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アカデミー賞「この人、誰?」なノミネート。聴覚障がいの両親の下、手話で育った経験が生きた遅咲き名優

斉藤博昭映画ジャーナリスト
『サウンド・オブ・メタル』でアカデミー賞助演男優賞ノミネートのポール・レイシー(写真:REX/アフロ)

アカデミー賞といえば、作品賞とともに、いや、作品賞以上に一般的に注目を集めるのが、演技部門。昨年はブラッド・ピットの受賞などで授賞式も盛り上がった。今年(2020年度)の第93回は、『ノマドランド』のフランシス・マクドーマンドが3度目の主演女優賞を獲るのか、昨年亡くなったチャドウィック・ボーズマンが主演男優賞で、死後の受賞者で3人目の俳優になるのか、はたまた助演女優賞のユン・ヨジョンが韓国人初のオスカー受賞者か……などが話題だが、演技部門ノミネート20人の顔ぶれを眺めたとき、失礼な言い方だが、圧倒的に知名度が低いのが、助演男優賞枠のポール・レイシーではないか。映画マニアでも、その名前を知ったのは、今回のノミネートだった人が多いはずだ。

新人俳優ではない。1987年に初めて映画に出演して以来、キャリアを続ける、現在、73歳の超ベテラン俳優である。

ポール・レイシーがノミネート作『サウンド・オブ・メタル 〜聞こえるということ〜』で演じた役は、聴覚を失ったミュージシャン(ドラマー)の主人公を受け入れる、支援コミュニティのリーダー、ジョーだ。ミュージシャンとして耳が聴こえなくなったことで自暴自棄になる主人公のルーベンに対し、時に温かく、時にシビアに今後の生き方を導く、まさに「助演」として評価されやすい役どころのジョー。コミュニティ内の多様なメンバーに接しつつ、手話も使って演技をする、技術的な難しさもある。

しかし、その手話こそ、ポール・レイシーにとって最大の武器であったことも事実だ。

『サウンド・オブ・メタル』のダリウス・マーダー監督は、ジョー役のキャスティングで、知名度のある俳優の候補者も挙がるなか、本物の手話を使える俳優を求めたという。それだけジョーの手話は、作品にとって重要なポイントになっている。

ルーベンに新たな生き方を教えるジョー役のポール・レイシー(左)。『サウンド・オブ・メタル 〜聞こえるということ〜』Amazon Prime Videoにて独占配信中
ルーベンに新たな生き方を教えるジョー役のポール・レイシー(左)。『サウンド・オブ・メタル 〜聞こえるということ〜』Amazon Prime Videoにて独占配信中

シカゴ出身のレイシーは、聴覚障がい者の両親の下で育てられたことで、物心ついた時から「話す言葉」より先に「手話」を覚えた。彼にとって最初の言語が、手話だったのだ。その後、ベトナム戦争への従軍も経験し、25年以上にもわたってロサンゼルスの裁判所で手話通訳の仕事もした。演技に関しても、シカゴに住んでいた時代から劇団を設立するなど精力的に活動し、「小さき神の、作りし子ら」を上演したりしている。そのレイシーの劇団で同作に出演したのが、マーリー・マトリン。「小さき神の〜」の映画化作品『愛は静けさの中に』で、彼女は映画初出演ながら、しかも当時、史上最年少の21歳で、1986年度のアカデミー賞主演女優賞を受賞することになる。

つまりポール・レイシーは、無名女優をオスカーに導いた仲間の一人であったのだ。

幼い頃に聴力のハンデを抱えたマーリー・マトリンは、授賞式で当然ながら、手話でスピーチを行い、多くの人を感動させた。

巡り巡って、では今年、ポール・レイシーがアカデミー賞を受賞する可能性はあるのか? それはちょっと難しいのが現状だ。前哨戦のいくつかの賞ではノミネートされていたレイシーだが、最もアカデミー賞と重なりやすい全米映画俳優組合賞(SAG)では、助演男優賞のノミネート5人の枠に入らなかった。つまりアカデミー賞ではノミネートに「滑り込んだ」という位置にいる。とはいえ、Hollywood Reporterの最新の予想記事では、助演男優賞の3番手につけており、しかもなぜか記事はレイシーの写真をメインにしている。やや「追い上げ」の状況ではあるのだ。

聴覚障がい者の両親をもつポール・レイシーで思い出すのは、やはりアカデミー賞授賞式の名場面だ。

1975年度の第48回アカデミー賞。『カッコーの巣の上で』で冷徹な看護婦を演じたルイーズ・フレッチャーが、主演女優賞を受賞した。その際のスピーチで彼女は「受賞できたのは、皆さんが私を憎んでくれたから」とユーモアを交えながら、最後の最後に、聴覚障がいの両親に向けて手話で語りかけた。

お父さん、お母さん、あなたたちは私に夢をもつことの大切さを教えてくれました。そして今、その夢がかないました

と涙をこらえながらの彼女の手話スピーチは、アカデミー賞の長い歴史の中でも最も感動的瞬間のひとつとして語り継がれている。

その後、ジェーン・フォンダも『帰郷』で主演女優賞を受賞した際(1978年度)にスピーチの一部で手話を使っている。

今回、もしポール・レイシーが受賞したら、同じような瞬間が目撃できるかもしれない。繰り返すが、可能性は低いのだが……。

ポール・レイシーは、俳優以外でもミュージシャンとして活動しており、ブラック・サバス的なロックバンドのヴォーカルで、手話も使ったステージパフォーマンスを行なっている。『サウンド・オブ・メタル』では、主人公のルーベンが、聴力を失うのと同時に、ドラッグの中毒とも闘う姿が描かれるが、このあたりも、長年、聴覚障がいや手話のコミュニティで活動してきたレイシーの経験が生かされているという。劇中では、そんなレイシーの経験と役が一体化するシーンも用意されており、オスカーは獲らなかったとしても、今回のノミネートによってその演技は多くの人に記憶されることになるだろう。

第93回アカデミー賞授賞式は4月25日(日本時間26日)に開催される。

いかにもメタルロックのミュージシャンっぽい、素顔のポール・レイシー。
いかにもメタルロックのミュージシャンっぽい、素顔のポール・レイシー。写真:REX/アフロ

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、スクリーン、キネマ旬報、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。連絡先 irishgreenday@gmail.com

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