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パリ・サンジェルマンでネイマールは6人目のブラジル人10番。意外な第一号はあの元Jリーガー

下薗昌記記者/通訳者/ブラジルサッカー専門家
超豪華メンバーと共に日本ツアーを行うパリ・サンジェルマン(写真:つのだよしお/アフロ)

 パリ・サンジェルマンの日本ツアーが7月20日からスタートする。川崎フロンターレ戦を皮切りに、23日には浦和レッズ、25日にはガンバ大阪と対戦。メッシやムバッペらスター軍団が揃うパリ・サンジェルマンで栄光の背番号10をつけるのはブラジル代表のエース、ネイマールである。ブラジル人として10番を託されるのはネイマールが6人目。過去にはライーやロナウジーニョも背負った10番を最初につけたブラジル人は、Jリーグでプレー経験を持つMFだった。ブラジル人10番をめぐるクラブの歴史を紐解いてみる。

PSG史上最初のブラジル人10番は、名古屋グランパスでもプレー

 ブラジル人選手と結びつきが強いパリ・サンジェルマンだけに、ネイマールはクラブ史上31人目のブラジル人として加入した。そんなパリの名門で初めて背番号10をつけたブラジル人は、1997年から1998年まで名古屋グランパスでプレーしたヴァウドである。

 ワールドカップでは1986年のメキシコ大会と1990年のイタリア大会でメンバー入り。イタリア大会では主力としてプレーした実力者は、1991年から1995年までパリ・サンジェルマンでエースナンバーを背負い、リーグ優勝1回、3つのカップ戦優勝に貢献している。

 1994-95シーズンの欧州チャンピオンズリーグでチームをベスト4に導いたヴァウドだけにパリ・サンジェルマンがやはりベスト4に進んだ2020年8月には、準々決勝のアタランタ戦後にクラブの練習に足を運んでネイマールやマルキーニョスを激励していた。

クラブ史上最高のアイドルは、天才ソークラテスを兄に持つライー

 ヴァウドに次いで10番を託されたのはブラジル代表で1994年のワールドカップアメリカ大会で10番をつけたライー。ジーコとともに黄金のカルテットを形成した天才MFソークラテスを兄に持ち、1992年にはサンパウロFCをクラブ世界一に導き、クラブ史上最大のアイドルとみなされているライーだが、パリ・サンジェルマンでも「史上最高」の肩書きを得ている。

 クラブ創設50年となる2020年、クラブ歴代最高の選手に選出されたのがライー。25000票の投票は30%が元選手や監督、クラブ幹部、30%がジャーナリスト、40%がクラブのソシオによるものだったが、いずれの分野でもライーが1位を占めたという。

 この投票に基づいてパリ・サンジェルマンが発表したベストイレブンは以下の通り。

GK ベルナール・ラマ(フランス)

DFチアゴ・シウヴァ、リカルド・ゴメス、マルキーニョス(いずれもブラジル)

MFライー(ブラジル)、マルコ・ヴェッラッティ(イタリア)、ルイス・フェルナンデス(フランス)、サフェト・スシッチ(旧ユーゴスラビア)

FWズラタン・イブラヒモビッチ(スウェーデン)、ペドロ・パウレタ(ポルトガル)、ロナウジーニョ(ブラジル)

 ちなみにパリ・サンジェルマンは公式Twitterの中でこの豪華な顔ぶれを率いるキャプテンをライーとしている。

フランス代表でもプレーする可能性があったネネも輝き放つ

 ライーの成功がブラジル人クラッキ(名手)をパリ・サンジェルマンに招くことになったと言っても過言ではないが、3人目の10番はロナウジーニョ。しかし、その後は全員が成功した訳ではない。

 4人目はサンパウロFCでクラブワールドカップ制覇(レギュラーではなかったが)や2度のブラジル全国選手権優勝に貢献したソウザも2008年にパリ・サンジェルマンに移籍したが、活躍を見せきれず2009年途中にブラジルに出戻っている。

 5人目は2011-12シーズンにリーグ得点王にも輝いたネネ。その活躍は当時のフランス代表の指揮官、ローラン・ブランの目に留まり、フランス代表への帰化を誘われていたという。しかし、ネネは自国開催となる2014年ワールドカップのブラジル代表の夢を諦めきれず、フランス国籍を取得しなかった、とブラジルメディアに明かしている。

 6人目の10番となるネイマールまで、様々なブラジル人が活躍してきたパリ・サンジェルマンだが、鹿島アントラーズでもプレーしたレオナルドはスタイル的には10番を託されるべき存在だったが、背番号は7だった。

 過去、パリ・サンジェルマンでエースナンバーを背負ったクラッキのうち、ブラジル代表で世界一に輝いたのはライーとロナウジーニョの2人のみ。今年のカタール大会でブラジルを20年ぶりの世界一に導く可能性があるネイマールのプレーを日本ツアーで堪能したい。

記者/通訳者/ブラジルサッカー専門家

1971年、大阪市生まれ。大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)でポルトガル語を学ぶ。朝日新聞記者を経て、2002年にブラジルに移住し、永住権を取得。南米各国でワールドカップやコパ・リベルタドーレスなど700試合以上を取材。2005年からはガンバ大阪を追いつつ、ブラジルにも足を運ぶ。著書に「ジャポネス・ガランチードー日系ブラジル人、王国での闘い」(サッカー小僧新書)などがあり、「ラストピース』(KADAKAWA)は2015年のサッカー本大賞で大賞と読者賞。近著は「反骨心――ガンバ大阪の育成哲学――」(三栄書房)。日本テレビではコパ・リベルタドーレスの解説やクラブW杯の取材コーディネートも担当。

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