【コラム】香川真司、トルコでの日々はここにも注目! ベシクタシュのギュネシュ監督は「アジアを知る男」
”移籍後初先発で、アシストを記録”
そんなニュースが入ってきた。香川真司は26日、トルコサッカーリーグ「シュペル・リグ」第23節に先発出場。フェネルバフチェとのイスタンブールダービーで、前半に2ゴールに絡む活躍を見せた。移籍4戦目にして得た初の先発出場の機会だった。少し先の話になるが、5月5日には長友佑都所属のガラタサライとの対戦も控えている。
香川真司の最近の姿を見るに、思い出す言葉がある。かつて取材した、奥寺康彦氏(現横浜FC代表取締役)のものだ。
「監督との関係だけを考えていた」
奥寺氏はいうまでもない、欧州組の元祖。1977年に当時世界最高峰だった西ドイツ・ブンデスリーガの1.FCケルンに渡った。
奥寺さん、77年の渡独当初は大変だったんじゃないですか? 環境の違い、レベルの違い、観客の厳しい目、などなどです。そう聞いた。
恥ずかしながら筆者自身が10年以上前、雑誌『Number』の連載企画でドイツの10部リーグにチャレンジする際、”アドバイス”をいただくという主旨だった。
しかし奥寺さんはこちらが想像した困難に対して、「そうじゃなかったよ」とあっさり返してきた。
当時自分を望んで獲得した、へネス・バイスバイラー監督との関係だけを考えていた。「だって、あれこれ考えすぎても仕方がないじゃない」と。ただ大変だったのは、渡独最初の半年ほど、単身赴任の状態になったことだけだったと。
本当にその通り。筆者自身、ドイツでプレーしてみてそう思った。
その街の風景、クラブ、チームメイト、サポーター。他のすべてが気に入っていても、たった一つの関係で全てが崩れていく。
それが、選手と監督の関係というものだ。
試合への出場機会が与えられなければ、すべての風景が無味なものになってしまうのだ。
香川真司と監督。ファーガソンのこと
香川真司もドルトムントを去る時、そんなことを感じただろうか。その欧州でのキャリアは、監督との強い関わりを感じさせる。
2012-13シーズンから在籍したマンチェスター・ユナイテッド時代のことはよく知られるところだ。アレックス・ファーガソン監督に迎えられた後、13-14シーズンはデイビッド・モイーズ監督の下で出場機会をなかなか得られず、苦しんだ。
ファーガソン監督にはこんな逸話がある。05年に韓国代表パク・チソンを獲得した際、こう明らかにしてパクを驚かせている。
「獲得までに5度現場に行き、自分の目でキミのプレーを確認した」
丁寧に選手を見て獲得する監督。ファーガソンについては、そういうことが言えるだろう。当然、香川真司についてもしっかり確認したうえで獲得したと思われる。いっぽうでモイーズにとって香川は、「前任者が獲得した選手」だった。もちろん、そういった状況はよくあることで、出場機会を得た際に信頼を得られれば良かったのだが、上手くはいかなかった。香川は翌14-15シーズン、ルイス・ファンハール監督の下でもチャンスを生かせず、2014年8月にボルシア・ドルトムントに復帰することとなった。
馴染みの地で数シーズン過ごしたのち、2018-19シーズンはリュシアン・ファーヴル監督の戦力構想から外れた状態に。4試合の出場にとどまり、レンタルでのトルコ行きを決心した。
香川の新たな監督は「アジアを知る男」
香川の近頃の姿を見るに、もうひとつ思い出す奥寺氏の言葉がある。1981年から86年まで在籍し、ドイツでのラストシーズンではブンデスリーガ優勝直前まで行ったヴェルター・ブレーメン時代のことだ。
「オットー・レーハーゲルは、東洋的な感覚を理解する監督だったんだよ」
自己主張の渦巻くヨーロッパのピッチで、他の選手がボールを持つと「何か見せよう」とするのに対し、奥寺氏は時折、スッとダイレクトタッチでボールを味方に預けるプレーを見せた。またチームの全員が強く意見を言うなか、黙々とプレーする姿も見てもらえていたという。一般的にドイツでは、「主張しないヤツ=意見を言葉にしない=何も考えていない」で片づけられそうなところが。
欧州には確かに、そういう種類の監督が存在するのだろう。
ベシクタシュを率いるシェノル・ギュネシュ監督(トルコ)もその一人に違いない。2019年1月末にレンタルで加入した香川真司を迎え入れた。監督が望んでの獲得という点は想像に難くない。
キャリア最大の勲章は、02年W杯で自国代表を3位に導いたこと。現役時代はトルコ代表GKとして31試合に出場した(75年-87年)。
最近では2018年4月19日のトルコカップ準決勝で相手のフェネルバフチェサポーターの投げた物体が頭部に当たり、試合中に病院に搬送された事件が有名か。それ以外にも2017-18年シーズンのチャンピオンズリーグ16強、トルコリーグ6回優勝の実績を誇る。
指導者としてのキャリアは1988年からの30年ほどに及ぶ。そのなかで3年間だけ自国を離れたことがある。
07年から09年、韓国のFCソウルで指揮を執ったのだ。韓国とトルコが対戦した02年W杯3位決定戦のインパクトもあり、ソウル側の2年越しのオファーが実った。
シェノル・ギュネシュ 1952年6月1日生まれの66歳。トラブゾン出身。身長179センチ。
監督歴:1988-1989=トラブゾンスポル、1989-1992=ボルスポル、1993=トラブゾンスポル(助監督)、1993-1997=同監督、1997-1998=アンタリャスポル、1998=サカリャスポル、2000-2004=トルコ代表、2004-2005=トラブゾンスポル、2007-2009=FCソウル、2009-2013=トラブゾンスポル、2014-2015=ブルサスポル、2015-現在=ベシクタシュJK
(FCソウル公式アカウントより)
韓国での姿「人情味」いっぽうで「過激」。そして「秩序を称賛」
韓国では、”豪快ですっ飛ばす、人情味あふれるおじさん”のイメージで見られていた。
3年間の指揮でカップ戦準優勝1回、リーグ戦2位1回とタイトルには手が届かなかった。いっぽうで04年にホームタウンを安養市から首都に移した後、人気と実力がイマイチだったソウルをビッグクラブに仕立てた功労者として知られる。積極的にメディアと交流し、露出を増やしていったのだ。
当時、選手にはこんな言葉を残している。
「メディアとの交流を持て。メディアはファンと自分たちを繋いでくれる役割を果たす。自分たちはファンに知られ、愛されてこそ、価値が生まれるのだから」
いっぽう、09年8月にはカップ戦準決勝で敗退後、審判の判定に激怒。会見での発言が大いに物議を醸した。
「韓国では審判の3人さえいれば、チャンピオンになれるらしい。これからはサッカーじゃなく、野球だけを見なきゃいけないな」
これに対し、Kリーグ連盟が1000万ウォン(約100万円)の罰金を科した。いっぽうでギュネシュを愛するサポーターは翌ホームゲームでこの罰金に対する募金を行ったのだという。
サッカースタイル自体は、結果は残せなかったもののクリエイティビティを重要視するスタイルだった。選手、コーチとしてともに過ごしたチェ・ヨンス(昨季末からFCソウル監督に復帰)とも親しい関係にあるという。また韓国代表として2010年南アW杯ベスト16入に貢献したイ・チョンヨン(ボーフム/ドイツ)らを積極起用した功績でも知られる。
この時の縁から、アジアとの相性の良さを感じさせる言葉をいくつか残している。まずは韓国メディアの解釈つきのものから。
”実力さえあれば、サッカーはある程度上手くなれる。しかし真正なるスターになろうと思えば、人格がよくなくてはならない”(2008年11月、「中央日報」とのインタビューにて)
同紙はこれを「まるで書道家が小細工だけでは文字は上手く書けず、人格も必要という話と似ている。実に東洋的な考え方」と解いた。わかりやすく言えば、場をわきまえない自己主張である程度のステイタスを得るような選手よりも、おとなしくとも力を発揮する人格者を好むという考え方だ。
また、元々の性格がアジアとの相性の良さを感じさせるエピソードもある。07年3月の試合中にFWキム・ウンジュン(ベガルタ仙台でもプレー歴あり)が試合中の負傷で病院に直行した。ギュネシュ監督は病院にキムを訪ね、夜遅くまで看病していたのだという。後にクラブ関係者が理由を聞いたところ、こんな言葉を返し、周囲を驚かせた。
「我が子が怪我をしたというのに、なぜ立ち寄りもせず自分の家に帰れるのか?」
強い仲間意識、というのはむしろ韓国的なエピソードですらある。東アジアの地はギュネシュにとって居心地がよかったのではないか。
また、トルコに帰国後の2018年1月には、自国の新聞「アシュポル」に対して少し変わった韓国文化への称賛を行っている。
「韓国にいた時は、毎月25日に給料を受け取れた。一度も26日や24日になることはなかった」
「韓国とは違い、トルコでは決まった日に給料を受け取れるコーチが一人でもいるのだろうか。疑問だ。トルコサッカー界はコーチングスタッフと契約するときには”金がある”が、支払いの時には”金がない”」
26日のフェネルバフチェ戦後、ギュネシュ監督は香川真司に対し「守備力に不満」と発言した。この裏には、多少は「人情」があると見てもいいのではないか。もちろん香川自身が自身のパフォーマンスでより高い信頼を得ていかなくてはならないのだが。自身の適正ポジションに見える”トップ下”には、セルビア代表としてロシアW杯に出場したアデム・リャイッチ(トリノ/イタリアからレンタル移籍中)がおり、彼との競争にも勝たなくてはならない。
一般的にトルコの人たちは、日本に対して好意的と言われる。ギュネシュの場合、そのイメージが自身の東アジアでの生活でより明確なものになったのではないか。日本人選手の移籍のニュースを見るたびに思う。「どこに行くのか」はもちろん関心事だが、「誰が呼んだ」のかも重要。香川真司のニュースが入ってくるたびに、猛烈なトルコのおじさんの姿を思う。