日本はどうして賃金が上がらないのか
日本の最低賃金は798円
今年度の最低賃金は全国加重平均で昨年度より18円(2.3%)アップの798 円に引き上げられた。最高額は東京の907円。最低額は鳥取、高知、宮崎、沖縄の693円。時給798円で1日8時間、月22日間働いても月収は14万448円に過ぎず、生活は安定しない。
安倍晋三首相の経済政策アベノミクスは株価や都心部の不動産価格、輸出企業の収益を押し上げた。実質賃金もプラス圏に浮上し始めたが、2010年の水準に戻す道のりはかなり険しい。団塊の世代の大量退職で正規雇用を非正規雇用に切り換える動きが一段と進んだからだ。
原油価格の急落もあって日銀の思惑通りインフレが進行しなかったことが、国民にとっては救いとなっている。賃金がどんどん上がっていかなければ消費は回復しない。アベノミクスは袋小路に入ったまま、「名目国内総生産(GDP)600兆円達成」という新たな大風呂敷を広げた。
インフレが進まず、15年度の実質成長率が0.6~1.1%(日経新聞討論会)にとどまる中、アベノミクス第2幕の幕を開ける道筋は見えない。
低い日本の労働生産性
経済協力開発機構(OECD)の2012年データによると、労働1時間当たりの名目GDPは米ドル換算で、日本は40.1ドルと、ノルウェーやルクセンブルクの半分以下だ。筆者が暮らす英国の48.5ドル、OECD平均の46.7ドルに比べても低い。
日本の労働生産性の低さは、失業率が他の欧米諸国に比べて低いためだとよく解説されるが、果たしてそうだろうか。終身雇用制と年功序列が完全にはなくならず、さらに正規雇用と非正規雇用が固定化したため、低賃金の労働力が生産性の低い分野に流入した。日本は若者や女性を虐げ、外国人労働者を排除してきたため、時代の変化とグローバル化に完全に乗り遅れてしまった。
雇用者報酬を国民所得(要素費用表示)で割った労働分配率(%)でも日本は、英国に逆転されている。日本は失われた20年の間に、「低賃金」が「単純労働者」を拡大させるマイナスのスパイラルから抜け出せなくなってしまっている。団塊の世代の大量退職で労働市場が供給不足になった今こそ、「高賃金」が「技術労働者」を増やすプラスのスパイラルに転換する最大のチャンスだ。そのためには賃金を上げてやる必要がある。
英国は生活賃金を導入
英国では最低賃金でフルタイム働いても暮らしていけないことから、ロンドンを中心に労働者とその家族の生活を保障する水準の「生活賃金」が導入された。来年4月からは25歳以上の労働者を対象に1時間当たり7.2ポンド(約1339円)の法定生活賃金を全国一律に導入し、20 年までに9ポンド(約1674円)に引き上げる。
ロンドンの生活賃金は今年、1時間当たり25ペンス上昇して9.4ポンド(約1748円)に、ロンドン以外では40ペンス上昇して8.25ポンド(約1535円)になったと、生活賃金の改定を答申している「生活賃金財団」が発表した。法定生活賃金をはるかに上回る上昇ペースだ。
英国ではすでに約2千の事業者が生活賃金を自発的に導入、6万8千人が対象になっている。法定生活賃金が導入されれば来年4月に65%増の250万人以上が賃金保障の対象になる。2020年にはその数は380万人に膨れ上がる。
国際会計事務所KPMGの調査では、これまでの生活賃金(時給でロンドン9.15ポンド、英国で7.85ポンド)より低い賃金で働く労働者は約600万人に達しているという。
法定生活賃金の導入で大手スーパーのテスコは2020年までに5 億ポンド(約930億円)のコスト増になると悲鳴を上げる。清掃、宿泊・接客など最低賃金で働く単純労働者の生産性を高めるのは難しい。しかしオズボーン財務相は法定生活賃金の導入で6万人の失業者が出るかもしれないが、全体で100万人の雇用増になると強気のシナリオを抱く。
企業規模が小さくなるほど最低賃金で働く労働者の比率は高くなり、昨年10月時点で10人未満の会社では12.2%、250人以上の会社は3.8% だった。
最低賃金を政府に勧告する独立機関・低賃金委員会のノルグローブ議長は英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューに「10月から最低賃金が時給6.7ポンド(約1246円)に引き上げられるが、小さな会社に大きな影響が出るだろう」と警鐘を鳴らす。
実質賃金が上昇を始めた英国
英国でも2008年の世界金融危機を境に実質賃金は下がり続けていた。水色の棒グラフ(消費者物価指数)が赤い折れ線グラフ(平均賃金の年間変化率)や黒い折れ線グラフ(同じ仕事での賃金変化率)を上回れば、実質賃金は下がる。
賃金の上昇率がインフレ率を上回るようになったのは昨年の後半からだ。原油価格の急落が追い風になったのは間違いない。英国では民間消費がGDPの65%を占める。賃金がインフレ率を上回って上昇し続けなければ消費は増えず、英国経済の好循環は戻らない。このチャンスを逃すまいと、オズボーン財務相は法定生活賃金の導入で賃上げを後押しする。
強欲なバンカーが引き起こした世界金融危機を克服するため膨大な税金が投入された。割りを食ったのは福祉や賃金がカットされた低所得者層だ。英中央銀行・イングランド銀行の量的緩和で不動産や株式を持つ富裕層の資産は膨れ上がった。グローバリゼーションとICT (情報通信技術)の進展で労働者の賃金はずっと下方圧力を受けている。
2001年、市民団体「ロンドン・シチズンズ」が雇用者に生活ができる賃金の支払いを求めて運動を始めたのが生活賃金導入のきっかけとなった。同じような運動が起きていた米東部ボルチモアの住民と連絡を取り合った。「ロンドン・シチズンズ」に参加する移民たちは賃金が低すぎて1日に2回働くダブルワークを強いられ、子供と過ごす時間も奪われていた。
日本では、賃金が上がらないことから消費が増えず、景気の先行きは見通せなくなっている。企業は、少子高齢化が進む国内市場には投資せず、海外企業を買収している。若者たちは正規雇用の指定席を求めて、リスクをとらなくなっている。移民についても拒絶反応は相変わらずだ。若者や女性を低賃金で働かせて得た利益は海外に投資され、人口はどんどん減っていく。
こうした悪循環を断つためには、日本は若者たちが家庭を持って子供を育てていけるよう、まず賃金を上げるべきだ。
(おわり)