ドキッとした先週の地震、明日12月7日は東南海地震から77年
ドキッとした2つのM5クラスの地震
南海トラフ地震の震源域の周辺で2つのM5クラスの地震が12月3日に起きました。最初に6時37分ごろ、山梨県東部・富士五湖の深さ19キロでM4.8の地震が起き、大月市で震度5弱を観測しました。気象庁は、「1週間ほどは、震度5弱程度の地震に注意が必要」と呼びかけました。富士山の噴火との関係が気になるところですが、今のところ火山活動に直線つながる兆候はないとのことです。この地震に先立って、2時18分にM4.1、2時23分にM3.6の地震が続発しています。
9時28分ごろには、紀伊水道の深さ18キロでM5.4の地震が起き、和歌山県御坊市で震度5弱を観測しました。御坊市の市役所では一部の窓ガラスにひびが入ったようです。プレート境界よりやや浅い位置の地震で、気象庁は「南海トラフ地震の発生可能性が平常時より高まっているとは考えておりません」との見解を示しています。
これらは富士山噴火や南海トラフ地震に直接結びつくものではないとのことですが、何れも北西~南東方向に圧縮軸を持つ逆断層型の地震で、プレート運動に伴うことは否定できません。東日本大震災のときには、1か月前にM5クラスの地震の頻発し、ゆっくり滑りがあったことから、今後の様子を注視したいと思います。
戦時下に起きた東南海地震の概要
77年前の明日、1944年12月7日13時36分ごろに、東南海地震が起きました。南海トラフ沿いの震源域の東側の一部が破壊し、気象庁マグニチュードはM7.9でした。戦時下の地震だったため、新聞紙面では「天災に怯まず復旧 震源地点は遠州灘」と簡潔に記されただけで、被害の詳細は知らされませんでした。
戦時下のため被害資料は十分にありませんが、公表資料によると、死者は1,223人とされており、府県別では、愛知438人、三重406人、静岡295人、和歌山51人、岐阜16人、大阪14人、奈良3人と、愛知県、三重県、静岡県西部に被害が集中しました。
この地震では、名古屋の沖積低地に立地していた軍需工場が大きな被害を受け、三菱重工名古屋航空機製作所道徳工場や中島飛行機半田製作所山方工場が被害を受け、飛行機生産ができなくなりました。また、尾鷲市など太平洋に面した三重県南部での津波被害が大きく、静岡県の太田川や菊川流域では強い揺れによる家屋被害が顕著でした。
地震の翌週12月13日には、航空機エンジンを生産していた三菱重工業・名古屋発動機製作所の大幸工場(現在ナゴヤドームがある場所)が大規模空襲を受けました。さらにその1か月後の1月13日には、M6.8の三河地震が起きました。三河地震は、深溝断層などの活断層による誘発地震の一つで、2,306人の死者を出しました。
ちなみに、これらの地震の様子は、「恐怖のM8」(中日新聞社)、「紅の血は燃ゆる」(読売新聞社)、「隠された大震災」(東北大学出版会)などにまとめられています。
南海トラフ沿いでの巨大地震
東南海地震はM7.9(モーメントマグニチュードM8.2)と、従来の南海トラフの地震と比べ小ぶりで、潮岬沖から遠州灘にかけてのエリアが破壊しました。2年後の1946年12月21日には、紀伊半島の西側を震源域とする南海地震が発生しました。この2つの昭和の地震は約2年の時間差で起きましたが、安政東海地震と南海地震は1854年12月23日と24日に約30時間の時間差で起き、宝永地震は1707年10月28日にほぼ同時に地震が発生しました。昭和東南海地震の37日後には三河地震が、安政南海地震の2日後には豊予海峡地震、翌年には安政江戸地震が、宝永地震の49日後には富士山の宝永噴火が起きています。
東南海地震では、御前崎の東側に破壊が及ばなかったため、後日、東海地震(当初は駿河湾地震)説が唱えられ、直前予知を前提とした防災対策がとられることになりました。
ちなみに、安政東海地震の69年後に1923年大正関東地震が起き、その後、1925年北但馬地震、1927年北丹後地震、1930年北伊豆地震などが発生し、77年後の1931年には西埼玉地震と満州事変が起きました。今の時代も、東南海地震の67年後に2011年東日本大震災が起き、その後2016年熊本地震、2018年北海道胆振東部地震、2019年山形県沖地震などが発生しています。そんな中、今年2021年の12月にM5クラスの地震が南海トラフ沿いの震源域周辺で起きていることは、少し気がかりです。
南海トラフ地震臨時情報
南海トラフ沿いでの地震の発生の仕方は多様です。駿河トラフ沿いの震源域を除けば、1回もしくは2回の地震で震源域の全体が破壊してきました。東西に分かれて地震が起きる「半割れ」の場合には、その間隔は、ほぼ同時から2年程度です。ちなみに、2011年東日本大震災のときには、1か月前にゆっくり滑りが、2日前に前震が起きています。
南海トラフ地震について、国は、「確度の高い予測は困難」との見解を2017年に示しました。これにより、大規模地震対策特別措置法が前提にしていた直前予知に基づく緊急事態宣言は事実上凍結され、新たに、南海トラフ地震臨時情報が導入されました。
南海トラフ地震臨時情報は、南海トラフ沿いで異常な現象が観測され、大規模地震と関連するかどうかの調査を開始する場合と、調査結果を発表する場合に気象庁が発表します。
臨時情報には、「調査中」、「巨大地震警戒」、「巨大地震注意」、「調査終了」のキーワードが付されます。「調査中」は調査を開始したとき、「巨大地震警戒」は「半割れ」に相当すると評価したとき、「巨大地震注意」は「一部割れ」か「ゆっくりすべり」に相当すると評価したとき、「調査終了」は「巨大地震警戒」や「巨大地震注意」に当てはまらないときに発表されます。
「巨大地震警戒」が発表された場合には、後発地震の予想被災地では、自治体が事前避難対象地域の住民に1週間の事前避難を呼びかけます。事前避難対象地域は、揺れを感じたあとの避難では津波などの浸水から命を守ることが困難な地域です。その他の地域では、日ごろの地震対策を点検し、地震に注意しつつ普段通りの生活を継続することになります。
今だったら、どんな情報が発せられるか
明日12月7日、東南海地震が起きたのと同じ時間13時36分に地震が起きたらどうなるでしょうか。77年前には前震は確認されていませんが、当時は検知できなかったゆっくり滑りが観測され、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が発表されているかもしれません。
地震発生後、揺れが到達する前に緊急地震速報が発せられますから、危険回避の行動がとれます。緊急地震速報の高度利用者であれば、予想震度や到達時間も分かるので、より的確な行動をとることができます。車の運転中やエレベーターの中に居たら、ハザードランプの点灯や停止階ボタンを押すなど、安全行動をとります。
直後に、ガタガタと揺れ始め、強烈な強い揺れが長く続き、さらに、長い時間長周期で揺れ続けます。揺れが収まったと思うと、余震が続発し、揺れが続きます。最初の揺れの最中に、震度速報が発表され、次いで大津波警報が発せられます。さらに、長周期地震動階級、南海トラフ地震臨時情報(調査中)、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震警戒)が順次発表されます。
そのときの揺れや被害は?
私たちが経験する地震の揺れは、場所によって異なります。地表、地下、建物の中、高架橋上などで、揺れは全く違います。建物の中の揺れは、建物の高さや、居住階などで大きく異なります。エレベーターは地震時管制機能の有無・種別によって動作が異なり、閉じ込めも発生しそうです。鉄道の多くは緊急地震速報により揺れる前に緊急停止するはずです。一方、高架高速道路上の車は、強い横揺れで翻弄されるでしょう。
強い揺れに見舞われる場所では、耐震性が不足する建物や構造物が損壊し、各所で土砂崩れが発生します。軟弱な地盤では液状化が発生し、住家が傾き沈下します。海抜ゼロメートル地帯では、堤防が損壊すれば、即時に浸水が始まります。
道路は、沿道の建物や工作物の損壊物で塞がれ、液状化によりマンホールが浮上します。倒壊家屋などから出火しても、道路閉塞と消防力不足のため消火に手間取り、延焼が拡大します。
また、震源域から離れた東京や大阪では、長周期地震動によって超高層ビルが強く揺さぶられ、高層エレベーターを中心に閉じ込めも多数発生します。
77年前には、名古屋の西部・南部、四日市、衣浦港周辺、矢作川、豊川、太田川下流域などの軟弱地盤を中心に甚大な被害があり、四日市では東洋一の高さの煙突が折れました。当時は高層の建物はなく、住宅の多くは平屋で、集落の多くは比較的堅い地盤に立地していて、液状化する場所には人は住んでいませんでした。車は平面道路を走っており、高速道路や高速鉄道もありませんでした。このため、当時の人が経験した揺れは余り強くはなかったでしょう。このように、当時と今とでは、被害様相は全く異なると思われます。一方で、今は様々な情報を得ることができますから、それを有効活用することが大切です。
揺れに続く大津波
大津波警報は、最大クラスの南海トラフ地震が発生したと考え、太平洋岸の広域に発せられます。沿岸部の住民は、即座に高台や津波避難タワーなどの緊急避難場所に避難します。東南海地震の震源域は、東日本大震災の震源域よりも陸よりですから、津波は早く到達します。
77年前とは異なり、沿岸部には埋立地が広がり、発電所、製油所、ガス工場、化学プラント、製鉄所、下水処理施設など、重要インフラが多数立地しています。これらが大きな被害を受ければ、社会機能がマヒします。また、大規模港湾には、石油やLNG(液化天然ガス)などの危険物を運搬する大型船が停泊しています。津波避難ができず船が座礁すれば危険物が流出しますし、津波堆積物で航路が閉塞すれば、港湾機能を失います。
LNGや石油の備蓄には限りがあります。また、製造品、部品、原料、食料などの輸出入が長期にわたり停滞すれば経済的影響は甚大です。万一、エネルギーインフラや港湾機能が被災し自動車産業が長期間停止すれば、全国の部品工場に影響が波及します。日本を支える製造業の国際競争力が失われると、復旧・復興はさらに遅滞します。
東南海地震当時には、多くの人は田舎に住み、井戸や汲み取り便所、かまどを利用し、田畑も有していたので、地震後の生活困難は少なかっただろうと思います。あらゆることを他者に依存している現代社会、とくに大都市では、徹底的な事前対策が必要です。
コロナ禍での避難
今、東南海地震が起きたら、コロナの感染を気にしつつ避難する必要があります。ですが、感染を恐れていては、命を守れません。津波浸水予想地域などでは、命を守るために確実に避難する必要があります。
一方、安全な場所に住み、家が無被害であれば、避難所に行く必要はありません。地震後も自宅で過ごすことができるよう十分な備蓄をしておきたいと思います。まずは、自宅で住み続けられる耐震化、家具固定、食料・水の備蓄、災害用のトイレの準備などの事前対策が肝心です。太陽光発電や蓄電池、電気自動車などを備えておけば、停電しても生活を継続しやすいでしょう。万一、避難所に避難をする必要がある場合には、マスクや消毒薬などの感染対策をすると共に、避難所運営にも工夫が必要です。
臨時情報発表下の救援活動
東南海地震発生後の被災地支援は、これまでの災害とは異なりそうです。東南海地震の単独発生の場合には、西側の南海地震の震源域と駿河湾周辺の震源域は破壊していませんから、和歌山県以西や静岡県・神奈川県では後発地震に備える必要があり、救援力を期待できません。東南海地震で大きな被害を受ける愛知・三重・静岡の3県の人口は、東日本大震災で被災した岩手・宮城・福島の3倍です。被災者人口が多い一方で、支援は限られるので、救援、復旧、復興のため、被災地が自ら頑張らなくてはいけません。そんな中、三河地震のような誘発地震が1か月後に発生する可能性もあります。
実は、最低基準である日本の耐震基準は、1度の地震に対して人命を守る設計思想で、業務継続や2度以上の地震に対する人命保護を保証するものではありません。このため、人口集中地で誘発地震が発生すれば、深刻な被害が予想されます。何としても被害を減らす耐震対策を進めなければいけません。
77年間の社会変化
77年前と今とではずいぶん生活スタイルが変わりました。当時と比べて、人口は1.7倍に増え、都市への人口集中が進んでいます。このため、災害危険度の高い場所に背の高い建物が密集するようになりました。第1次産業が中心だった当時と異なり、都市に通勤する第3次産業中心の社会になりました。電気、ガス、通信、高速交通に依存する社会になっています。さらに、少子高齢化と核家族化で地域コミュニティの力も弱くなっています。行政への依頼心も強いようです。相互依存度の高い社会は脆弱です。自律・分散・協調型の社会を作るべく、自助、共助力をつけていきたいと思います。