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なぜ“無名”の在日コリアンフットボーラーは高校サッカー経由からスペイン一本でプロになれたのか?

金明昱スポーツライター
スペイン・ADアルコルコンB所属の朴龍二選手(写真はすべて本人提供)

 日本のサッカー選手がスペインに留学するのは今どき珍しい話ではない。

 日本代表MF久保建英(レアル・ソシエダ)やレアル・マドリードのリザーブチームでプレーする19歳のMF中井卓大は、幼少期にスペインに渡ったのを機に現在に至る。また、レガネス所属の日本代表MF柴崎岳やスペイン1部で6シーズンプレーした元日本代表MF乾貴士(清水エスパルス)はJリーグを経験してから海外移籍を実現させている。

 一方で、日本の高校でサッカーを経験した選手が、卒業後にスペインに渡り、現地でプロとなった選手は聞いたことがない。しかし、そんな選手が存在した。名前は在日コリアン4世のMF朴龍二(パク・ヨンイ)。縦へのドリブル突破を得意とするサイドアタッカーで、ADアルコルコンB(セグンダB-セグンダ・ディビシオンRFEF =3部に相当)に所属している。

 日本・東京生まれの在日コリアン4世の23歳で国籍は韓国。高校時代は東京朝鮮中高級学校サッカー部に所属した。高3時には全国高校サッカー選手権の東京都予選の準決勝(ベスト4)まで勝ち進んだが、プロの目に留まるほどでもない。そこで高校卒業後に選んだのは海外進出。それも「日本人選手は成功しにくい」と言われるスペインだった。“日本の高校サッカー”を経て、単身スペインに乗り込み、現地でプロ契約結んだのはおそらく“初のケース”だろう。

 スペイン一本に絞って現地でプロ契約までに至ったきっかけや経緯、これまでの苦労やチーム事情や私生活など、様々な話を聞いた。

サイドから縦へのドリブル突破を得意とする。チームではウイングバックでの起用が多い
サイドから縦へのドリブル突破を得意とする。チームではウイングバックでの起用が多い

高校サッカー経由→スペイン一本でプロは日本初?

――高校卒業後にスペインに渡ってプロクラブと契約を結んだそうですが、Jリーグやその他の海外リーグからではなく、高校サッカー経由は初めてのケースだと思います。スペイン行きを決めたきっかけを教えてください。

 高校2年の時に半年間、スペインに短期留学したんです。父の仕事の関係で知り合いが現地にいたこともあり、スペインでサッカーができる環境があると聞き、行くことを決めました。私も高校2年のときも、Aチームに選ばれてもいなくて、これからのサッカー人生を考えると、一度スペインに行って、見たことのない景色を見てみようと思いました。行けるチャンスがあるなら行ったほうがいいんじゃないかって。色々と悩みましたが、半年だけということだったので、行くのを決めました。

――短期留学したクラブチームはバルセロナが拠点の「サン・アンドレウ」ですが、学んだことや感じたことはたくさんあったと思います。

 とりあえず先入観を持たずに行きました。想像はしていましたけれど、スペイン人の性格は、日本育ちの僕とは人間性がまったく違うと感じました。感受性が豊かですごく明るい。勝ったら騒ぐし、とても負けず嫌い。アンダー世代でも戦術がしっかりしていて、監督がやりたいサッカーを持ってるのもすごく感じました。

――短い期間ですが目標はありましたか?

 半年だけでもできるだけいろんな人に認められたいというのはありました。プロになりたいと思っていたので、がんばれば半年でもどこかから声が掛かったりするのも可能性はあると思っていました。サッカーの練習もそうですが、スペイン語の勉強も同じくらいに頑張りましたね。それがプラスにはなるという確信はありましたから。

ロッカールームでチームメイトと勝利の喜びを分かち合う
ロッカールームでチームメイトと勝利の喜びを分かち合う

――言葉が話せないことで最初は苦労しましたか?

 最初は言葉でかなりきつい思いをしました。人によっては、言葉ができないから下に見られているのは感じましたから。街中や店でも分からないことあると、客が笑っていたりもあったので、そういう孤独感みたいなものはきつかったですね。

「半年のスペイン留学では挫折が大きかった」

――「サン・アンドレウ」の選手たちのレベルはどうでしたか?

 正直、最初に入ったユースのチームも上からA、B、C、D、E、Fのカテゴリーがあったのですが、BとCを行ったり来たりみたいな感じでしたし、Aには行けなかった。ユースのAは1部なんですけど、BやCは3部に相当するレベルなんです。スペインでプロになるのは本当に簡単じゃないんだなと思いました。その時はかなり挫折のほうが大きかったです。

――そんな中でもプロの道は諦めなかった?

 当時は18歳未満だったのでリーグ戦には出られず、練習しかできなかったんです。それでも半年の留学で、かなりスペインのサッカーが好きになりましたし「いつかここでやってみたい」という気持ちになりました。

――Jリーグに入ることは考えなかったのでしょうか?

 東京朝鮮高サッカー部で全国大会に出て、活躍すればどこかの大学から推薦が来たり、プロになれる道もあったかもしれませんが、それも狭き門で自分の実力では叶わなかった。選手権大会の東京都予選も準決勝で敗退して、全国も行けなかったので、そうなると残された道は大学へ行くか、スペインへ行くか。それなら僕はスペインに行きたいと。

――高校卒業後には単身スペインに渡り、「ジョゼップ・マリア・ジェネ(Josep María Gené)」というチームに所属しましたが、どのように入ったのでしょうか?

 半年のスペイン留学で生活面や言葉、知り合いも増えたので不安もなく、スペインに飛ぶことができました。「ジョゼップ・マリア・ジェネ」のチーム名は監督の名前なんです。60代の方なのですが、選手時代はバルセロナ、エスパニョールのカンテラにいたそうで、「カタルーニャ伝説の指導者」として有名な方でした。一度、練習に参加したのですが、すごく雰囲気がよくて、ジェネさんも僕のことを気に入ってくれたのもあって、ここに決めました。ユースの2部だったのですが、僕が行くときには3部になっていて、1年間(2018-19シーズン)リーグ戦でプレーしました。

スペインで数多くの試合をこなし、スキルやフィジカルだけでなく戦術理解度も高まった
スペインで数多くの試合をこなし、スキルやフィジカルだけでなく戦術理解度も高まった

スペイン2部のアルコルコンやバダロナでトライアウト

――2019年からADアルコルコンに移籍して、U―23(Cチーム)でプレーしています。これはオファーがあったのでしょうか?

 当時、アルコルコンのトップ(A)チームはスペイン2部だったのですが、元々なかった「Cチーム」が新たにできたんです。そこで活躍して、しっかり昇格していけば、未来が開けると感じていました。それにCチームは8部からスタートして、7部に昇格した状況だったので、担当のディレクターの方に「トライアウトさせてほしい」と連絡して、入れてもらいました。

――そこからよく合格を勝ち取りましたね。自信はありましたか?

 トライアウトも100人以上いて、その中から15人くらいしか入れないと言われていました。だからこそ、自分の特徴を出していくのは常に意識しましたね。

――22年までU―23(Cチーム)でプレーしていますが、約3年はかなり長いです。Bチームへの昇格チャンスはなかったのでしょうか?

 僕がいたときCチームは当時7部で、副キャプテンを任されていた時に優勝して6部に上がりました。たまにBチームで練習したりもしていたのですが、もう3年目に入って、貢献もしているはずなのになかなか上に上がれない。それで、一旦チームを離れたんです。日本に帰って、Jリーグチームも探していたのが去年の1~2月でした。

Jリーグチームも一度は模索するも…

――Jリーグも模索していたのですね。

 ただJ1スカウトの方に見ていただいても、簡単にはいかないものです。結果的にはまたスペインに渡って、バルセロナにある当時ラ・リーガ2部B(セグンダB-セグンダ・ディビシオンRFEF =3部に相当)の「バダロナ」というチームで去年の3月から5月まで練習しました。それに、その時は僕にとってものすごい挑戦でした。正直6部のレベルから一気に2部Bは“飛び級”に近いので。アルコルコンBでも練習していた経験があるので、なんとか食らいつけると思っていましたし、このあたりから人生が変わっていくのは感じていました。驚いたのがバダロナの指揮官が元スペイン代表のハビ・モレノ監督だったんです。Jリーグ入りできなかったのも、モレノ監督との出会いも何かの縁だと感じました。

――つまり、去年の3~5月まで練習しながらトライアウトを受けていたということですね。

 その通りです。ただ、また状況が変わって、バダロナが2部Bから4部に降格したことで、モレノ監督もいなくなり、練習してきたのが無駄になったような感じになってしまって…。元々は2部Bのバダロナに入ろうとしていたのでどうしようかと思っていたところで、また転機が訪れました。

スペイン語が話せることでチームメイトとのコミュニケーションもスムーズに
スペイン語が話せることでチームメイトとのコミュニケーションもスムーズに

――それはどんな話でしょうか?

 去年の9月からアルコルコンBに就任した監督が、以前、(アルコルコンの)U-19Aチームでトレーニングしてた時の第2監督だった方でした。その監督が4部から2部Bに昇格させた状況だったんです。僕のプレーを褒めてくれていたこともあって、「ヨンイか、知ってる」という話になったみたいで、様々なことが重なって、去年の8月31日付で契約に至りました。驚きましたけれど、めちゃくちゃうれしかったです。ものすごい急な話でしたが、一歩ずつステップアップできています。これから試合で結果を残して、もっと上を目指していきたいです。

スペイン人は自分のやりたいサッカーが絶対にある

――朴選手のプレーの特徴を教えてください。

 両サイドからの攻撃とドリブルが得意なのですが、スペインではサイドバックで起用されることが多いです。日本のサイドバックだとやっぱりディフェンス寄りのイメージになりがちですが、スペインは細かいパスで全体的に上がっていく感じなので、サイドバックもほぼウイングです。ウイングバックのイメージです。

――攻撃的なスタイルが持ち味ではありますが、守備への意識などサッカーに対する考え方は変わりましたか?

 守備に関しては、最初は慣れなかったです。みんなでラインを合わせてやることかも習慣化されてなかったので、最初は苦労しました。ただ、その中でたくさんの発見もありました。それは“選択肢”がすごく増えたこと。日本にいる時、高校時代はウイングはサイドからドリブルを仕掛けたり、サイドのスペースで受けてクロスボールを上げたりとか、サイドバックも基本的にはディフェンスするだけみたいなイメージでした。スペインに来ると、結果が伴えば別にサイドバックでも中に入ってロングシュートを打ってもいいし、どんどん仕掛けてもいい。ウイングだからといって、サイドばかりのポジションにこだわり過ぎなくてもよくて、もっと自由にサッカーしていいことが分かりました。ポジショニングもすごく変わりました。

現地にはたくさんのスペイン人の知り合いができ、私生活も楽しく過ごせるようになった
現地にはたくさんのスペイン人の知り合いができ、私生活も楽しく過ごせるようになった

――具体的にはどういうことでしょうか?

 ラインのサイドを最大限に広く使うのを学びました。ウイングもサイドバックも、無駄に近づくと相手に詰められますが、広がることで、味方もうまくスペースを使えるようになる。そのポジショニングはものすごく学びましたね。

――監督やチームメイトが求めていること、戦術を理解する能力も必要となると思います。

 スペイン人は自分のやりたいサッカーが絶対にあるんです。例えば、裏に抜けてほしいサッカーをしたいとか、細かいパスでつないでいきたいとか、フォワードにヘディングで競らしたりと、とにかく自分が好きなサッカースタイルがあるんです。監督ごとにそうした戦術がしっかりしてるので、その戦術を理解しない選手が練習にいると、時間の無駄になるということも分かりました。スペインのクラブは練習も1時間ちょっとと短い。リズムを大事にしていて、質の高い練習というのがベースにあります。なので、僕は自分の個性も見せながらも監督がやりたいサッカーをやるように心がけています。

――これからの目標について教えてください。

 簡単ではないことですが、いつかスペイン1部でやりたいなとは思ってます。同時に受け入れてくれるクラブがあるなら一度日本に戻りJリーグでやってみたい想いもあります。Jで実績を積んでスペイン再挑戦したい考えもあります。これからも前を向いて行動あるのみ。とにかく一つでも多くの試合に出て、チャンスをものにできれば、少しずつですが道は開けてくると思います。

高卒後に単身スペインに渡りスペインでプロになった朴龍二選手。スペイン生活は5年目。1部でのプレーを夢見る
高卒後に単身スペインに渡りスペインでプロになった朴龍二選手。スペイン生活は5年目。1部でのプレーを夢見る

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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