「派遣村」から10年 その背景と、現在も続く問題への対処法を考える
「派遣村」からちょうど10年が経つ。ちょうど10年前、2008年の年末から2009年の年始にかけて日本社会を揺るがし、民主党への政権交代にまで影響したのが「派遣村」の事件であった。
「派遣村」は、直接的には2008年9月に起きたリーマンショックの影響で、仕事と住居を失った大勢の人々が、同年年末に日比谷公園に集まり、共に暖を取り、生存の保障を求めた社会運動だ。
今ではこの事件について知らない人も多いことと思う。そこで今回は、10年前の「派遣村」の背景を回想しながら、現在も続く非正規・住居問題について考えていきたい。
そして、「派遣切り」や解雇に伴う寮からの「追い出し」に対し、実は法律上の権利が行使できるということ(あまり知られていないだろう)についても解説していく。
「派遣村」とは何か
先ほども述べたように、派遣村は主として製造業に従事していた非正規労働者がリーマンショックで一斉に失業したことに端を発している。派遣労働者の一斉解雇は当時「派遣切り」と呼ばれ、大きな社会問題となっていた。
厚生労働省は2008年11月末の時点で「3万人」、2009年2月には「15万5000人」が失職すると公表した(この数さえも、実数よりはだいぶ少ないと思われる)。
失業者数の数だけでもすさまじいものがあるが、問題をより深刻にしたのは、失職する製造業労働者の多くが派遣会社やメーカーの「寮」で生活していたということだ。
つまり、15万5000人の内のかなりの割合が、失業と同時に「住居喪失状態」に陥ると考えられたのである。
「派遣村」は「予測」されていた大量失業と住居喪失に対応すべく、労働組合と貧困者支援団体などが主催した。「派遣村」には日本全体から社会的な支持が集まり、多数のボランティアや支援物資が集まり、大きな注目を集めることになった。
集まった労働者は505人であったのに対し、ボランティアは(不正確な数字ではあるが)のべ1680人に上るといわれている。また、現金に加え、コメなどの食料が全国から大量に寄付された。
「派遣村」が日比谷公園に設置されたのは、労働問題に対応すべき厚生労働省の目の前にあったからである。不安定な派遣労働を広げ、彼らのセーフティーネットも不十分な実情を「可視化」することが、派遣村のもう一つの狙いだった。
実際に「派遣村」が開設されると、2008年の年末年始はそのニュース一色となった。厚生労働省の官僚はもとより、全国の人々に、非正規雇用労働のあまりにも不安定な実情や、住居喪失のリスクが伝えられることになったのである。
そしてそれは、結果的に2009年秋の民主党への政権交代(当時のスローガンは「国民の生活が第一」だった)へのきっかけとなっていった。
「派遣村」の背景
では、「派遣村」はどのようにして引き起こされたのだろうか。
「派遣村」が設置された日比谷公園に集まったのは、製造工場で派遣や有期雇用で働く人たちだった。製造業の非正社員は、故郷を離れ、単身工場に赴任し、会社の借り上げ寮に入居することが多い。
当時、200万人もの製造業派遣(請負)労働者がいたといわれており、その半数ほどが、寮に入っていたとみられている。ところが、「派遣切り」と同時に、かれらのほとんどが寮から追い出されてしまったのである。
製造業の大手派遣会社が2006年11月に実施した「全社一斉アンケート」によると、総回答数27,290人のうち、寮で生活している労働者の割合は55%に及んでいる。
また、筆者が関与し、2008年に主として工場前で無作為に調査を行ったアンケート調査でも、159名の内100名が寮に入居していると回答している。
製造業派遣労働者の多くは沖縄や北海道、東北地方などの遠方から東京、大阪、名古屋などの工業地帯に派遣されている。問題は、なぜ彼らは不安定な社員寮に入ってまで、遠方に移動しているのかということだ。
私が当時およそ20人を対象に詳細に聞き取りを行った中では、派遣労働で就労した動機について、ほぼ全員が「自立したいから」だと回答していた。
彼らの年齢は20代から40代であり、過去に「正社員」の仕事を経験していたが、リストラなどで職を失った人たちが多かった。しかし、地方で職を探していても「自立」できるだけの仕事がなかなかみつからない。
そこで、親元に身を寄せながら、パートやアルバイトの生活をしているが、何とか「自立」をしたいと思う。そんな時に、「寮付き」の労働が目に飛び込んでくるのである。
当時の求人誌には、「寮完備」、「月給25万円以上可」「正社員登用あり」などという言葉が並んでいた。
自分自身が「自立」して生活し、親元に残してきた子供にわずかな仕送りができる。まじめに働いていれば、いずれは正社員にもなれるに違いない。
こんな思いで100万人以上もの人たちが働いていた。しかし、冒頭で述べたように、2008年の年末、状況は一変してしまった。派遣労働の不安定さが猛威を振るい、かれらのほとんどが「使い捨て」のごとく解雇されてしまったのである。
たとえば、ある大手電子メーカーでは、派遣労働者の解雇通知は寮のポストに「はがき一枚」で告げられた。また、別の大手メーカーでは、地域の体育館に労働者が集められ、一斉に解雇が告げられた。
実際に、先ほどの3万人失職という「予測」についで、厚労省がその後に発表した「結果」の内容はすさまじいものだ。
2008年11月以降2009年2月18日時点まで、派遣労働者約2万1千人の雇用状況を調査した結果、「雇用が継続」に該当するのは登録型が5.8%にすぎず、派遣会社の正社員である常用型であっても21.0%に過ぎなかったのだ。
そして、退寮の期限の多くは年末に設定された。2008年12月31日までに全員が退去するように求めた自動車メーカーもあった。こうしたことが日本全国で発生したのが、今から10年前、2008年の年末だったのである。
今も続く非正規雇用の住居問題
「仕事を解雇や雇止めになってしまい、会社の社宅や寮から立ち退きを求められている」。
こんな事態になって困っている労働者は、派遣村から10年が経った現在でも非常に多い。
典型的な相談事例を紹介しよう。
30歳男性は、自動車製造の派遣社員として登録する際、残業がないと言われていた。しかし、実際には毎日2時間の残業があり、仕事自体がきつい労働であること、さらに本人の体力的な問題もあり、仕事中に血尿が出た。派遣先が見かねて派遣会社に連絡し、派遣会社を解雇されると同時に、会社寮を追い出されることになってしまった。預貯金もないため、生活保護の申請を考えている。
派遣社員の57歳男性は、免許を所持していないにも関わらず、派遣先から工場でのクレーン作業を行うよう命じられた。本人はもともと断っていたが、会社の説得に応じて作業に従事することになった。しかし、クレーン作業で同僚にケガを追わせてしまい、本人も責任を感じて精神的に参ってしまったため、仕事を辞めた。同時に住んでいた社宅を追い出され、ホームレスになってしまった。
さらに、非正規雇用だけでなく正社員からも、突然会社から解雇を言い渡されてしまい、社宅や寮から出て行けと言われたという相談がしばしば寄せられる。立ち退きまでの期限が1、2週間しか与えられないケースも多いのが実情だ。
急に社宅や寮から出てくよう言われても、出ていかなくてよい
寒さが厳しくなる冬に仕事を失い、住む場所もなくなり、野宿をせざるを得ない状態になれば、命の危険すらある。また敷金・礼金、引っ越し費用などの初期費用などの新しい居所に入居する多額な費用を賄うのは大変だ。
仕事も居所も見つけられたとして、新しい仕事で初任給が出るのは1か月以上後。それまでの生活費を賄うためにカードローンで借金を重ねてしまう場合もある。
いうまでもなく、寮からの追い出しにあえば、生活そのものが成り立たなくなってしまう。
それでも、「寮を出てほしいと言われたときは、出るしかない」。
そう思い込んでしまって諦めてはいないだろうか?
実は、解雇や雇止めにあったとしても、法律上は社宅も寮もすぐには出ていく必要がないことがほとんどだ。また場合によっては、これまで通りずっと住み続けることができることもある。
実際に10年前の派遣村の前段でも、リーマンショック直後から解雇になり、寮からの大量を求められた期間工や派遣社員が労働組合に加盟し、会社と団体交渉を行い、次の居所が見つかるまでの間、部屋を確保したり、新居への引っ越しにかかる費用を補填させたりしていた。
一般的にはあまり知られていないが、法律をうまく使うことで社宅や会社寮であっても「居住権」を主張することができるのである。
法的な取り扱いはパターンによって違うので、それぞれみていこう 。
(1)社宅や寮の家賃を一般の賃貸住宅と同じ程度給料から支払っている場合
この場合、一般の賃貸契約と同様であると考えられる。そうなると、「借地借家法」という法律が適用される。この法律は、賃貸人に比べて、弱い立場にある借家人や借地人を保護するために作られた法律だ。
借地借家法では、正当な理由がなければ賃貸借契約を一方的に解除することはできず、正当な理由がある場合でも立ち退きの6か月前までにそのことを通告するように定めている。
それは、借家人が急に家を失えば、路頭に迷う可能性があるからだ。
つまり、仮に立ち退きを求める正当な理由があっても、仕事を失ってから6か月までは同じ住居に住み続ける権利があるのだ。
会社によっては就業規則等で「雇用関係の終了と同時に寮を退去すること」などと定められている場合もあるだろう。
しかし借地借家法が適用となる場合であればこの法律が優先される。つまり、社内規則は法律によって無効になり、やはり6か月の猶予を権利として主張することが可能だ。
ただし、実際問題、解雇や雇止めなど雇用関係の終了が、退去を求める「正当な理由」だと認められやすいことは否定できない。
しかし借地借家法が適用される限り、仕事を切られた後も家賃を支払い続ける限り、住み続けることができる可能性も(争って認められるハードルは非常に高いが)ある 。
半年の間に再就職先を見つけ、給与所得を得ることができるようになってから新しい物件に転居するのも良いだろう。
(2)社宅や寮の家賃が一般の家賃よりもかなり安いか、無料の場合
この場合は、残念ながら借地借家法は適用されない。会社に社宅に関する規則が定められていればそれが居住者にとって著しく不利ではない限りそれによるとされている。
しかしだからと言って「1か月後に出て行け」というのではあまりにひどい。短期間で別の良い住居を見つけることは中々難しいからだ。そこで裁判の判例は、家賃が無料の場合は明け渡しまでに60日間、少額の家賃を支払っている場合は最大で6か月間程度の猶予を設けるべきであるとの基準を示している。
もちろん、どの程度の期間猶予が認められるかは争ってみなければ分からないが、いきなり部屋を失うよりははるかにましになるだろう。
以上のように、法律や裁判の判例は住むところを失うというきわめて重大な事態に対して、かなりの猶予を求めているのである。こうした法的な権利を使わない手はない。
ごく短期間で急いで新しい仕事を探すとなると非常に大変だし、焦って労働条件が良くないブラック企業や、不安定な有期雇用の仕事に入ってしまう可能性が高くなる。
また同様に焦って新しい家を探せば、敷金・礼金がかからない代わりに数日の家賃滞納ですぐに退去を迫られるゼロゼロ物件など不安定な住居しか選択肢がない場合もある。権利を使わなければこうしたリスクにもさらされることになるのだ。
もちろん法的な権利を実際に行使するためには、会社との法的な交渉が必要になってくる。交渉は大変に思えるかもしれないが、権利を行使しない場合のリスクを考えると、むしろ争ってみた方が生活の活路が開ける可能性が大きい。
当然、一人で交渉する必要はない。労働組合や弁護士は、このような権利を現実のものにするサポートをすることができる。
(3)解雇や雇止めが不当なら、そもそも立ち退かなくてよい
これまで述べてきたのは、解雇や派遣の雇止めが法的に有効だった場合の話だ。解雇じたいが違法だということになれば、雇用関係は継続しているのだから、そもそも社宅や寮から出ていく必要はない。
そして、一般的に考えられている以上に解雇が適法となるハードルは高い。つまり、退寮する前に解雇自体の適法性を争うことも有効な手段になり得るのだ。
まずは専門家に相談することが重要
以上の通り、「一週間後に寮から出てくれ」などと会社から言われてもすぐに出ていく必要はない。争いさえすれば、生活基盤を守ることも可能なのだ。だから、まずはすぐに寮を出ていかず、落ち着いて専門家に相談してほしい。
多くの会社では寮の問題だけでなく、未払い賃金や長時間労働、不当解雇などの労働問題があることがおおい。労働組合や弁護士に相談すれば、住居の問題だけでなく、そうした労働問題もセットで解決することができる。
すでに述べたように、2008年の「派遣村」の最中にも、全国の労働組合(ユニオン)に駆け込んで会社と交渉し、退寮期限を大幅に伸ばすことに、数多くのケースで成功している。
私が代表を務めるNPO法人POSSEに加え、全国のユニオンが現在も居住権の行使を支援する活動を行なっている。困った際にはぜひご相談いただきたいと思う。
無料相談窓口
03-6699-9359
soudan@npoposse.jp
*筆者が代表を務めるNPO法人。訓練を受けたスタッフが法律や専門機関の「使い方」をサポートします。
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*個別の労働事件に対応している労働組合。労働組合法上の権利を用いることで紛争解決に当たっています。
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*仙台圏の労働問題に取り組んでいる個人加盟労働組合です。
03-3288-0112
*「労働側」の専門的弁護士の団体です。
022-263-3191
*仙台圏で活動する「労働側」の専門的弁護士の団体です。