塀の向こうの学習支援 多摩少年院の挑戦
冷たい風が吹く東京都八王子市にある多摩少年院に訪問すると、多くの大人が往来をしていた。法務教官や法務技官ではなく、少年院の外部からやってくる人々だ。
少年少女の立ち直りをお兄さん、お姉さんの立場から支えていくBBS(Big Brothers and Sisters)活動に参加している学生、退院後の生活を見守る保護司と思われる方々が頻繁に出入りしている。
現在、少年院では社会にその扉を開き、社会の風を院内に通していこうという動きが活発となっている。多摩少年院での風景は、塀の中と外を隔てる境界線が少しずつ変わってきている象徴のようだ。
この日は、週一回の個別学習支援のため育て上げネットの担当職員とNPO法人キズキの安田祐輔理事長とともに多摩少年院を訪問した。
少年院と言うと、退院後は仕事に就き、社会生活を送っていくイメージが強いが、近年、復学や進学、高卒認定試験を受けたいという若者が増えているという。
「高校は卒業していきたい」「大学や専門学校で学びたい」という気持ちに加え、親身に話を聞き続ける教官や、社会の大人との接点が増えたことも影響しているかもしれない。
高卒認定試験合格を目指す若者が増えている
多摩少年院では今年約80名ほどが高卒認定試験を受け、約40名が何らかの科目に合格し、16名が全科目合格を果たしたという。
そのような若者の変化を捉え、目標を持って学習していこう。更生自立していこうとすする姿を後押しすべく、多摩少年院は院と社会の接続のための挑戦をしている。
多摩少年院の挑戦
そのひとつが、今回の学習支援である。何が挑戦であるのか。それは少年院の在院者が別部屋で講義や講座を受けるのではなく、彼らの生活空間である寮内に私たち外部の人間が入って個別学習を行うことだ。
彼らは、資格取得や学び直しなどを行う自己計画学習の時間が設定されており、基本的には自学自習スタイルで目標に向かっていく。それは自らと向き合う時間と言えるかもしれない。
教官の後について五つある寮のひとつに入る。「こんにちは!」という大きな声で迎えられる。すぐに彼らは机に向かう。教官がそれを見守っている。すぐ脇にあるスペースで二人の若者が静かに座って待っている。
机をはさんで講師が座る。目の前には、個別指導を望む二人の若者。互いに挨拶をし、背後にはホワイトボードがあり、彼らは学びたい教科のテキスト、ノートに筆記用具を準備している。
講師は寮内での立ち振る舞いや、若者たちとのかかわりにおける注意事項を確認している。そして個別学習を希望する若者を見て、コーディネーターが講師に誰を担当するのかを割り振る。
ひとりは、数学のテキストから「正負の数の四則計算」を課題として設定し、もうひとりは高卒認定試験の英語のテキストを選んだ。学習の雰囲気は、どこにでもある個別学習スタイルと変わらない。ただ、この場所が矯正教育を受ける少年院の寮内ということだ。
部屋には全体で20名程度の若者がおり、物音はほとんどしない。ときおり、資料やテキスト、新聞を取りに机と書棚を往復するくらいだ。そのため私語もない。話をしているのは、個別学習を受けている若者と支援員だけである。
数学を選んだ若者は、カッコの外側にマイナスがあるパターンと、内側にマイナスがあるパターンに、分数の掛け算・割り算、そしてn乗が絡むと混乱してしまうという。そこで講師は、テキストの基本的な問題をやってもらい、観察をする。
「そこは端折らないで、面倒でも一つひとつ解いていってみよう。ここはマイナスがカッコの外にあり、内側にもマイナスがあるからマイナスとマイナスで?」
「あっ、プラスです」
間違った場所に消しゴムをかけ、改めて丁寧にやっていく。
「あってますか?」
不安そうな表情で講師に確認をする。
「あってるよ!できてるじゃないですか。丁寧にやればできるし、ケアレスミスがなくなりますね」
そういう講師の声掛けにまたパっと表情が明るくなる。類似問題もスムーズに解けると、「結構、数学得意なのかもしれない」と笑う。
もうひとりの若者は英語がまったくわからないという。確かに、見ていても英語を習ったことのない状態のようだ。そこで講師は、日本語として使っている言葉と英語が同じものを挙げていく。
「これなんですか?」
「これはベストだね。これはわかる?」
「一番ですかね」
「そう!」
「グッドは?」
「えーっと、よい」
「そう!」
若者の顔が笑顔に変わる。その後、be動詞や疑問文などを伝えていくなかで、わからないことが多いが、知っていることもあることで安堵していく様子が見て取れる。
5W1Hの話をしたとき、「ホワイ」の意味を知らないという。
「ホワイは、なんで、なぜっていう意味だよ」
「あっ、厚切りジェイソンのやつですか?」
「そうそう!」
著名な芸人のネタと目の前のノートに書かれたWhyの意味がつながっていく。まったく英語がわからないと自信喪失している若者に希望が見えているようだ。
そんな個別学習が90分程度行われる。数学を選んだ若者は、テキストの応用として「分配法則の利用」を自分のものにしたところで終了。テキストの問題も、講師が即興で作った問題も解けるようになり、学習開始時点と表情がまったく異なっている。
英語を選んだ若者は、途中から高卒認定試験で英語に合格するための相談になっていった。現状からすべてを網羅的に身に着けることはかなり難しいと考えたようだ。講師は、試験問題の最初の方の文法など比較的取りやすい問題と、後ろの長文読解などを比較し、配点などを含めて、どうしたら合格ラインに突破できると思うかについて質問をしたり、私見をそっと示唆していた。
当初、個別学習を希望する若者は10名から20名の想定だったそうだ。しかしながら、一回受けた若者が再度希望し、また、受講している様子を見ていた他の少年たちからも手があがったことで、いまでは倍以上の希望者がいるという。勉強したい、学びたい気持ちが顕在化している。
現状では、さまざまな諸条件があるなかで、一回の個別学習にかかわれる職員の数は限定的である。新たな取り組みであることから徐々に進めているということもある。今後、どのようにしていくのかは多摩少年院の方々とすり合わせていく必要がある。
一期一会の学習支援
この学習支援は「一期一会」に近い。同じ若者と出会うかどうかもわからない。そのため、どこかで止まってしまった学習における時計の針を進め続けることはできない。わからないところをわかるようにするのではなく、わからないことは「できない」のではなく、わかるようにすれば「できる」という経験を持ってもらうこと。これは自己肯定感につながる。
また自学自習でも理解を深められるよう、わからないことにぶつかったときどうしたらいいのかを学ぶこと。これは少なくない若者が退院後、自らの力で生計を立て、生活していかなければならないとき、わからないことや困ったとき、それを乗り越えよう、解決しようという気持ちと行動になっていく。
今回の二人の若者は、勉強ができないわけではなかった。学習でつまづいたとき、それがそのままになってしまい、誰からも気が付かれないままになってしまっていること。それが「自分は勉強ができない」となり、できない自分は何をやってもダメなのだ、という認識になってしまっていただけなのではないだろうか。
講師の「そう!」「合ってる!」の言葉は彼らの笑顔につながり、「できている」「完璧!」の声に、自信を取り戻していく姿が強く印象に残った。
これは塀の向こう側にある学習支援の風景であるが、一方で、貧困状態にある子どもたちの学習でも感じる共通点である。わからないまま見過ごされ、私たちが声をかけてあげることができなかった子どもたち。そういう成育歴のなかで生きづらさを抱える大人たちも、そうであったのかもしれない。
塀の向こう側とこちら側は何が違うのだろうか。それとも根底にある何か、社会が解決できてない課題の放置があり、その進路がたまたま分岐してしまっているだけなのだろうか。