グーグル、米最高裁においてAndroidの著作権侵害訴訟でオラクルに勝訴
「グーグル、米最高裁でオラクルに勝訴--"Android" Javaコード訴訟で」というニュース がありました。
この裁判、いろいろな論点がありましたが、結局のところ、Android OSの開発のために、Java SE APIの宣言コード部をコピーすることが、米著作権法上のフェアユース(公正利用)に当たるかという論点が最後まで争われました。控訴審ではフェアユースにあたらない(ゆえに著作権侵害)と言う判決だったものが、今回の最高裁判決で覆ったことになります。この裁判の控訴審判決については、2年前に記事を書いています(その時点までの裁判の経緯についてもまとめています)。
オラクルのサンマイクロシステムズ買収直後に始まったこの裁判(多額を払って買収したのだから知的財産も最大限に活用したかったということでしょう)、10年以上経ってようやく結末を迎えることになりました。日本における裁判進行の遅さを皮肉った「思い出の事件を裁く最高裁」との川柳を思い出してしまいました。
最高裁の判決文はこちらです(冒頭4ページがサマリーになっていて読みやすいです)。結論部分では「(プログラマーがその才能を新たな成果物で活かすために必要なコードのみを含む)Java SE APIのコピーはフェアユース」と判示されています。大雑把に言うと、このケースでフェアユースを認めないと創造性が疎外され公共の利益が損なわれてしまうという判断が大きなポイントになっているようです。
なお、ここで問題になっているのは、実行コードではなく、宣言コード部(関数パラメーターの定義部等)の話である点に注意して下さい。コンピューター業界では、既存のプラットフォームのAPI部分と互換性がある新たなプラットフォームを作ることはよく行なわれています。今回のケースが著作権侵害ということになってしまうと、単にオラクルとグーグルの2社だけの問題ではなく業界全体に対する影響があることもあって、この裁判は注目を集めていました。
ただし、この事件では、Android OSはJava SEの完全互換プラットフォームではないこと、APIの仕様だけではなく宣言コード部が約11,500行丸コピーされていること等の特殊事情があります。こういった事情があってもフェアユースとされたことから、既存プラットフォームのAPI仕様に基づいて(実装コードを流用することなく)新たなプラットフォームを作り出すことは当然にフェアユースとされると考えて良いのではと思います。
ところで、冒頭引用記事には以下の記載があります。
著作物の利用という無体財産(情報財)の話を金庫の中の現金という有体財産の話でたとえるのは失当だと思います。お金は盗まれればなくなるので絶対的保護が必要ですが、情報財はシェアーすることで社会全体から見た価値を増加する可能性があるので、常に保護と利用のバランスを考えるべきものであるからです(知財入門の授業で最初に話すようなことで最高裁判事を批判するのも気が引けますが)。