ブリーダーズCを1日で2勝の快挙を達成した矢作調教師から教わった事
ブリーダーズC2勝という快挙
皆様ご存知のように矢作芳人調教師(60歳)が快挙を成し遂げた。
現地時間11月5、6日にデルマー競馬場で行われたアメリカ競馬の祭典ブリーダーズCで、管理馬が日本調教馬として史上初めて優勝。それも2つの異なるカテゴリーで1着になってみせたのだ。
6日の土曜日、まず戴冠したのはラヴズオンリーユー(牝5歳)。牝馬を対象とした芝2200メートルのブリーダーズCフィリーアンドメアターフ(GⅠ)に出走すると川田将雅騎手の冷静な手綱捌きに導かれて見事に優勝。返す刀で牝馬のダートによるブリーダーズCディスタフ(GⅠ)をマルシュロレーヌ(牝5歳)が制覇した。日本調教馬による初のブリーダーズCシリーズ優勝の快挙から僅か約2時間後に早くも同シリーズ2勝目をあげたのだ。ブリーダーズCの優勝馬には鮮やかな花で装飾された優勝レイが贈られるが、地元アメリカ勢やヨーロッパのトップトレーナーが1人で幾つもこのレイを持ち帰り厩舎のハナ前に飾る光景は毎年必ず目に出来る。しかし、日本の調教師が同じような立場になる日がこんなに早く来るとは思いもしなかった。いや、思いも出来なかった。
アメリカでダートGⅠ制覇の偉業
とくに驚かされたのはマルシュロレーヌのディスタフ勝ちだ。
フィリーアンドメアターフは先述した通り芝中距離の牝馬によるGⅠ。芝・中距離戦での日本馬のレベルは高く、ウインブライトやエイシンヒカリ、古くはシャドウゲイトやルーラーシップなど日本でGⅠを勝っていない馬が海外のGⅠを制するケースが数多あるカテゴリーだ。とくにラヴズオンリーユーは2410メートルのドバイシーマクラシック(GⅠ)で欧州トップクラスのミシュリフと接戦を演じており、今回のメンバーで同じパフォーマンスの出来る馬が何頭いるか?と考えるとかなり有力なのは疑いようがなかった。
言い訳がましくて申し訳ないが、グリーチャンネル等の予想で私がラヴズオンリーユーに◎を打たなかったのはJRAプールだと日本馬が売れ過ぎる傾向にありオッズ的な妙味を感じられないため。評価とは別に“印を落とした”わけだ。
代わりに本命としたアウダーリャは大外枠で序盤から悪い位置取りになってしまった。その後、最内に入れたところ今度は外へ出す場面を逸した。4コーナーを回った後、やっと大外へ出せたが300メートルに満たない直線では完全に脚を余し5着まで追い上げるのが精一杯。枠順が違いスムーズな競馬ならもう少し違う結果にはなっただろう。しかし、それでラヴズオンリーユー陣営の牙城を崩せたかというととてもそうは思えない。そのくらい日本の女王の力は抜けており、私の予想は無理があったという事だ。
一方マルシュロレーヌが挑戦したのはダート戦。アメリカといえばダート競馬の本場と言っても過言ではない。つまり相手の本拠地に果敢に殴り込みをかけた形であり、予想の印をつけるとしても正直な話、個人的に日本馬には印を打てなかった。このレースはフィリーアンドメアターフと違い日本では馬券を発売していないので、JRAプールがとうとか、日本馬が売れ過ぎるとかに関係なく、印は打てなかったのだ。
というのも今年のディスタフはなかなかの好メンバー。話の本筋ではないので詳細は記さないが、出走馬のレベルはかなり高かった。だからマルシュロレーヌがどうというのではなく、かの地のダートに全く実績のない日本馬に印は回らなかったのだ。
しかし、門外漢の浅はかな結論を嘲笑うようにマルシュロレーヌは走った。当方の机上の計算では何時間かけても出せない回答を矢作はいとも簡単に解いてみせた。そういえばこの指揮官は、以前、言っていた。
「アメリカのダートを制そうと思ったら日本の芝で走れる馬を連れて行かないとダメだと思います」
今回の勝利はまさしくそんな持論を証明する結果だったのだ。
伯楽が教えてくれた事
さて、似たようなやり取りを、実は以前、矢作本人とかわした事がある。2016年、リアルスティールで制したドバイターフ(GⅠ)から世界中で活躍している矢作だが、これはまだ世界では勝てていない時の話だった。
ドバイへ複頭数連れて行き、いずれも惨敗した事があった。そのレースを制したのは他国から来た明らかに実績上位と思える馬。馬券発売こそなかったが、あればいかにも順当と思える結果で終わった。
これを受けて私は「相手関係もしっかり研究して挑戦するか否か決めないとダメ」という趣旨の話を矢作に向けてしたのだ。いつもは多少無礼な質問をしても笑って諭してくれる矢作だが、さすがにこの時は少し語気を荒げて「それはないよ」と反論された。
何のリスクも背負っていない当方が、算盤だけ弾いて偉そうに説法を説いたのだから、今、思えば失礼極まりない話である。大魚を釣り上げようと思えばまずは釣り糸を垂らさない事には始まらないのだから、その行為を釣りの準備も何もしていない人から咎められれば機嫌を損ねるのは当然だ。
しかし、矢作が怒ったのはその時だけだった。その後は従来通りに接してくれている。こちらからすれば取材拒否をされても無視をされても文句を言えない立場なのに、寛容な態度でかえって申し訳なさが募った。これが計算された人心掌握術か否かは私のような浅い人間には分からないが、この器の大きさこそが、彼の人望の厚さにリンクしているのはよく分かったものだ。
先述した通り初期の遠征時は世界の壁にことごとく弾き返されてきた矢作だが、今回のブリーダーズCを見るまでもなく現在では世界中を席巻するYAHAGIとなった。この地位を確立するためには過去に積み重ねた敗戦という経験が糧になっているのは間違いない。そう、私が「ダメ」と言った敗戦も矢作にとっては今日に繋がる大事なステッピングストーンだったのだ。今回のブリーダーズC2勝という朗報に改めてそんな事が思い起こされた。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)