最高裁のNHK判決に憤り、次の国民審査で裁判官全員に「×」を付けたくても不可能 制度的な欠陥と改善点
放送法の規定を合憲とし、NHKを見ているか否かに関わりなく、NHKとの裁判で敗訴判決が確定すれば、テレビの設置日以降の受信料を全て支払わなければならないという最高裁判決。
「最高どころか最低だな」と憤りを覚え、「次の国民審査では判決に関与した15名の裁判官全員に『×』を付けてやる」と心に決めた人も多いだろう。しかし、国民審査には制度的な欠陥があり、その思いはかなわない。今回はこの問題を取り上げ、改善策などを示したい。
【国民審査のタイミング】
最高裁の裁判官は、憲法の規定に基づき、任命後初めて行われる衆院選の際に国民審査を受け、それから10年経過後に初めて行われる衆院選の際に再審査を受けるとされている。
これを前提とすると、就任直後に衆院選が行われれば、最高裁の裁判官として実績や判断材料が乏しいにもかかわらず、国民審査を受けるということになる。
1986年には就任からわずか24日で国民審査を受けた裁判官がいたし、2014年に国民審査を受けた裁判官の一人も、就任後、2か月しか経っていない状態だった。
今年10月の国民審査を見ても、対象となった7名の裁判官のうち、1名は就任6か月、1名は7か月、1名は8か月ほどだった。
逆に2012年の国民審査では、そのわずか10日後に定年退官した裁判官がおり、審査の意味があったのかといった疑念が生じた。
他方、退官や死亡に至るまで衆院選がなければ、全く国民審査を受けないで終わる(過去2名)。
また、現実には再審査など行われていないので、一度国民審査を受ければ、以後の実績の良し悪しや言動などを問わず、そのまま定年退官を迎えることとなる。
というのも、定年は70歳だが、どの裁判官も法曹界や官僚、学者の世界で経験を積んだ後、60歳を超えて就任するのが過去50年間の慣例となっており、現実には定年まで10年を超えることなどあり得ないからだ。
過去3回、すなわち2012年から今年10月までの国民審査を見ても、いずれも審査の時点で既に63~68歳の裁判官ばかりであり、再審査などあり得ないから、最初で最後の機会だった。
【今回の裁判官の場合】
判決書によると、今回のNHK判決に関与した裁判官は、次のとおりだ。
・寺田逸郎(裁判長・元広島高裁長官)
・岡部喜代子(学者)
・小貫芳信(元東京高検検事長)
・鬼丸かおる(弁護士)
・木内道祥(弁護士)
・山本庸幸(元内閣法制局長官)
・山崎敏充(元東京高裁長官)
・池上政幸(元大阪高検検事長)
・大谷直人(元大阪高裁長官)
・小池裕(元東京高裁長官)
・木澤克之(弁護士)
・菅野博之(元大阪高裁長官)
・山口厚(学者・弁護士)
・戸倉三郎(元東京高裁長官)
・林景一(元外交官)
判決書には、このうち、岡部、鬼丸、小池、菅野裁判官の意見が示されているものの、多数決の結論に賛成した上で、理由付けや立法的解決策などを補足しているにすぎない。
また、木内裁判官だけが反対意見を示しており、その意味では14対1の結論となっているものの、その意見も、裁判所が判決によって設置者に受信契約の承諾を命じることまではできず、設置者の不法行為や不当利得に当たるから、損害賠償請求などによって解決すべきだという立場だった。
あくまで放送法の規定を合憲と見ることを前提としており、15名全員が合憲と述べているに等しい。
このうち、寺田裁判長、岡部、小貫裁判官は2012年の、鬼丸、木内、山本、山崎、池上裁判官は2014年の、大谷、小池、木澤、菅野、山口、戸倉、林裁判官は今年10月の国民審査を受け、既に信任されている。
すなわち、15名全員が就任後の国民審査を経験済みであり、10年以内に定年などで確実に退官することを考慮すると、彼らを再び国民審査にかけ、「×」を付けることなど不可能だ。
現に、寺田裁判長は来年1月に70歳を迎え、そのまま定年退官することとなっており、既に次の長官として大谷裁判官の就任が内定している。
国民の怒りを買う可能性が高いNHK有利の歴史的な判決であり、最高裁が国民審査の対象となっていた大谷裁判官ら7名に対する不信任を避けるため、わざわざ判決言渡しの期日を国民審査の後になるように設定したのではないか、といった穿(うが)った見方もある。
しかし、首相が衆議院解散を決めて公表したのは9月25日、衆院選・国民審査は10月22日、最高裁が弁論を開いて当事者双方の意見を聞いたのは10月25日、判決言渡し期日が決まったのは11月2日だから、そうした見方はただの陰謀論にすぎない。
国民審査のシステムは憲法で規定されており、憲法の改正を要する問題なので実際には困難かもしれないが、やはり国民審査を実りあるものとするためには、衆院選に加えて参院選などでも行い、かつ、全裁判官を毎回審査できるような制度改革を行うべきだろう。
【決定的な情報不足】
他方で、「憲法の番人」と呼ばれる15名の裁判官のうち、その氏名を以前から知っており、顔を思い浮かべられ、略歴や関与した代表的な裁判、その際の判断内容などを挙げられる人がどれだけいるだろうか。
選挙管理委員会は、国民審査に際し、各裁判官の氏名や顔写真、略歴、心構え、最高裁で関与した主要な裁判などを掲載した「審査公報」と呼ばれる新聞紙大の文書を全戸に配布している。
しかし、どの裁判官も法曹界や官僚といった出身母体で要職を歴任してきたとか、中立公正、公平といった裁判官としてごく当たり前のことを心構えにしているなど、言わずもがなの情報しか分からない。
関与事件に関する記載も少ない上、判決文を要約した法律用語満載の硬い文章であり、一般国民にとって実に分かりにくい内容となっている。
もちろん、最高裁入りする前に裁判官や検事、弁護士、官僚、学者としてどのような事案に関与し、いかなる判断を下してきたのかといったことは、全く分からない。
重要な情報源であるマスコミも、就任時に「ベタ記事」を出す程度で、個々の裁判官に関する突っ込んだ特集を組むことなどないし、国民審査の時期であっても、国政を左右する衆院選と併せて実施されることから、どうしても報道の比重がそちらに偏ってしまう。
政見放送のような制度もないから、国民は裁判官が自分の言葉で発言しているナマの姿を全く見ないまま、その審査に臨まざるを得ない。
確かに複数の候補者の中から新たに国会議員を選ぶ衆院選と、既に就任している裁判官を辞めさせる国民審査とを同列に論じることはできない。
しかし、判断すべき材料が決定的に欠けているにもかかわらず、辞めさせるべきか否かの判断をしろというのは、さすがに無理な話だ。
国民にとって司法をより身近で開かれたものとするため、将来的にはアメリカなどのように裁判手続のテレビ中継が実施されるべきであるが、現段階でも、例えば各裁判官が司法に関する考えを自らの言葉で語った動画を最高裁から配信するなど、より広報活動に力を入れるべきだろう。
【棄権も可能】
辞めさせたいと思う裁判官がいれば、投票用紙に印刷された裁判官名の上部の空欄に「×」を書けばよいが、逆に辞めさせたくないからと「○」を書いたり、よく分からないからと「?」や「△」などを書けば、その投票用紙全体が無効となる点に注意を要する。
そうした余計な記載が一切ない有効票のうち、「×」が50%超となった裁判官のみ辞めさせられるが、空欄は信任とみなされるから、実際の不信任率も約6~8%にとどまる(過去最高でも約15%)
この結果、1949年以降、誰ひとりとして国民審査で辞めさせられた裁判官など出ていない状況だ。
しかし、全てを空欄とする場合はもちろん、一部を空欄とした場合であっても、実際には積極的な信任ではなく、単に判断材料が乏しいので判断できなかったとか、興味がないといった棄権票も多く含まれていると見られる。
これは、ごく単純な方法で棄権が可能であるにもかかわらず、国民に周知されていないことが原因だ。
すなわち、棄権したい場合には、受付でその旨を選挙管理委員会の担当者に告げ、最初から国民審査用の投票用紙を受け取らないか、いったん受け取った投票用紙を投票箱に入れず、担当者に返せばよいだけだ。
もちろん、国民審査だけ棄権となり、衆院選の投票は可能だ。
ただし、全裁判官に関して一括して棄権できるだけであって、A裁判官は不信任、B裁判官は棄権といったやり方は不可能だ。
棄権率が上がれば相対的に有効票数が減る一方、不信任率は上がることだろう。
本来は国民審査に関する法律を改正し、辞めさせるべき裁判官を「×」、そうでない裁判官を「○」、棄権を空欄とするといった投票方法に改めるべきだが、最高裁の強い抵抗もあって、実現には至っていない。
【次回の国民審査に向けた心構え】
このように形骸化した欠陥だらけの制度ではあるが、司法の頂点である最高裁に民意を直接反映させる貴重な手段であることは間違いない。
選挙管理委員会の審査広報やマスコミ報道では十分な判断材料が得られない以上、国民自ら各裁判官の氏名をインターネットで検索するなどし、玉石混交の情報の中から材料を拾い集め、判断するほかない。
例えば、これからも民主主義の根幹をなす選挙に関して「一票の格差」が問題となる裁判が行われるであろうが、そこで誰が「合憲」とし、誰が「違憲状態だが選挙は有効」とし、誰が「違憲」「一部の選挙は無効」とし、誰が「選挙制度の仕組みを見直す立法措置の実施を求める」といった意見を出しているのか、といった点だ。
また、最高裁のホームページを見ると、各裁判官の趣味や愛読書、座右の銘なども分かるから、こうした情報からも人物像を探ることができるだろう。
国民審査の投票率は衆院選の投票率と連動するから、衆院選の盛り上がり次第で上下する。
空欄のままだと信任とみなされるので、どうしても判断がつかない場合は投票用紙を受け取らずに棄権するという手段もあり得るが、国民審査についても国民自らが普段から関心を持ち、事前に十分な情報収集を行い、少しでも有意義な制度に変えていくべきではなかろうか。(了)