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4400勝に王手をかけた武豊騎手の記録に残らない伝説エピソード

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
フランスで騎乗していた時の武豊騎手(2001年撮影)

日本調教馬初の海外GⅠ制覇時の逸話

 JRA通算4400勝に王手をかけている武豊。彼が次に先頭でゴールを駆け抜ければ、その瞬間、ニュースが世界中に打電されるだろう。

 1つ勝つたびにJRA新記録を樹立し続ける数字の素晴らしさもさることながら、記録面以外でも唯一無二の日本人ジョッキーといえるスーパースター。区切りの勝利を目前にした彼の、数に換算されないエピソードを今回は紹介させていただこう。

 まず、印象的だったのは1998年の夏の話。当時、私はフランスで取材をしていた。8月9日、ドーヴィル競馬場で行われたモーリスドゲスト賞(GⅠ、芝1300メートル)で彼が騎乗したのはシーキングザパール。レース前、次のように語っていた。

 「スピード的には充分通用すると思います。人気はないみたいだけど、一発があって不思議ではないと考えています」

 結果はその言葉通り見事に優勝する。今でこそ海外での日本馬の活躍も茶飯事になったが、当時はまだ異国でGⅠを勝つ日本馬はいなかった。海外のGⅠを制した日本調教馬第1号が、この時のシーキングザパールだった。分母の増えた現在は、短中距離馬ならヨーロッパの壁をぶち破れる事も分かってきたものの、明らかにデータの少ない当時、武豊が勝利を読み切れたのには、当然、理由があった。69年生まれの彼にとって、98年といえばまだ三十歳になる手前。しかし、海外で騎乗するようになってからは既に十年近くが経っていた。アメリカやフランスを中心に、毎年、積極的に騎乗馬を探しに行った。日本ではデビュー早々からスター街道を走っていたにもかかわらず、あえて国境を越え、朝早くにローカルの厩舎の門を叩いた。文字通り騎乗馬を探した日々を過ごしたのだ。そんな経験を積み重ねた事で、日本馬と外国馬との力差を会得。それがシーキングザパールのレース前の正確なジャッジに繋がったのだろう。

1998年にモーリスドゲスト賞(仏、GⅠ)を制したシーキングザパール(右)と武豊騎手
1998年にモーリスドゲスト賞(仏、GⅠ)を制したシーキングザパール(右)と武豊騎手

欧州の調教師が語るユタカタケ

 また、その2年後の2000年にはアメリカをベースに騎乗すると、続く01、02年、今度はフランスのシャンティイに一軒家を借りて、かの地の競馬に長期的に参戦した。それもモンジューとスワーヴダンサーで凱旋門賞を2勝したジョン・ハモンド調教師(当時)から請われる形での渡仏だった。これには昨年、引退した伯楽・藤沢和雄元調教師が「何の縁もないヨーロッパの調教師から呼ばれて向こうへ行く日本人ジョッキーなんて、武豊しかいない」と、よく口にしていたものだ。

ジョン・ハモンド元調教師(右から2人目、後方)に誘われ、フランスに滞在した際、インペリアルビューティーでGⅠアベイユドロンシャン賞を制した武豊
ジョン・ハモンド元調教師(右から2人目、後方)に誘われ、フランスに滞在した際、インペリアルビューティーでGⅠアベイユドロンシャン賞を制した武豊

 ちなみにそのハモンド氏は既に調教師を引退し、現在は大オーナーブリーダーの1人であるG・オーギュスタン・ノルマン氏のレーシングマネージャー等を務めている。昨年、同オーナーのオネストがジャパンC(GⅠ)に出走した際には連絡があり、来日した彼とひと時を過ごしたのだが、その際、元名トレーナーは次のように言っていた。

 「調教師時代、沢山のジョッキーに乗ってもらい、調教でもレースでも乗り終えた後に必ずディスカッションを持ったものですが、ユタカのジャッジは他の誰よりも正確でした。馬が相手ですから、勿論、百発百中というわけではないけど、ユタカは非常に高い確率で距離適性や個性を見抜いてくれました」

 話の中の「他の誰よりも」という部分は、具体的に何人かの騎手の名を挙げたのだが、いずれも誰もが知るヨーロッパでのトップジョッキーだった。そういった面々を抑え、ユタカがナンバー1だと、イギリス人の伯楽が言うのだった。

22年のジャパンCの際に来日したハモンド氏
22年のジャパンCの際に来日したハモンド氏

米国の初めて訪れた競馬場での出来事

 最後にもう一つだけ、今度はアメリカでの出来事を記しておこう。

 それは2016年の話だった。この年、武豊はラニのアメリカ遠征とエイシンヒカリのヨーロッパ遠征で、世界中を飛び回った。ラニはアメリカの三冠競走に挑んだのだが、その三冠目のベルモントS(GⅠ)に騎乗するため、レース前日に、決戦の地となるベルモント競馬場を訪れた際の事だ。

 「この競馬場に来るのは初めてです」

 場内を歩きながら意外な事実を語った武豊だったが、その直後、思わぬシーンを目の当たりにした。

 「お!ユタカじゃないか?!」

 そう言って、現地の一般ファンのカップルが記念撮影と握手を求めてきた。更に彼等が去ってものの何分かで、次から次へと日本のレジェンドは取り囲まれ、記念撮影やらサインやらをねだられた。

初めて訪れた米国ベルモント競馬場でファンに囲まれ、記念撮影をねだられる武豊
初めて訪れた米国ベルモント競馬場でファンに囲まれ、記念撮影をねだられる武豊

 もう一度、記すが、日本のナンバー1ジョッキーにとってこの日は、初めてベルモント競馬場に足を踏み入れた日なのだ。にもかかわらず、地元アメリカのファンが一斉に集まってくる。彼の偉大さを感じずにはいられない出来事だった。

 マイルストーンに達する度に注目を浴びる彼の勝利数だが、実はその記録は静かに更新をし続けている。しかし、それ以上に彼の伝説は世界を駆け巡っているのかもしれない。そして、数字同様にまだまだ更新し続けるのかもしれない。また折を見て、彼の生ける伝説を紹介していこう。

(文中一部敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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