「ジャングルポケット」が二人で舞台に立ち再出発。コンビ、トリオの意味とは
「ジャングルポケット」の斉藤慎二氏が不同意性交などの疑いで警視庁から書類送検され、所属の吉本興業を契約解除になりました。
それを受けて、太田博久さん、おたけさんは二人での再出発を選びました。
10月9日には千葉・よしもと幕張イオンモール劇場などに二人で出演し「すみませんでした」と深々と頭を下げ謝罪し、ネタも披露しました。
コンビとは、トリオとは、運命共同体。よく聴く言葉です。コンビのことはその二人にしか、トリオのことはその三人にしか分かりません。
昨年12月、漫才コンビ「和牛」が解散しました。「和牛」とは大阪の情報番組で数年間共演していたこともあり、いかに二人が漫才に情熱を燃やしていたか、食事などプライベートな場でも幾度となく聞いてきました。
その中での解散。解散イコールもう漫才ができなくなるということです。それでも解散を選んだ。「和牛」と近い芸人仲間の方々からも「残念」という言葉しか聞かれませんでしたが、二人が決めたことが全て。コンビの今後を決める投票権を持っているのは二人だけ。周りの芸人さんもその不文律を心底理解しているので、グッと思いを飲み込むだけでした。
芸能界のイスの数は決まっています。何かしらトラブルがあった場合、イスから離れた瞬間にそのイスに誰かが座って席がなくなる。そういう世界でもあります。
ただ、唯一席がなくならないのがコンビ・トリオの席です。
「ピース」の綾部祐二さんが夢を求めてアメリカに行った。そうなると、それまで売れっ子だった綾部さんのイスに誰かが座ることになります。でも、又吉直樹さんの横の席だけはコンビの屋号をおろすまで空いています。
病気にしろ、トラブルにしろ、どちらに何かがあった時、相方が頑張って売れていれば、屋号を守っていれば、戻る席はあります。そして、屋号というのは“実家”でもあります。ほぼ帰ってなくても、実家があるのとないのとではいろいろと意味が違ってきますし、自分の本業、幹、根っこでもあります。
なので、屋号を残すことには本当にいろいろな意味があります。どんな意味なのか。それは個々のケース次第ですが、逆に「雨上がり決死隊」を解散した時には蛍原徹さんの強い意志がフィーチャーされることにもなりました。
今から十数年前。ある芸人さんが刑事事件を起こして逮捕された日の夜、その相方さんと食事をする。そんな場がありました。相方さんは努めて明るく話されていましたが、ふと視線を落としておっしゃいました。
「あいつを助けてやれるのは、オレしかいないもんな」
その時の声のトーン、視線、空気。今でも鮮明に覚えています。それくらい、その言葉にはあらゆる要素が含まれていました。
怒り、悲しみ、不安、焦り、使命、覚悟。あらゆる感情が静かに渦巻き、無限の奥行きを感じさせる。そんな数秒でもありました。
「相方とはどういう存在ですか」
お笑いの取材をして26年目になっていますが、このようなことを真正面から芸人さんに聞いたことはほぼありません。なぜなら難しすぎるからです。とてもじゃないが、ポンと一言で返せるようなものではない。僕はそう感じてきました。
お笑いを周りで取材しているだけの身でも、コンビ、トリオの意味をこれでもかと噛みしめてきました。ましてや、当事者である芸人さんはその何百倍、何千倍も肌で感じています。
そして、今、それを最も噛みしめているのが太田さんとおたけさんだと思います。
周囲の方々にお話をうかがっても、まだ自分の気持ちをまとめてしっかりと話すという段階にはないと聞きます。当然のことだと思います。しんどさしかない万華鏡のように、日々、否、刻一刻と気持ちも変わっているのがリアルではないかとも思います。
その中でも二人で「ジャングルポケット」として再出発をすぐに発表されました。「何が何でもこの道を行く」。強い覚悟を感じる流れでした。
お笑いとは極めて繊細な商品です。少し風合いが変わるだけで誰も笑わなくなります。今、お二人の周りにはかなりやりづらい空気が吹いているのかもしれません。そして、三人でやってきたチームが二人になる。簡単なはずがありません。
それでも、二人が面白いことをやり続ける。お客さんを笑わせ続ける。そうすれば、必ず道は拓ける。それがお笑いの真っ当さだとも強く思います。