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廣瀬俊朗、引退。記者会見ほぼ全文掲載【ラグビー旬な一問一答】

向風見也ラグビーライター
ジャパンのキャプテン時代は、世界ランク1位のニュージーランド代表とも対戦。(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

ラグビー日本代表でキャプテンを務めた廣瀬俊朗が3月1日、引退会見をおこなった。

大阪・北野高校、慶應義塾大学、東芝でキャプテンを歴任。特に東芝のキャプテン就任2季目の2008年度は、部員の不祥事に見舞われながらも日本最高峰のトップリーグを制覇。翌年には2連覇を達成した。

日本代表としては、約5年ぶりに復帰を果たした2012年春からキャプテンを務めた。エディー・ジョーンズ前ヘッドコーチ(現イングランド代表ヘッドコーチ)のもと、2013年には欧州王者だったウェールズ代表を破るなど躍進を下支えした。2015年のワールドカップイングランド大会では、試合出場こそなかったもののチームメイトへの影響力は強かった。大会中、副キャプテンの五郎丸歩に「あの人をグラウンドに立たせたいという思いが強い」と言わしめた。

今後の進路は未定としているが、指導者としての勉強や普及活動、スポーツ文化の涵養など多方面での取り組みが期待される。

以下、会見中の一問一答。

「廣瀬です。本日は大変ご多用のなか、このようにたくさんの方に集まっていただきまして。ありがとうございます。去年引退していたら、こんなにたくさんの人は集まっていない。ワールドカップの後でよかったな、と、いま、思っています!

30年間、ラグビーをしたのですけど、仲間やコーチ、スタッフに恵まれて、最高のラグビー人生を送ることができて、本当に感謝しています。特に僕自身の人としての形成がなされたのは、東芝での生活によってです。冨岡(鉄平)さん、薫田(真広)さん、瀬川(智宏)さん、和田(賢一)さん(以上、東芝の監督経験者)、チームメイトの仲間に感謝しています。

今後はまだ決まってなくて、でも、自分にしかできない道が必ず出てくる。色んな人に相談しながら…。今後は海外がキーワードになると思いますし、いつか海外に出てみたい。指導者にも挑戦したいし、ビジネスマンとしても成功できるような人生を過ごせたら最高だなと思います。自分自身が努力して、そうした道を掴み取れたらと。

ここまで頑張れたのは家族、そしてファンのおかげだと思っています。きょうも用事があって電車に乗っていたら、ファンの女性に声をかけられて、『これからも頑張ってください』と言われ、すごく嬉しかったですね。僕らが頑張れる裏には、こういうちょっとしたことが凄く多かった。本当に、ファンに支えられたげ現役生活だったと思います」

(以下、代表質問)

――引退の理由。きっかけ。

「2012年に日本代表のキャプテンに選出されてから、2015年のワールドカップがターゲットになりました。ここで歴史的な南アフリカ代表戦の勝利を含め、3勝1敗で帰って来たら、日本ラグビーが凄く変わっていて、国内の試合も満員のなかでおこなわれる光景を美恵うことができたし、この間のサンウルブズの試合(スーパーラグビーに日本から初参戦したチーム。2月27日に開幕節をおこなった)も満員のなかで素晴らしい環境のもと行われていた。僕自身が、ラグビー選手として作りたい状況を成し遂げられた。そうなったら人生は一回きりで、次の人生も楽しみたいと思った。次に向かいたいと思いました。体力的にはまだまだやりたいですけど、次の喜びを見つけたい思いの方が強くなりました」

――現役生活で心に残るシーン。

「一番は南アフリカに勝った時に、皆でこれは夢じゃないかと思ったこと。東芝では不祥事の後に優勝した時。あの時、本当の意味での感謝の気持ちが分かったし、自分のリーダー像が確立できた。

――今後のラグビー界へ。

「協会のなかで少しお手伝いしたいなという思いがあります。いま、選手会を立ち上げようとしています。これからは選手の意見をひとつの形として出して、日本ラグビーのためにやっていけることがあれば、日本ラグビーはもっと良くなるんじゃないかと思います」

――将来の夢は。

「20、30年後は、ラグビー日本代表のキャプテンだった廣瀬ではなく、違った『廣瀬と言えば○○』を作りたい。近い将来でいえば、2020年にオリンピック、パラリンピックがある。先日、ウィルチェアーラグビー日本代表の三阪洋行さんとお会いしたのですが、まだまだ注目度が低い、と。障碍者スポーツとして観られがちですが、本当はアスリートとしてスポーツをしている。ラグビーに携わりながら、そうした活動への応援もしていきたいと思いたい」

(以下、全体質問)

――影響を受けた人、学んだこと。

「ここではちょっと言いづらいですけど、やっぱり、イングランドに行かれているあの方。エディーさんには色んな意味で影響を受けました。彼の情熱だとか覚悟、もしくは世界に勝つために日本人に必要なこと…。そうしたなかなかわからなかったことが、彼のおかげで勉強できたと思います。どうやって強くなるかを、教えてもらった」

――引退を決意したタイミングは。

「正直、いつかと言いますと、わからないです。ただ、ワールドカップ終わった時点ではほぼ(心のなかでは)決まっていたと思います。トップリーグが始まる頃には、もう、成し遂げられたなと。シーズンが始まった頃には、自分のなかでは固まっていたと思います」

――その気持ちを抱き、今季はトップリーグプレーオフ決勝に進みました(パナソニックを相手にノーサイド直前にトライを決めるも、26―27で敗れる)。

「決勝の最後は、1点差まで追いつめて、僕の人生、凄いなと。これで逆転したら、どんだけカッコいいねんと思ったら…(コンバージョンは失敗に終わった)。もっと人生を修行しろということだと思いました」

――宿澤広明(元ラグビー日本代表監督、元三井住友銀行取締役専務執行役員)に通じる。

「宿沢さんには直接お会いしたことはなかったですけど、彼に関する本を読んだり、友人の話を聞く限りでは、僕の憧れの人ではあります。彼のようになりたいという思いはあります」

――来年以降、社内での所属先は。

「いまちょうど、それを会社と話し合っている段階なのでここでは言えません。ラグビーのため、他のスポーツのため、もしくは東芝の社内で働くうえで…。どの道がベストなのか、検討段階です」

――ワールドカップで得たもの。

「ワールドカップで勝つということがとても大事だなと思いました。2013年、ウェールズ代表に勝った時も、2、3日は盛り上がりましたけど、それは長続きしなかった。今回、ワールドカップで勝ったら、盛り上がりはまだ続いている。

ワールドカップ自体で言いますと、1日中楽しめるイベントだと思いました。2019年にはそれが日本で開催されます。僕自身、それに向けて何かをやっていきたい思いはあります」

――ワールドカップに向けてしたいこと。

「僕自身は指導者としての経験もないですし、直接、現場に携わることはできない。ただ、例えば選手の意見を聞いて協会に伝えることはできる。また、先日は姫路、弘前などに行きましたけれども、子どもたちに接してゆくことも大事だと思いました。上のレベルを見るだけではなく、普段頑張っている人たちに触れる…。両方のことを並行してやっていきたいと思います」

――2011年の東日本大震災の後、当時務めていたキャプテン会議代表としてすぐに行動を起こしました。今後、復興支援活動は。

「僕らは当たり前のように水が出てシャワーが出て、というなかで生きていますが、東日本大震災以降いまだに家に帰れていない人が1万人以上もいる。サポートしていきたいと思います。

昨日、休みをいただきまして、僕の友達が働いている大阪の児童養護施設に行きました。親から離れている子どもがどうやって社会に出るか。そこに、スポーツのできることがある気はしています。個人的には、そういったことへ選手会としてリンクしたいと思いますし、それが難しければ、廣瀬俊朗個人として継続的に携わりたいと思います」

――現役生活に未練はありませんか。

「もう満足しました。自分の大義じゃないですけど、日本ラグビーを変えたい、憧れの存在にしたい、という思いがあった。それで4年間、やってきました。未練はないです」

――東芝のチームメイトへは、ご自身の思いをどう伝えましたか。

「リーチ マイケル(イングランド大会では日本代表のキャプテンだった)には、シーズンの途中くらいにその話はしました。『もう1年やってよ』と言われました。優勝しなかったので」

――先ほど「海外」というキーワードが挙がりました。

「海外…。どの道で行くか(を考えている)。また、僕自身が行きたくても、行かせてもらえるかはわからないので、僕自身の見解ですが、スポーツマネジメント、スポーツ科学の理由で行くのか、それかMBAやスポーツビジネスを学んで、それをラグビーに還元するために海外へ行くのか…」

――ジョーンズ氏とのやりとりは。

「エディーさんには少しだけメールをしました。『海外に行きたい』と。そうしたら『いつでも来い』と。海外にはニュージーランドも、オーストラリアも、アメリカもある。ただ、イングランドも選択肢のひとつだと思います」

――ラグビー界の盛り上がりの継続には。

「選手会の立ち上げについて。選手自らが独立して、主体性を持ってラグビーのために考えること。それは社会的に意義がありますし、ラグビー自体を強くすることにも繋がります。試合が面白くなって、もっとお客さんが増えると思います。今日の記者会見もそうですけど、もっとメディアの方に取り上げられるようにした方がいいと思っています。

また、色々な地方に行って普及活動をする。いますぐにその成果は出ないと思うのですが、10、15年経った時に、『日本代表の選手に教えてもらったおかげでラグビーを続けられました』といったケースが出てくるかもしれない。草の根的な活動もやっていけたら」

――ワールドカップの時、代表に関わった選手やスタッフのメッセージビデオを編集競れたようですが。

「編集ビデオを作ったのは、僕自身が『日本の皆が応援している』と話すより応援している人の思いを伝えた方が伝わると思ったからやりました。僕自身もそうですねど、ワールドカップの時は緊張していた。あまりシリアスにならず、皆が笑える和やかな雰囲気を作りたかったので、(国内の選手に)お願いをしました」

――後進への思いは。

「僕自身、若い選手に伝えたいことは伝えきった。日本ラグビーのためにタフに頑張れる、そういう人になって欲しいと思います」

――代表で仲のよかった五郎丸、立川理道両選手にはどう伝えましたか。

「きょうちょうど、3人でラインをしていまた。ゴロー(五郎丸)、今日が誕生日なんですよね。『僕もきょうから三十路です』と。最初に会ったのは彼が26歳だった頃で、ずいぶん長い時間を一緒に過ごさせてもらいました。引退はいつ頃、伝えたのかな。ワールドカップに入った頃には、ぼんやりとこうしたいという気持ちは伝えていたと思います。

彼らは世界のトップレベルに挑戦している。僕自身も、立場は違うけど、いつもチャレンジするようなことを、し続けたいと思います。

4年間ともに苦労していて、一生の仲間。彼らはすごく大きなチャレンジをしていますね。ゴローも、本当は家族の時間を過ごしたかったけど、日本ラグビーのためにもう一肌脱ごう、と。メディアやテレビへの対応…。すごい使命を持ってやっていると思います」

――代表キャプテンを務めた2012年からの2年間で得られたこと、苦しかったこと。

「あまり苦しかった思いはないですね。光栄な立場。キャプテンをやらせてもらったこと、仲間に恵まれたこと。最高な2年間だった。辛かったのは、キャプテンじゃなくなった後の春。居場所がなくなったなと思って、その時、病気、けがを繰り返しました。それでも仲間が素晴らしくて、仲間のために頑張ろうと思えた。苦しかったですけど、それ以上の大きな喜びがあったと思います」

――今後の日本代表について。

「進化していかないといけない。もっと日本のラグビーを広めたり、喜んでももらうには。2019年に結果を出すことが大事。2015年のリーダーグループのキーワードは主体性。ただ、まだまだ本当の主体性は…完ぺきではなかったと思っています。選手が主体性を持って色々なことをやっていく。それをもう一度、大事にしていくのではないかと思います」

――イングランドでのワールドカップの期間中、思ったこと。

「一番はワールドカップのすばらしさ、スポーツのすばらしさを感じた。スポーツに何らかの形で携わりたいと、改めて思うようになりました。僕自身はラグビーをやっているのでラグビーに携わる。余裕が出てくれば、他のスポーツを引き上げたいと思います」

――ご家族の反応は。

「嫁さんはお疲れさま。娘は、僕がラグビーやると忙しいと思っていて、引退を話すと無茶苦茶喜んでいましたね! じゃ、明日から公園に行こう。そんな感じでした」

――(当方質問)先ほど申し上げた、スポーツの魅力とは。

「スポーツには観る方とやる方、2つの楽しみ方があると思います。

観る方では…。頑張っている人たちを観れば、明日からへの勇気をもらえたり、1日を前向きに生きることを訴えられたりすると思います。

やる方では…。僕自身も辞めてずいぶんと経ちますけど、やはり運動している方が身体の調子もいいと思います。ただ日本は、先進国のなかでも運動をしている人が少ないと言われています。この状況を変えるようなことも、いずれできたらと思っています」

――(当方質問)冒頭で「指導者」という言葉を挙げられていましたが、理想のコーチ像はありますか。

「…無茶苦茶厳しい指導者になりたいですね。あの人(ジョーンズ)みたいに!」

――(当方質問)著書では「あそこまで強く人には当たれない」と書かれていましたが。

「そうですね。まぁ。自分なりのスタイルがあると思います。いままで出会った指導者の方の良さをもらいながら、最後は自分らしさを大事に、と思います。キャプテンをしていた時みたいに、皆のことを尊敬して、一緒になって作っていく。そういう指導者になれたら楽しいと思います」

――(当方質問)日本代表とサンウルブズに、メッセージをお願いします。

「日本代表は、国民の皆を幸せにできるチームだから、その思いをいつも持って欲しいです。もちろん、皆、その思いは持っている。忘れないでいて欲しいです。

サンウルブズは、準備期間が短いなかで素晴らしい開幕戦をしてくれました。これからもタフなシーズンが続くと思いますが、そのなかで自分たちの進化、チャレンジを大事にしてくれれば、観てくれるファンの人も応援したくなるでしょうし、来年以降にも繋がっていくと思います」

――ワールドカップでは、試合に出たかったでしょうか。

「試合に出られなかったこと、そうですね。もちろん悔しい思いもありますけど、チームのためにやれることは、試合に出ても出なくても、ある。それを全うしました」

――廣瀬さんにとって、ラグビーとは。

「僕自身を作ってくれた。僕がこういう考え方をしているのは、ラグビーをしているから。多様性があって、コンタクトもある、辛いスポーツ。これを親が選択したのですけど、続けてこれてよかったと思います。

5歳からラグビー初めて30年間。ラグビー以外を知らないので、他のスポーツとどう違うのかはわからないのですけど…。多様性があって、大きい人、小さい人、足が速い人、ひょろ長い人、全員に活躍するところがある。それが、いろんな人を認めることに繋がったと思います。また世界でも有名なスポーツだから、トンガ人、オーストラリア人、韓国人、フランス人の友達ができて、しかもそれが同じチームで同じ目標のために戦う。これは他のスポーツでは味わえないこと。幸せだと感じます」

――(当方質問)先ほど、「ワールドカップの際の選手の主体性は、完璧ではない」と仰っていましたが。

「リーダーシップグループのなかでは主体性が出ましたけど、チームの31人全員が主体性を無茶苦茶持っていたかというと、そうでもないところもあるのが現実だと思います。もう少し下のレベル、トップリーグぐらいのレベルの選手までが主体性を持つようになれば、層の厚みにも繋がると思います」

――現役生活でのベストゲーム。

「印象に残っているのは、最後に負けた試合(今季のトップリーグのプレーオフ)と2013年のウェールズとの試合ですかね。あとはトップリーグで優勝した試合。不祥事の時の試合と、その翌年、(2008年は途中で謹慎となった)瀬川さんのために優勝しようと思った試合です」

――東芝へのメッセージは。

「昨季、1点差まで来ました。今季はディフェンスが立ち返るところだという、強み、軸を作るところまではできました。それをベースに進化して欲しい。7、8年優勝していないのは考えられないことだから、来年は必ず優勝すると思います」

――東芝の最年長選手、大野均さんには引退をどう伝えましたか。

「おそらくお互い酔っぱらったまま言ったので、大して覚えてないと思いますが…。お疲れさまと握手をしてもらえた。それだけは覚えています。あの人がいたから、僕はファンへの対応だとか、誠実であることの大事さを学んだ。尊敬しています。ジョンさん(42歳までプレーした松田努)を超えて欲しいと思います」

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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