ますます「狭く薄く」なる人間関係。嫌われることを恐れず、恨まれることは避ける
「うちの業界は狭いから下手なことはできません」
30代以上の働く男女と会話をしていると、こんなセリフを聞くことがよくある。その「業界」は多種多様であり、芸能界みたいな特殊なものだけではない。一定期間それなりに責任のある立場で働いて来て、これからも今の仕事を続けていこうと考えている人は、等しく「うちの業界は狭い。石を投げると知り合いに当たってしまう」と感じるのだろう。
狭いのは職場だけではない。プライベートの人間関係も不思議とつながってしまうものだ。学校や居住地、利用するサービスなどは、趣味や嗜好、学歴、経済レベルが似た者が集まりやすいため、「格安のワイン会に参加してみたら学生時代の知り合いと再会」なんてことは珍しくない。
SNSが浸透した現在では、この「人間関係ネットワーク」はますます小さなものになっている。先日、筆者は初めてLINEに登録した。設定の仕方を間違えたため、自分の携帯電話に番号を登録しているすべてのLINEユーザーと「友だち」になってしまった。ずっと前に何かの必要性があって電話番号を登録したが、このまま放っておいたらお互いに顔と名前を忘れるような相手も含まれている。何年も経ってから急に「友だち」になり、きっと先方も戸惑っていることだろう。そのうち数人とは、LINEをきっかけにして交流が薄く復活している。
10代20代の若者であれば、この狭い人間関係から逃れることもできると思う。職業や行動範囲を大きく変えることは可能だし、SNSはできるだけ使わなければいい。
しかし、30代を過ぎると基本的には「今までどこで何をしてきたか」の延長線上で生活するようになる。転職の面接がわかりやすい。20代までの「ポテンシャル採用」などではなく、「どんな業務をどのように遂行し、結果はどうだったのか」を細かく質問される。場合によっては、「我が社に入ったらどんな人脈でどのような顧客を引っ張って来られるのか」を具体的に問われるだろう。ほらを吹いたりすると、入社した後の居心地が非常に悪くなる。そして、業界での評判も落ちていく。
では、このような状況の中で朗らかに暮らしていくためにはどうすればいいのか。筆者は、「嫌われることは恐れない。しかし、恨まれることはできる限り避ける」ことを心がけるべきだと実感している。
「業界」の狭さを感じつつ、各自の意見や近況が高速で伝わりやすい環境に身を置くと、「無害でフレンドリーで活発で幸せな自分」をアピールしたくなる。SNSのプロフィール写真やタイムラインに旅先でのカッコつけた写真や我が子の楽しげな様子ばかりを載せる人は典型例だ。見た人は不快にはならないと思うが、何の感想も抱かずに通り過ぎることだろう。
むしろ、「毒もあって人見知りのひきこもり気味で不幸せな自分」もたまには見せたほうが読んでいる側としては面白いし共感しやすい。ちなみに筆者は食生活ブログを10年ほど続けているが、納豆キムチ目玉焼き丼やワカメ味噌汁が頻出する。何の役にも立たないが、「あなたの一貫して華のない食卓を見ていると安心する」との声をもらったことがある。「茶色くてまずそうな料理ばかり見せられて不快だ」と感じる人もいるだろうが、知ったことではない。オシャレな人に嫌われるぐらいがちょうどいいと思っている。
ただし、恨まれてはいけない。具体的には、特定の個人を攻撃するのはできる限り避けるべきだ。親しい人との飲み会の席では、共通の知人や仕事仲間に関する噂と悪口は定番であるが、度が過ぎると本人に伝わって深く恨まれることがある。
ネット上で名指しするのは一番の禁じ手だ。ささやかな一文で「ちょっとイジッっただけ」ぐらいの認識であったとしても、「公開攻撃」をされた相手にとってはショックであり、その恨みは長期間に渡って継続する。
恨みは思わぬところで噴出する。このダメージは計り知れない。「怨恨」による殺人事件も完全に他人事だとは言えないと思う。自分の不用意な個人攻撃に対して、電話などで抗議してくれる相手であれば、ちゃんと謝って恨みを解消するチャンスをもらえたことに感謝するべきだ。
嫌われることは恐れずに、恨まれることは避ける。「言うは易し」だと筆者も感じている。しかし、30代以降にどんどん狭く薄くなる人間関係の中で朗らかに生き抜いていくためには必須の心構えだと思う。