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2016 ドラフト候補の群像/その6 板東湧梧[JR東日本]

楊順行スポーツライター
雑誌『ホームラン』毎年恒例のドラフト号が発売になりました

高校野球好きなら、板東湧梧の名前に記憶があるんじゃないか。鳴門のエースとして4季連続甲子園に出場し、3年だった13年夏には準々決勝まで進出した。だがここで対戦した花巻東打線には、執ようにカットで粘られて体力を消耗、根負けした。そう、物議をかもしたあの"カット打法"騒動の登場人物である。野球は、あれでやり尽くしたつもりだった。だが、たまたまJR東日本から声がかかる。大きくて、立派な会社に入れたな……と、1年目は浮かれ気分だった。

「それまで社会人野球といっても、予備知識はほとんどありません。幼いころにたまたま目にした中継で、長野さん(久義・当時Honda、現巨人)を見た記憶があるくらい。ただ、いざ入社してみると、投内連携などの細かさにびっくりしました。高校である程度こなしてきたとはいえ、動きのひとつ、体の向きひとつとっても細かさのレベルが違いました。あとは、先輩が怖い、という高校生のイメージとはギャップがあって(笑)。片山(純一)さんでもキャリアはすごいのに、気軽に話しかけてくれるんです」

入社したときは68キロといかにも細く、「まずは体づくりに専念」と指示された1年目。いわばお客さんのような気分だったから、社会人野球の最高峰・都市対抗でベンチに入れなくても、「おもしろいな」とワクワクしながら人ごとのように試合を見ていたという。だが2年目の15年には、意識が変わった。JR東日本という強豪で高卒2年目の投手なら、都市対抗でベンチ入りできなくてもまあ、不思議はない。だけど板東は、「2年目もベンチに入れなかったのは、悔しさしかない」というのだ。佐野日大から同じ高卒の田嶋大樹が入社し、ルーキーとしていきなり主戦級になったことも無関係ではない。

「2年目には体重が10キロほど増え、スピードも上がっている実感があり、早く投げたいとずっと思っていましたから」

「一目置く」山岡と互角の投げ合い

ただ、順調に経験は積んできた。1年目には日本選手権で登板し、15年は春先のスポニチ大会から投げている。そして、

「高校まではキャッチャーのサイン通り投げるだけでしたが、いまはバッテリー間で話し合い、考える力、なんとなくこの打者は怖いと感じる力もついてきたと思います」

という今年も、春先から先発の一角に食い込んだ。なかでも都市対抗予選の東京ガス戦では、山岡泰輔と投げ合い、7回途中まで2安打無失点。ドラフトの目玉といわれる同期生に投げ勝ったわけだ。もともとカーブ、カット、スライダー、フォークと球種は多彩で、最速144キロの速球も力強さを増している。

「少しずつ大事な試合を任せてもらえるようになり、野球ができているという実感があります」

来年のドラフト上位候補・田嶋が先発完投した都市対抗は1回戦負けで、いまだに東京ドームの舞台は踏んでいないが、

「田嶋のあの真っ直ぐはまねできない。だけど、柔軟性やしなやかさは見習いたく、肩のストレッチなどは入念になりました」

と、どん欲な一面ものぞかせた。同期の山岡には一目置いているというが、

「自分も、あわよくばプロ、と考えるくらいには欲が出てきた。入社したころは欲を持つだけの力がなかった。なにしろ、"いい会社に入れたな"というだけで満足していたくらいですから(笑)」

画像検索してみてほしいほどの甘いイケメンが、凜々しく引き締まった。

●ばんどう・ゆうご/投手/1995年12月27日生まれ/181cm78kg/右投右打

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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