Yahoo!ニュース

武力紛争が頻発するアフリカ・サヘル地域 拉致を生き延びた牧畜民男性が語る

舟越美夏ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表
ニジェールの首都ニアメーで、日陰で笑い合う少年たち=9月末、筆者撮影

 夕日に染まるニジェール川を、小舟がゆったりと横切る。道端で男たちが茶を飲みながらお喋りにふけり、女たちは連れ立って散歩を楽み、行き交う人々は互いに短い挨拶を交わす。街に兵士や警察官の姿はない。今年9月末。西アフリカ・ニジェールの首都ニアメーは緩やかな時間に包まれていた。


 昨年7月下旬、軍事クーデターが起きた直後は、街は違う姿を見せた。数千人の市民が街に繰り出し、旧宗主国フランスへの抗議の声を上げ、一部が暴徒化しフランス大使館を襲撃した。「フランスが天然資源を搾取し続け、ニジェールを最貧国におとしめた」。怒る市民の中には、ロシア国旗やプーチン支持のプラカードを掲げる者もいた。

Google Map より筆者作成
Google Map より筆者作成

 先にクーデターが起きた隣国のブルキナファソやマリと同じく、ニジェールの軍事政権はフランスに撤退を求め、ロシアと軍事協力強化で合意。今年4月には、米軍も撤退させた。ニジェールと同盟関係にあると考えていた西側諸国には、衝撃だったに違いない。サハラ砂漠やその南部の半乾燥地域「サヘル」で活発に活動する国際テロ組織「アルカイダ」やイスラム過激派組織「IS」の関連組織を掃討する拠点として、またウランや金など天然資源の調達地として、ニジェールは重要な国だったからだ。

 「武装勢力を抑えるためには、外国の軍事支援が必要なんだ」。40代半ばの地元男性は、軍事政権の意図を代弁する。「頼りになるのはロシアとトルコ、それに資源開発の技術を持つ中国だと思う」

 しかしロシアが支援していたシリアのアサド政権崩壊で、サヘル地域各国のロシア依存が今後どうなるかは分からない。

ニアメー郊外で、薪を運ぶ牧畜民の女性と子どもたち=9月末、筆者撮影
ニアメー郊外で、薪を運ぶ牧畜民の女性と子どもたち=9月末、筆者撮影

 
 国連は、サヘル地域各国(ニジェール、マリ、ブルキナファソ、モーリタニア、セネガル、ナイジェリア、カメルーン、チャドなど)が直面する人道危機は「世界で最も急速に拡大しているもののひとつ」だが「最も忘れられている」ものでもあると指摘している。武装勢力と戦闘、気候変動による干ばつや豪雨。人身売買ネットワークや薬物密売組織も暗躍している。国内避難民は(IDP)は312万人に上った。

 

 セネガルのファイ大統領は9月下旬、国連総会での演説で、サヘル地域で外国勢力を巻き込んだ武力紛争が頻発していることに危機感を表明し「アフリカの平和と安定は世界の平和と不可分だ」と訴えた。だが、危機は国際的な注目を集めていない。


「俺たちはジハーディストだ」

 サヘル地域では、武装勢力にリクルートされる若者は少なくない。その背景は複雑だ。「社会の不公平感、疎外感」のほか、部族対立や腐敗した政府軍への反発など、一筋縄ではいかない。

 武装勢力に拉致され、4カ月の拘束の末に自力で脱出した60代前半のニジェール人男性、アジズ(仮名)の話を聞く機会があった。時には、震えながら語られる彼の経験から、サヘル地域の人々が向き合っている危機の一環と、武装勢力に参加している者の顔が垣間見える。


 アジズは、ニジェール西方の隣国マリとブルキナファソの国境が交わる地点近くにある村の出身。約250世帯の村人の大半は牧畜民で、アジズの一族は、父の代から村のリーダー格だった。長兄は村長を務め、彼が留守の時は次兄やアジズが村長代行を務めた。村には小学校があるが、アジズ自身は、マドラサ(イスラム教を教える学校)で読み書きを学んだ。

 

 4年ほど前のある日の日没後のことだ。黒い布で顔を覆った30人ほどの男たちが、黒旗をなびかせながらバイクを連ねて村にやって来た。村人の多くが、モスクに集まり礼拝をしている時だった。

 「俺たちはジハーディスト(聖戦主義者)だ」。男たちは、村人を集め宣言した。 「お前たちのイスラムは間違っている。正しい礼拝の仕方を教えてやる」。

 村人は、マリ国境付近を拠点にしている武装勢力の男たちのことを噂に聞いていた。武装勢力は最初は、イスラムを説き、若者たちに金銭をやるなどして親しげに振る舞うー。そんなことも知られていた。

 「我々は礼拝の仕方を知っている。あなた方の礼拝は、我々には良いものではない」

 アジズたちは男たちの申し出を受け入れなかった。「あなた方は、我々に何を求めているんだ?」

 

 アジズの問いに答える代わりに、男たちは村の若者たちに呼びかけた。

 「若者よ、我々と行動を共にしないか」

  反応する者は、この時はいなかった。武装勢力に参加した後、軍や警察に捕まれば、大変なことになるのだ。

 男たちは翌朝、村から去っていった。政府や軍の関係の出張所があるかどうかなど、村の様子を確認しに来たのではないかー。アジズは兄たちとそう語り合った。


 男たちは、その後、頻繁に村に来るようになった。「税金」としてどの家からも家畜を供出させ、「間違ったイスラムを教えている」と学校に放火した。商店も焼かれ、店内にあった現金も灰になった。

 「人間の心を持った者がなぜ、こんなことをするのか」。アジズは訴えた。

 「我々に参加する若い奴らがほしい」と男たちは答えた。

 ある日、村の22歳の若者が武装勢力に加わった。勉強をするためにマリに行ったことがある男だった。武装勢力に情報提供をする者も出てきた。村に誰が来て、誰が出て行ったかなど人々の動きを監視し、軍や警察への通報者がいないかどうかを警戒していた。

22回の鞭打ち

アジズの背中には鞭打ちによる傷跡が残る=9月末、筆者撮影
アジズの背中には鞭打ちによる傷跡が残る=9月末、筆者撮影

 1年ほどが経過し、雨季が終わった頃の深夜。アジズが自宅で礼拝をしていた時、「アッサラーム・アレイクム」と扉を叩く者がいた。

 「祈りの時間だ」。アジズが扉に向かって言うと、武装した男が押し入ってきた。

 「立て」とアジズに命じ、彼の携帯電話を取り上げ、外に連れ出そうとした。

  アジズは近くにいた妻に告げた。「泣かないでほしい。泣けば奴らはお前を殺すかもしれない」。

 

 外に出ると、3人の男に囲まれた。村長の長兄も連れてこられた。

 「殺したいのなら、ここで殺せ」。そう言うアジズに、男たちは「殺しはしない」と答え、彼と長兄の手を縛り目隠しをして、バイクの後部座席に座らせた。

 バイクが村を出て数キロ走ったところで、大勢の男たちと合流した。リーダーらしき男の指示で半数はマリへ、半数はブルキナファソに向かった。

 アジズと兄が連れて行かれたのは、ブルキナファソの国境を越えた所にある基地だった。

 夜が明けると、兄がどこかに連れて行かれ、その後にアジズが引き立てられた。目隠しが取られると、周囲に3、400人ほどの男たちがいるのが見えた。

 「この中に、知っている者はいるか」。リーダー格らしい男が言った。

  男たちの中には、同じ村や隣村の男たちの顔があった。この者たちは知っている、とアジズは答えた。

 「なぜ、ここに連れてこられたか分かるか」

 リーダー格の男がまた聞いた。

 「分からない」

 アジズはそう言ったものの、思い当たる節があった。「息子を参加させろ」という男たちの要求をつっぱねたことがあったのだ。アジズの息子が参加すれば、他の若者たちも参加するのでは、と男たちは考えたようだった。「いつか痛い目を見るぞ」と、男の一人がその時に言ったのだ。

 しかし、リーダー格はそのことには触れず「政府軍が、俺たちの仲間を殺害した報復に、お前たちを拉致したのだ」と言った。村の代表格である兄とアジズを政府関係者とみなし「報復した」というのだ。

 「君たちも、私たちも人間だ。なぜこんなことをするのか」とアジズは訴えた。「殺したいなら殺せ」

 お前は何歳か、とリーダー格が聞いた。アジズは当時、60歳手前だった。

 「そうか。お前のような人間を殺すのは簡単だ。これまでにも、たくさん殺してきた。お前を殺しはしないが、罰を与える」

 アジズは、両手を木の枝に縛られ、数百人の男たちの前で22回の鞭打ちを背中に受けた。傷跡は今も背中に残っている。


 アジズたちは、低木の茂みに鎖でつながれた。米と豆が日に3度、食事として与えられ、夜には蚊帳の中で眠った。男たちはしばしば暴力を振るい、アジズは殴られて前歯を折られたこともあった。雨季が終わり水が不足すると、一団は井戸がある場所へ移動した。政府軍が空爆を仕掛けた時には、アジズたちを引き立てて隣国マリへ移動した。


涙を流す男たち

 男たちは、アジズたちも話すフラニ語で会話をしていたが、出身国はさまざまでトーゴ人もいた。感情の起伏が激しく、残虐になったり、アジズの前で自分の行為を悔いて泣いたりした。中には、親を殺した者もおり、自分が犯した残虐な行為を悔いる者も少なくなかった。

 「やりたくなかったのに、リーダーに強制された」。アジズを殴った男でさえ、「後悔している」と涙を流した。

 「彼らは違法薬物を使っていたのではないか」とアジズは推測する。アジズの見張り役の一人だった12歳ぐらいの少年はある日、持っていた銃で自殺した。

 アジズは、心身共に限界にあった。コーランの一節を心の中で唱え、「どうか脱出の機会をください」と神に祈り続けた。

 そのチャンスは来た。ある晩、見張りが眠りこけている間に、アジズはそっと抜け出したのだ。健康状態は極めて悪く足が覚束なかったが、牧畜をしていたアジズには、国境地帯は見知らぬ地域ではなかった。牧畜民は「草原では迷わない」という。

 金鉱で知られた町に辿り着くと、保健所を見つけ、助けを求めた。拉致されてから4カ月余りが経っていた。

 首都ニアメーの「反テロ対策センター」に車で送られ、詳しい事情を聞かれた。住んでいた村はほぼ無人になっていることが分かったが、別の村に避難していた妻子と連絡がつき、首都に呼び寄せた。「護身用の銃を提供する」というセンターの申し出を断り、ニアメーの小さな部屋に隠れるように住んでいる。政府が支給したのは4千円相当の現金とカーペット2枚だけ。牧畜民の誇りである家畜を買う資金はない。

 「社会がこんなに変わるとは思わなかった。すべてを失ってしまった」。兄がどうなったかは分からない。アジズは、先が見えない貧困の中、今もトラウマに苦しみながら暮らしている。

(了)

【この記事は、Yahoo!ニュース エキスパート オーサーが企画・執筆し、編集部

のサポートを受けて公開されたものです。文責はオーサーにあります】



ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表

元共同通信社記者。2000年代にプノンペン、ハノイ、マニラの各支局長を歴任し、その期間に西はアフガニスタン、東は米領グアムまでの各地で戦争、災害、枯葉剤問題、性的マイノリティーなどを取材。東京本社帰任後、ロシア、アフリカ、欧米に取材範囲を広げ、チェルノブイリ、エボラ出血熱、女性問題なども取材。著書「人はなぜ人を殺したのか ポル・ポト派語る」(毎日新聞社)、「愛を知ったのは処刑に駆り立てられる日々の後だった」(河出書房新社)、トルコ南東部クルド人虐殺「その虐殺は皆で見なかったことにした」(同)。朝日新聞withPlanetに参加中https://www.asahi.com/withplanet/

舟越美夏の最近の記事