映画『戦場にかける橋』でアカデミー賞受賞の英音楽家の記録が「廃棄」の危機?
マルコム・アーノルド。
この名前を聞いても、すぐにピンとくる方はあまり多くはないかもしれない(音楽通を除いては、であるが)。
アーノルド(1921-2006年)は、映画『戦場にかける橋』(1957年、米英合作)でアカデミー作曲賞を受賞し、劇中で使われた「クワイ河のマーチ」(行進曲「ボギー大佐」をアレンジ)を世界中に広めた人物である。
しかし、英国で最も著名な作曲家の一人となった彼の功績は映画音楽(132作品のスコアを担当)だけではない。交響曲、管弦楽、吹奏楽、ブラスバンド、協奏曲など、数多くの作品を残す多作な音楽家だった。
イングランド中東部ノーサンプトンで生まれた後、20歳そこそこでプロの音楽家としての活動を始め、1941年にはロンドン・フィルハーモニー管弦楽団に入団。その後、首席トランペット奏者となった。しかし、40年代末からは作曲に専念する道を選択した。
音楽への貢献が認められ、1970年には大英勲章第3位(CBE)、続いて複数の英米の著名大学から名誉博士号が授けられ、1993年には勲爵士(ナイトフッド)に叙された。
暗い時代へ
多作ゆえのプレッシャーが強すぎたのかどうか。本人にしかその理由は分からないが、1960年代から70年代にかけて、アーノルドはアルコールを過度に摂取するようになり、数々の女性と関係を持つようになった。1961年、最初の妻と離婚に至る。2回目に結婚した妻とも別居状態に陥った。
1978年、ロンドンのロイヤル・フリー病院の精神科病棟に数か月、入院。翌年には生まれ育ったノーサンプトンにあるセント・アンドリューズ病院に入院する。原因はうつ病とアルコール依存症である。
79年から86年まで、アーノルドは意思決定能力を有しない人物のために財産管理や身の上の看護に関する様々な決定や指示を出すための司法的判断を下す「保護裁判所」の管理下に置かれた。
しかし、アーノルドの音楽家としての人生が終わったわけではなかった。
親戚の1人で彼の介護人となったアントニー・デイのケアの下、次第に回復に向かう。1986年には、最後の交響曲(第9番目)の作曲を終わらせることができた。
1990年代に入ると、音楽家としてのキャリアを一般市民も再認識するようになり、毎年開催される音楽祭「プロムス」で自作のギター協奏曲が演奏された後に舞台に登場し、聴衆から喝さいを浴びるまでになった。
2006年9月23日、肺感染症で亡くなった。享年84歳。ちょうどこの日は、アーノルドの新作バレーの初演が北部ブラッドフォードのアルハンブラ劇場で行われた。チェロ奏者ジュリアン・ロイド・ウェーバーは、アーノルドを「天才」と呼んだ(BBCニュース、9月24日付)。
政府がアーノルドのファイルを廃棄する?
アーノルド没後、介護人兼マネージャーだったアントニー・デイと親族の間でもめ事が発生する。
デイはアーノルドが亡くなるまでの22年間、面倒を見続けた。アーノルドは遺産の大部分(自宅と作品から得られたロイヤリティーの半分)をデイに残した。残りの遺産はアーノルドの娘キャサリンと息子ロバートで分けるように、と。
子供たちはアーノルドの遺言状が他者の「影響を受けて」書かれたと主張し、相続をめぐる裁判を起こした。
第9番目の交響曲の所有権を誰が持つかも問題視され、「デイが所有する」という判断を裁判所が下したのは、2012年であった。
昨年、デイは亡くなった。
アーノルドの娘キャサリンはデイとの裁判沙汰を通して、父親が保護裁判所の管理下に置かれていた1979年から86年の時の資料を目にしていた。
一連の資料は今、国(司法省)が管理している。
ところが、司法省は看護メモや家族についての父親の手紙などの資料には「個人的な情報が含まれている」ため、「廃棄する」という。
キャサリンは「今後の研究や調査に役立つ」資料の廃棄に反対したが、司法省は「保存する道が見つからない」、「伝記作家や研究者にアクセスさせるわけにはいかない」としてその願いを振り切ってきた。
アーノルドの業績を高く評価する、先のジュリアン・ロイド・ウェーバーをはじめとして、1万7000人以上から「廃棄反対」の署名が送られたが、らちが明かない状態が続いていた。
しかし、11月17日、政府は議会答弁の中でこの点について質され、英国にとって重要な資料を保管する英国立公文書館、司法省、保護裁判所とが保管するか廃棄するかについて議論をしている、と述べた。「議論が続く間、文書は司法省が管理しており、すぐに破棄する見込みはない」。
キャサリンや支援者は国立公文書館での保管を望んでいる。
重要な音楽家の資料を「個人情報の保護」という理由から「公開を保留」ならまだしも、「廃棄する」とは・・・。「歴史を消す」行為になるのではないか。
政府にとって都合が悪い文書でも「とにかく記録」、「時間が経ったら公文書館で永久保存」が伝統のはずの英国で、驚くべき展開となった。
しばらく、目を離せない動きである。
***
参考