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サッカーと怒り。メッシとイ・ガンインの違い

小宮良之スポーツライター・小説家
セビージャ戦後、同胞のバネガと言葉を交わすメッシ(写真:ロイター/アフロ)

「サッカーはエモーションだ」

 そう言ったのは、かつて選手としてACミラン、オランダ代表で世界を席巻し、監督としてもFCバルセロナで一時代を築いたフランク・ライカールト監督で、実に含蓄がある。

 豊富な感情を持ち、人と関わることで増幅させ、それを制御し、活用できるか?

 それが一流選手の条件だ。

エモーションを燃やし、制御できたプジョル

 ピッチで一番、見えやすい感情は不安や喜びだろうか。どちらかに天秤が傾くことで、一気に戦局は動く。少しの実力差は簡単に逆転するだろう。

 例えば、リードしていたチームは追いつかれると、慎重になり過ぎることで動きが硬直し、焦燥によって空回りする。一方、追いついたチームは意気軒昂で確信に満ち、勢いのまま一気に攻めを加速させる。ここで言う感情は、心理、メンタルにも置き換えてもいい。

 スペイン代表、FCバルセロナで世界王者になったカルレス・プジョルは、有り余る感情を燃やし、制御することができた。ヘディングやタックルで渾身をぶつける一方、フェアで乱暴にはならなかった。燃え盛ったようにプレーをしながら、相手を馬鹿にするようなゴールセレブレーションをする味方をたしなめることもできた。

 プジョルは、まさに歴代最高のサッカー選手の一人だ。

 冷静に戦うことができなければ、駆け引きで後手を踏み、出し抜かれる。周りからの尊敬も受けない。どんなに技量に優れていようとも、それは一流とは言えないのだ。

イ・ガンインの乱心

 自分以上の力を引き出す要素としては、怒りがあるかもしれない。

 怒りはピッチで出すのが、一番難しい感情とも言える。ふがいなさに怒り、やられっぱなしに腹を立て、反撃に出られるか。それは自尊心にもつながり、反骨心や不屈さとしては大いなる武器になる。

 もっとも、怒りを使いこなすのは至難の業だ。

 例えばコロナ禍で中断後の再開、レアル・マドリード対バレンシアの一戦で、象徴的な場面があった。

 途中出場したバレンシアの韓国代表アタッカー、イ・ガンインがスペイン代表セルヒオ・ラモスとの球際の争いで、常軌を逸した行動に出ている。相手ボールになったことにいら立って、ラモスの足を1度ならず、2度、3度と蹴り上げた。ボールとはほとんど無関係で、即座に主審からレッドカードで退場を宣告されている。イはふてぶてしくも不服を訴えていたが、情状酌量の余地はなかった。

「アラートが鳴っている」

 スペイン大手スポーツ紙『アス』は、イに対して辛辣な記事を書いている。

「2019年のU―20ワールドカップでMVPになった後、イはアルベルト・セラーデス監督には積極的に起用されていたが、満足な結果が出せなかった。交代要員として600分余りの出場時間にもかかわらず、2枚のレッドカード、3枚のイエローカード。アトレティコ・マドリー戦でも、怒りを制御できずに不必要なファウルで退場になっていた」

 思った以上に、イはこの暴挙で株を下げたと言える。才能に疑いの余地はないが、怒りをコントロールできず、暴力に訴える選手は、「狂犬」と忌み嫌われ、選手仲間から認められない。このままでは、アジアでのマーケティング力だけが“よすが”になるだろう。

怒りを操る天才

 一方、アルゼンチン代表でFCバルセロナのリオネル・メッシは、「怒りを操る天才」と言われる。

「メッシを怒らせるな!」

 それは対戦する選手たちの一つの合言葉だという。怒りでスイッチが入った時のメッシは手が付けられないからだ。

 今シーズン、マジョルカのビセンテ・モレーノ監督がタッチライン際でのプレーで、「ファウルではない」と主張したことがあった。それを側で聞いたメッシが、猛然と抗議した。二人はいくつかの激しい言葉を交わし、それで終わったのだが、メッシは怒りが収まっていなかったという。

「あいつら、7点ぶち込んでやる」

 ハーフタイム、メッシがルイス・スアレスに静かに言っている姿を、マジョルカの選手が目撃していた。怒髪天を衝いたメッシは、この試合でハットトリックを記録。7点には及ばなかったが、5-2での大勝に導いたのだ。

「私はファウルではないと思ったが、実際にビデオで見るとファウルだった。それだけのことだよ。でも、選手からは『監督がメッシを怒らせるから、こんなことに』と言われたよ」

 モレーノ監督の述懐であるが、後の祭りだ。

メッシも堪忍袋の緒が切れる

 メッシはワンプレーで試合を決められるだけに、暴力的なタックルを試合中に何度も浴びている。しかしそのほとんどのシーンで、彼は感情を押し殺し、プレーを続ける。まるで沈黙で復讐を誓うように。

 しかし第30節、セビージャ戦でメッシが珍しく怒りを示したことがあった。ブラジル人ディフェンダー、ジエゴ・カルロスを両手で突き倒した。さらに、言葉を浴びせかけている。

 この直前、メッシは膝に近いところにタックルを受けていた。スパイクの裏を見せる、危険で卑劣なタックルだった。選手生命を奪われかねない。レッドカードが出されて然るべきだ。

 メッシは怒りをあらわにしてしまったが、非はない。怒って当然だろう。堪忍袋の緒が切れたのだ。

 しかし、この日のメッシは相手を叩きのめすような一撃を決められていない。怒りに身を任せてしまったからか――。

「観客の情熱を受け、増幅させる選手が一流」

 スペインでは、そう言われる。感情的になってはいけないが、感情を味方にできないなら、たどり着けない領域がある。有り余る感情を制御したものが、世界のトップに立つのだ。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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