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レジェンド橋元インドに立つ

岩佐大輝起業家/サーファー

■レジェンド橋元、インドに立つ。

GRA創業者の橋元忠嗣(66)と橋元洋平(36)がインドに降り立った。この景色を3年前に誰が想像しただろうか。3.11で家族をそしてイチゴ畑を失った2人がJAPANテクノロジーを駆使したイチゴハウスを背にインドの大地を踏みしめている。

インド人スタッフに人気の橋元忠嗣
インド人スタッフに人気の橋元忠嗣

橋元忠嗣(66)は東日本大震災で家屋とイチゴハウスのすべてを失った。橋元洋平(36)は愛娘が津波にのみ込まれた。私が彼らと同じ状況にさらされたらと思うと、言葉にならない。両橋元と会社を設立したのが今から約2年前の2012年1月のことだ。

震災前、オールド橋元(忠嗣)は、親の代からのイチゴ農家で山元町でも屈指の作り手だった。数十件の農家を束ねる出荷組合の品質管理責任者も務めていたほどだ。ヤング橋元(洋平)は町の社会福祉協議会の職員として働いていた。

インドで奮闘する橋元忠嗣
インドで奮闘する橋元忠嗣

震災後、私は彼らと一緒に農業生産法人GRAを立ち上げることになる。彼らがステップ論で物事を考える人だったら、決して創業の選択をできなかっただろう(参照:「ステップ論じゃなくて、いきなり世界に飛び出そう!」)橋元忠嗣は保守本流的な出荷組合(JA系)を脱退し法人に参画。橋元洋平は新卒で入った難関の準公務員的地位を惜しげもなく譲り、GRAに参画した。そして私と一緒に数億の連帯保証をして創業資金を創った。

震災後の混乱期において、オールド橋元が普通のイチゴ農家であれば、安定した出荷組合に属したまま100%の補助金で再興する道を選んだだろう。ヤング橋元も公務員の地位を保ったまま、復興に力を注いでいただろう。

■なぜ両橋元は挑戦する道を選んだのか。

震災があったから両橋元が一歩踏み出す勇気をもてたかと言ったら、それはまったく違う。特別な体験が無ければ一歩踏み出せないというのは間違いだ。むしろ震災後、多くの人々は保守的になってまったく身動きがとれなくなっていた。そのような中で、何億円もの連帯保証を抱えて前のめりに挑戦したのが両橋元だ。大切なのは二人の熱いこころざしだ。「東北に新しい産業をもたらし、山元町を世界に発信したい」その志と想いに尽きる。

■国境も人種も越えて、想いは必ず伝播する。

インド人スタッフに囲まれる橋元忠嗣。インド人は彼のことをレジェンドと呼んでいた。
インド人スタッフに囲まれる橋元忠嗣。インド人は彼のことをレジェンドと呼んでいた。

橋元忠嗣(66)は、今インドの大地を踏みしめている。山元町で培ってきた技術を惜しげもなくインドの貧しい農村のために広めようとしている。

橋元忠嗣がインドの農場に訪れた瞬間、インド人スタッフの目の色が変わった。彼ら彼女らは橋元忠嗣に食らいつき、あらゆるイチゴに関する知見を引きだそうとしていた。忠嗣も本気でそれに応えた。言語や人種そして宗教の違いなんてまったく関係ない。橋元忠嗣の存在自体が、インド人を奮い立たせた。多くを失い、仮設住宅に暮らしながら、自分の家を建てる目途もついていない彼が、インドの貧しい農村の人々に尽くす。言葉が見つからない。

■組織の中にいても挑戦は可能なのか?

この問いに私が答えるのは本当に難しい。なぜなら私は大企業で働いた経験が一度もないからだ。ヒントになるかはわからないが、私にとってかけがえのないパートナーの大企業で働くW君(36)を紹介する。

1年前、彼は日本のいわゆる伝統的大企業の中のコンサルティング事業部で働いていた。彼は開発国でのBOPビジネスを立ち上げて雇用を創るという壮大なこころざしをもっている。GRAがインドでのBOP農業ビジネスに参画するにあたって、彼は大企業にいながら私たちに側面支援を続けてくれていた。

いよいよ本格的にGRAが億単位のバジェットでインドでのBOPビジネスをスタートさせるタイミングで、彼はGRAへの入社を考えた。しかし、創業したての農業ベンチャーが伝統的大企業のような報酬を支払えるはずもなく、家族を抱える彼は迷いに迷った末、プロジェクトの成果を最大化するために大企業にいながらにしての側面支援の道を選んだ。

彼の凄いところは、ここからだ。

事業部を何か月もかけて説得し、見事に社内のCSR部門への異動を勝ち取った。今現在、彼は側面からではなく、GRAのパートナーとして一緒にインドでのBOP農業ビジネスに取り組んでいる。

彼がCSRへ異動し事業化への検討まで進められているのはなぜか?運じゃない。誰よりも熱い想いだ。想いが保守的な伝統的大企業の人事を動かしたのだ。もちろん、企業に属する限り想いだけではだめだ。特にCSR的取り組みにおいては、プロジェクトが中長期的に企業にどれだけ貢献するに対して、明確な責任を持って挑む必要がある。ただただ暴れていたのでは、後ろから誰かに刺されてあなたの挑戦は犬死に終わるかもしれない。

■若い私たちが挑戦しない理由なんてひとつもない。

66歳の橋元忠嗣はインドでゼロからの挑戦をスタートさせた。英語もわからないし、インドに来たのも初めてだ。だけど、他のどのメンバーよりもインド人メンバーを奮い立たせた。それはなぜだろう?答えはシンプルだ。誰よりも想いが強いからだ。そこに理屈はない。想いやこころざしは国境を超える。彼を見ていると、若い私たちが、国境を超えて挑戦しない理由なんて一つもない。

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撮影:田久保善彦

そして、もしあなたの年齢がいくつだとしても、新しいスタートを切ることに遅すぎるということも早すぎるということも絶対にない。10代、20代そして私のような30代は言わずもがな。40代だって50代だってそうだ。大きな挫折を味わったとして、何もかも投げ出したくなる時もあるかもしれない。そんな時は橋元忠嗣と橋元洋平を思い出して欲しい。

99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る。絶対に実る。

起業家/サーファー

1977年、宮城県山元町生まれ。2002年、大学在学中にIT起業。2011年の東日本大震災後は、壊滅的な被害を受けた故郷山元町の復興を目的にGRAを設立。アグリテックを軸とした「地方の再創造」をライフワークとするようになる。農業ビジネスに構造変革を起こし、ひと粒1000円の「ミガキイチゴ」を生み出す。 著書に『99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る』(ダイヤモンド社)、『絶対にギブアップしたくない人のための成功する農業』(朝日新聞出版)などがある。人生のテーマは「旅するように暮らそう」。趣味はサーフィンとキックボクシング。

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