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最年少日本代表・比嘉もえの父・寿光さんは、元広島のプロ野球選手&沖縄勢センバツ初優勝のキャプテン

楊順行スポーツライター
1999年当時の甲子園はリニューアル前。懐かしい!(写真:岡沢克郎/アフロ)

 アーティスティックスイミング(AS)の日本選手権で、14歳の日本代表が堂々のデビューを飾ったのだとか。デュエットのテクニカルルーティーン(TR)で、吉田萌と組んだ比嘉もえは、中学3年生。昨年11月の選考会で、史上最年少での代表入りを果たすと、当初はチームTR要員だったが、デュエットに選ばれていた選手のケガもあり、この大会ではデュエットにも起用された。

 すると、171センチの長身を生かし、高さのある足技や正確な演技を披露。オープン参加のため順位はつかないが、代表デビューながらトップのスコアを記録した。その堂々とした姿には、ペアを組んだ東京五輪代表・吉田も「私は(デビュー戦で)ガチガチだった。14歳なのにすごい」と舌を巻く。

 本人、「年齢は関係ない。中学生でもできることを見せつけたい。24年のパリ五輪では、メダル獲得が目標です」と語ったそうだが、ん? お父さんは寿光さんというのか。思い出した。元プロ野球・広島で活躍した選手。1999年のセンバツで、沖縄尚学が県勢で初めて優勝したときのキャプテンだ。

 かつて、そのときの話を聞いたことがある。もっとも楽しかったのは、延長でPL学園(大阪)に勝った準決勝だという。

 この試合、沖縄尚学は7回表まで5対2と3点リード。だがPLといえば、そこまで7回の全国制覇があり、甲子園で何度も神がかり的な逆転劇を見せてきたチームだ。前年の夏も、敗れたとはいえ松坂大輔がエースの横浜(神奈川)を相手に、延長17回の名勝負を演じていた。この大会、またもその横浜と当たった1回戦を突破したPLは、優勝候補の一角。対して沖縄勢は、甲子園に初登場してから40年間、まだ優勝がない。3万5000の観衆も、このままでは終わらないと思っていた。

"逆転のPL"に、終盤追いつかれる……

 沖縄尚学はこの準決勝まで、接戦を勝ち抜いてきた。つねに先手を取り、のちに母校を率いる左腕・比嘉公也を中心に守りきるのが勝ちパターンだ。胸を借りるつもりのPL戦でも、リードを許すことなく7回まできている。

 ショートを守るキャプテン・比嘉寿光は、おもしろくてしかたがない。前日のテレビで、PLナインが「明日は勝って当然」という顔をしていたのが気に食わなかったし、エース・植山幸亮が先発を回避したのもカチンときた。そこは初回、自ら先制タイムリーを放って、ちょっといい気分なのだけど。

 ただ、7回裏の守り。おもしろがってばかりはいられなくなった。2死走者なしから、なんでもないショートゴロを、自分が一塁へ高投してしまうのだ。点差はあるが、イヤな感じだ。

 前年夏の横浜とPLの一戦では、2死走者なしのエラーから、横浜に決勝2ランが生まれたのではなかったか。またその試合、PLは敗れはしたが、延長に入って2回勝ち越されるたび、その裏に追いついている。数字ではなく、なにか目に見えない力が働くのではないか。

 そして実際PLは、比嘉寿のミスに乗じるように四球と2安打をからめ、2死無走者から同点に追いつくのだ。さらに延長11回、沖縄尚学が1点を勝ち越しても、その裏すかさず同点。尚学ナインは、テレビではわからないPLの重圧をひしひしと感じていた。

 だが、まだリードを許したわけではない。これは尚学のシナリオでもあった。なにしろ大会を通じ、同点はあっても相手に先行されたことは一度もないのだ。結末は、12回表。2死二塁から、九番・比嘉公が放った打球はふらふらとレフト前方へ。落ちれば、走者がホームインするこの打球に、レフト・田中一徳(元横浜)が一か八かダイビングしたが、ボールは無情にもグラブからこぼれる。さらに一番・荷川取秀明も続き、尚学に決定的な2点が入るのである。

 横綱を振り切った尚学は翌日、水戸商(茨城)をも粉砕して優勝した。閉会式。大会の行進曲に乗って場内を一周するナインを、ひときわ大きくなった沖縄特有の指笛がスタンドから祝福した。初出場から40年、県勢初の全国制覇。長い間 待たせてごめんね……で始まる行進曲を歌うKiroroも、沖縄の出身だった。

 以上、思い出話でした。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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