なぜいま中国向けODAを終了したか―日本政府にとっての一石二鳥
少なくとも政府レベルで日中関係が改善しつつあるこのタイミングで中国向けの政府開発援助(ODA)を終了させることは、中国に「思い知らせる」ことが目的ではなく、むしろ日本政府は国内の反中感情を満足させつつ、中国政府との協力を軌道に乗せる手段として、この決定に踏み切ったとみられる。
反中世論の満足
10月25日に訪中した安倍首相は、中国向けODAが「歴史的使命を終えた」として、終了する方針を打ち出した。首相訪中直前に明らかになったこの方針は、多くの日本人にとって「遅きに失した」ものかもしれないが、それでも「もはや日本よりGDPが大きく、これまでの経緯からしても、まして中国が軍拡を推し進めていることからも、援助しないのが当たり前」といった反応がネット上には目立ち、総じて肯定的に受け止められているようにみえる。
日本政府がこういった世論の支持を期待していたことは疑いない。だとすれば、政府の方針は反中世論を味方につける国内政治上のプラスポイントとなる。
ただし、中国の経済大国化や軍拡、さらにこれまでの日中関係があったとしても、単に「思い知らせる」ためだけにODAを終了させるなら、尖閣問題の表面化から安倍首相の靖国参拝に至る、日中関係が極度に悪化していた2010年代前半の段階で、その決定をしていてもおかしくなかったはずだ。
まして、いくら国民の約8割が中国に親近感を抱いていなくとも、日本政府がただ反中世論に傾いてODAを終了させたとも思えない。そこには以下のポイントがある。
- いま日本が対中ODAを終了させても、中国にダメージはほとんどない。
- それどころか、対中ODAを終了させても外交関係にダメージがないタイミングで、この決定は行われた。
- さらに、対中ODAを終了することは中国の満足感を引き出す効果がある。
中国にダメージはない
まず、日本の対中ODAの終了は中国にほとんどダメージがない。日本の対中ODAは、既に大幅に削減されていたからである。
1979年にスタートした日本の対中ODAは、1990年代の後半に転機を迎えた。当時、軍拡を進める中国の艦船が日本の排他的経済水域で勝手に調査をするなどしたこともあり、日本の対中感情が悪化。内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じる(「どちらかというと」を含む)」という回答は1980年に78.6パーセントだったが、1996年には48.4パーセントにまで落ち込んで「親しみを感じない(「どちらかというと」を含む)」と同率となり、その後も下落し続けた。
この背景のもと、それまで対中ODAの中心だった、鉄道建設や港湾整備などの大規模プロジェクトをローンを組んで行う「有償資金協力(円借款)」が2000年をピークに急激に減少し、2008年を最後に終了した。
その後、日本の対中ODAは、職業訓練など、相手に返済義務はないが一件あたりの金額がより小規模の無償援助のみ行われてきた。
しかし、それも2015年段階で1億5144万ドル(約150億円)と、現在の中国からみて必ずしも大きな金額ではない。
さらに、中国は過去の円借款の返済を続けているため、2008年以降は日本から中国に渡る金額より、その逆の方がはるかに多くなっている。
したがって、対中ODAの終了は、中国にとってほぼ全くダメージがない。
なぜこのタイミングか
それでは、なぜ日本政府は対中ODAを終了させたのか。
ここにきて日中関係は、少なくとも政府レベルでは改善しつつある。2017年12月に日本政府が中国政府の推し進める「一帯一路」構想に部分的ながら協力する方針を打ち出したことは、その象徴だ。
なぜ、このタイミングなのか。逆にいえば、なぜ今まで続けてきたのか。
ここで重要なことは、これまでの対中ODAには、世論レベルで悪化し続ける両国の関係をかろうじてつなぎ止める役割があったことだ。
日本の対中感情が悪化し始めた1990年代の末には既に、自民党のなかで対中ODA見直しの要求が出始めていた。そのなかには、当時まだ中堅議員だった安倍晋三氏もいた。
しかし、これと並行して、両国の経済関係は深化し続けた。2000年当時、日本の中国(香港を除く)への輸出額は約303億ドル、輸入額は551億ドルだったが、2010年にはそれぞれ1496億ドル、1533億ドルにまで成長し、中国は最大の貿易相手国となった(IMF, Direction of Trade Statistics)。
この背景のもと、両国でお互いへの反感が募ったとしても、日本政府には中国政府との外交関係を維持する必要があり、ODAは文化交流などとともに、その数少ない手段となっていた。
その裏返しで、日中関係が改善しつつあるいま対中ODAを終了させることは、「もはやODAがなくても中国とのパイプに心配はいらない」という日本政府の自信を示す。言い換えると、「少なくとも政府レベルでの両国関係が最悪期を脱した」と判断したからこそ、日本政府は対中ODAを終了できたといえる。
中国政府の満足感を引き出す
そのうえ、対中ODAの終了は、中国政府の満足感を引き出すものでもある。ODA終了で、日本が中国を「大国」として承認することになるからである。
日本が円借款を終了させた2008年は、中国で北京オリンピックが開催された年だった。これは国内、特に自民党から突き上げられ続けてきた外務省にとっても、中国政府に「中国は名実ともに大国となったのだから、もう大規模なODAは必要ないでしょう」と言いやすいタイミングだった。これに対して、中国側から取り立てて否定的な反応はなかった。
今回の場合、日本政府はODA終了と入れ違いに、中国政府と開発プロジェクトに関して協議する「開発協力対話」を立ち上げ、アフリカをはじめとする第三国への支援で連携を図る考えだ。その第一号は、タイでの高速鉄道建設になるとみられる。
中国政府がタイ東部で進める、450億ドル以上の規模になるとみられるこのプロジェクトに、日本政府は300億ドル以上の円借款、14億ドルの無償資金協力、16億ドルの技術協力を提供する意志を既に示している。
これはインフラ輸出を加速させたい日本政府にとってチャンス拡大を意味するが、同時に中国政府にとっては日本から「対等なパートナー」としての認知を公式に得るものである。アメリカのトランプ政権との対立が深刻化する中国にとって、日本との関係が再び重要性を増すなか、「対等のパートナー」と位置づけられることには大きな意味がある。
そのため、中国政府もむしろ対中ODA終了を肯定的に評価しており、国内メディアに日本のODAが中国の発展に貢献したことを重視して報じるよう指示している。政府がメディアの論調まで指示することの是非はともかく、ここで重要なことは、中国政府が「貢献者」と日本を表現した点だ。
日中関係が悪化しつつあった2000年、中国大使を務めていた谷野作太郎氏は中国政府に「『日本の援助が中国の経済発展に役立った』と中国側は日本人に言うべき」と伝え、これに対して楊文昌外務次官(当時)が「日本の円借款が中国の経済建設に果たした役割を高く評価する」と述べた。しかし、自民党内では「『援助』といわず『資金協力』、『円借款』という言葉ばかり使った」、「『感謝』が表明されなかった」(産経新聞、2000年3月28日)と批判が噴出し、日中関係がさらに悪化する原因の一つとなった。
「感謝されなかった」と不満を呈することへの賛否はさておき、18年前と比べて今回の中国政府に肯定的な態度が目立つことは確かで、そこには中国政府の対日関係のシフトとともに、日本政府の提案に対する満足感をもうかがえるのである。
内政と外交の一石二鳥
だとすれば、政府は対中ODA終了によって、国内の反中世論の支持を得ながら、同時に「これまでと違う関係を築く」というメッセージを送って中国政府の満足感を引き出す決定をしたことになる。このねじれた方針の対象になっているという意味で、強い反中感情に基づいて今回の決定を支持する人の多くは、一周回って中国政府と同じ立場に立っているともいえる。
いずれにせよ、これによって(何度もいうが政府レベルで)日中関係が新たな段階に入りつつあることは間違いなく、トランプ政権の暴走によってアメリカ主導の国際秩序が根底から揺らぐなか、さまざまなリスクヘッジが不可欠であることに鑑みれば、妥当な決定といえる。ただし、中国のペースに合わせ過ぎないこともまた必要であるため、日本政府に微妙なかじ取りが求められることには変化がないといえるだろう。