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一番の大当たりは近藤一樹。近年のヤクルト“駆け込みトレード”を振り返る

菊田康彦フリーランスライター
2016年7月、ヤクルト入団会見での近藤。右は小川SD=現監督(筆者撮影)

 日本プロ野球は今日、7月31日に新規支配下選手登録期限を迎える。つまり、球団間でトレードができるのも、この日までということになる。だから例年、7月に入ると駆け込みとばかりにトレードに動く球団が出てくるのだが、今年は5件のトレードで計11名の選手が移籍するなど、これまでにない活況を呈している。

 筆者が取材する東京ヤクルトスワローズは、前日の30日付で育成選手の古野正人投手を支配下選手登録したものの、他球団とのトレードはなかった。それでも昨年までの4年間では、3件の“駆け込みトレード”を成立させている。

2014年:新垣渚、山中浩史両投手を福岡ソフトバンクホークスから獲得

(川島慶三内野手、日高亮投手を放出)

 新垣は沖縄水産高3年だった1998年に、当時としては甲子園大会史上最速の151キロをマークした「甲子園のスター」。プロでも2ケタ勝利を3度記録し、2004年には最多奪三振のタイトルを獲得するなど実績、話題性とも十分だったが、ヤクルトでは通算4勝14敗の成績に終わり、2016年限りで戦力外となった。一方、ソフトバンクでは勝ち星のなかった山中は、移籍2年目の2015年にはプロ初勝利を皮切りに6連勝。先発陣の救世主的存在として、ヤクルトを14年ぶりのセ・リーグ優勝に向けて後押しした。

2016年:近藤一樹投手をオリックス・バファローズから獲得

(八木亮祐投手を放出)

 日大三高3年だった2001年夏の甲子園で優勝投手となった近藤も、移籍時点ではプロ15年目の33歳。2008年には先発で10勝を挙げた実績を持ちながら、2011年以降はたび重なるケガに泣かされ、冒頭に触れた古野と同様に一時は支配下登録から外れて育成選手になったこともあった。だが、新天地のヤクルトでは中継ぎとして鮮やかに復活。2017年はオール救援で自己最多の54試合に登板し、チーム3位の14ホールドをマークした。

2017年:屋宜照悟投手を北海道日本ハムファイターズから獲得

(杉浦稔大投手を放出)

 屋宜(やぎ)は社会人のJX-ENEOSから、ドラフト6位で2013年に日本ハムに入団。1年目は救援でプロ初勝利を挙げ、2015年には18試合の登板で2勝した。ところが、翌2016年にはサイドスローに転向するなど、その後は一軍登板のないまま移籍。昨年はヤクルトでリリーフとして2試合に投げたが、今季はここまで一軍登板なし。

 上記4選手の中でも一番の大当たりとなったのが、2016年に移籍してきた近藤だ。オリックス時代は通算132試合中、102試合が先発だったが、ヤクルトではチーム事情により中継ぎで起用され、新境地を開いた。今年も主に勝ち試合の終盤を担うセットアッパーとして、ここまで44試合の登板でリーグトップの22ホールドを挙げるなど、ヤクルトのブルペンになくてはならない存在になっている。

 2年前の移籍会見では「こうやってチャンスをいただけたので、そのチャンスをしっかりとつかめるように頑張っていきたいと思います」と話していたが、オリックスではほぼ先発一本だっただけに、まさか「勝利の方程式」を担う存在になるとは、当時は思いもしなかっただろう。

 奇しくも昨日、7月30日に神宮球場で行われた第100回全国高校野球選手権記念大会西東京大会決勝戦で、近藤の母校である日大三高がサヨナラ勝ちを収め、甲子園出場を決めた。近藤自身は今や本拠地となったその神宮で、今日31日から首位・広島東洋カープとの直接対決3連戦に臨む。

・関連リンク

「チャンスをいただけたことに感謝」前オリックス近藤、ヤクルト入団会見全文

フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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