル14」と呼ばれる放送局が、これまでのイスラエル軍による「抵抗の枢軸」陣営の幹部暗殺の「戦果」を称揚し、今後の暗殺「標的」について論じるものだ。「チャンネル14」、イスラエルの中では「右寄り」で、特に「親ネタニヤフ色」が強いことで内外に物議を醸す放送局だそうだ。「イラクのイスラーム抵抗運動」諸派を特に刺激した(らしい)のは、今後の暗殺「標的」として列挙されたのがイランの革命防衛隊、パレスチナのハマース(ハマス)、レバノンのヒズブッラー(ヒズボラ)、イエメンのアンサール・アッラー(蔑称:フーシー派など)とともに、よりによって(!)イラクのシーア派宗教界で最も支持者が多いと考えられているアリー・シースターニーの画像を表示したことだ。

出典:「イラクのイスラーム抵抗運動」の広報用アカウントより。右端の人物がシースターニー。
出典:「イラクのイスラーム抵抗運動」の広報用アカウントより。右端の人物がシースターニー。

 シースターニーは、アメリカがイラクを占領するずっと前からイラクにとどまらない12イマーム派のシーア派の信徒たちから最高権威とみなされ、敬称をつける場合は「師」が付される人物だ。同人は、シーア派の宗教学者の中では「静謐派」と呼ばれる傾向に属し、なるべく政治的指導についての意見を表明しないようにする法学者の代表格だ。これに対し、イラクのムクタダー・サドルやイランの革命体制を担う法学者たちは、同時代の政治の指導にも積極的に関与すべきとの「発言派」と呼ぶべき立場をとる。そのような人物だからこそ、占領当局からイラク人への権限移譲とその形態、「イスラーム国」に対抗する「人民動員隊」の編成について発信した見解は、それこそ破壊力抜群で、その影響は現在も強固だ。もっとも、シースターニーは現在の紛争について、「イスラエルによる侵害行為をみんなで止めよう」程度の見解しか発信しておらず、イスラエルによる暗殺のマトにかけられるにはちょっと迫力不足だ。しかも、シーア派の「宗教権威」は単一ではなく、複数いる有力な「宗教権威」が信徒たちの支持を競いつつ分立している。要するに、「イラクのイスラーム抵抗運動」や「人民動員隊」を構成する諸派の間でも、「宗教権威」として誰を範とするかについては団体ごとに異なるということだ。その上、「イラクのイスラーム抵抗運動」の諸派の相互の関係は、友達や仲間ではなく(暴力的抗争も含む)競争相手と認識すべきものだ。シースターニーは、「イラクのイスラーム抵抗運動」の最高責任者ではないし、抵抗運動諸派を政治・軍事的に統制する立場にもない。むしろ、シースターニーや同人を支持する政治勢力・民兵は、イラクにも戦禍を拡大させかねない「抵抗の枢軸」路線には消極的な存在だ。

 イスラエルの当局や報道機関が「敵方」をよく知ろうと努めているのならば、シースターニーの位置づけや12イマーム派のシーア派の指導者たちの関係や相違は容易に理解できるはずだ。それならば、同人を革命防衛隊、ハマース、ヒズブッラー、アンサール・アッラーの指揮官・指導者と同列に並べるのは「正しくない」のもやっぱり自明なことだ。イスラエルの当局や報道機関が、イラクでの暗殺「標的」としてもっと適切なマトを挙げることも、そんな難しいことではない。現在、イスラエルは革命防衛隊でも、ハマースでも、ヒズブッラーでも、幹部や重要人物をいつでもどこでも好きなだけ「除去」できる力を世に示し、紛争を一方的に展開している。そうした一方的な展開が、「イラクのシーア派の状況について知ったり考えたりしなくてもいい」という行動を招いたのならば、それこそ傲慢が無知を招いたというものだろう。逆に、「イラクのシーア派の状況は知らないし考えたこともない」という中で暗殺「標的」としてシースターニーを挙げたのならば、無知から来る傲慢と言っていい。ちなみに、アリー・シースターニーについては本邦をはじめとする各国が何とか接点を作ろうと努めているし、本邦の報道・研究・政策場裏でも「ものすごい」有名人だったので、まさか知らない人はいないだろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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