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【災害支援】進化する「民」の力(上)

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

災害時に、ボランティアの存在は欠かせない。その存在感はますます増している。

「災害ボランティア」は、被災地を訪れて被災した家の片付けや救援物資の仕分け、炊き出しを行う個人やグループだけではない。熊本地震では、強い余震が続いたことや、現地の受け入れ体制が整わなかったことなどから、個人のボランティアを受け付ける災害ボランティアセンターの立ち上げは遅くなったが、様々な専門性をもったNPOが、早くから組織的な支援を展開している。そうした組織が連携し、役割を調整してより効果的な活動を行うような努力も行われている。

一方、各地の災害で経験を積んだ「民」の進化に比べ、地方自治体の防災意識や準備、能力にばらつきが大きいうえ、大災害に直面するのは初めてだったりもする。今回も、震災への備えができていない自治体が多い中、本来は行政が担うべき役割まで、「民」が補完する場面も出てきている。

「民」のつながり、「官」との協働

県庁近くのJVOAD現地事務所
県庁近くのJVOAD現地事務所

今回の災害では、日頃から民間組織同士や「官」との連携を作っておく仕組み作りを準備してきた「全国災害ボランティア支援団体ネットワーク準備会」(略称JVOAD、栗田暢之代表、明城徹也事務局長)が、熊本県庁のすぐ近くに、県から拠点を提供された。JVOADと地元のNPO団体が加盟する「NPOくまもと」(松崎景子理事長、樋口務担当理事)と共に、現地で活動するNPO団体がつながる場として「熊本地震・支援団体火の国会議」を作り、毎日夜7時に集まって情報交換をしている。これまで延べ170団体が参加。そこには内閣府の担当者も同席する。

「もはや『官vs民』などと言っている時代ではありません。災害には『官』だけでも、『民』だけでも対応できない」

災害現場の経験豊富な栗田さん
災害現場の経験豊富な栗田さん

防災・災害救援活動を行うNPO「レスキューストックヤード」(略称RSY、所在地・名古屋市)の代表を務める栗田さんは、そう言い切る。栗田さんは、阪神・淡路大震災の時にボランティア活動に携わって以来、40ほどの災害現場で被災者支援の活動を行ってきた。

今回、熊本入りしたのは、4月22日。前震直後の同月15日に現地に入った明城事務局長らから報告を受け、内閣府や県など行政側の責任者と会い、自分でも被災地を見て回った。

「94歳のおばあちゃんが、『く』の時になって毛布1枚で寝ているのに、自治体の福祉課長がそういう状況を知らない。福祉避難所を支援する制度があるのに、それが理解されていない。せっかく福祉避難所を設置しても、担当者が福祉避難所はどうあるべきかを分かっていなかったりする」

しかも、そうした状況を県が把握できていなかった。

「県に、市町村から避難所の状況に関する情報がほとんど上がっていない。火の国会議で集まってくるNPOの情報を県に報告したが、てこ入れが必要な避難所はいくつもあり、きちんと調査する必要があった」

多くの人が避難所生活を送った(西原村で)
多くの人が避難所生活を送った(西原村で)

県とJVOAD、NPOくまもとが週2回会議を開いて情報交換したり、対応を協議する体制を作った。

そして、約400の避難所について、50項目について点検。調査項目は、たとえばトイレのついては和式と洋式それぞれの個数のほか、「トイレ掃除が一日一回以上行われているか」「ペーパータオルがあるか」「トイレ内にゴミ箱が設置されているか」など衛生面についても細かくチェック。居住環境に関しても、「毛布だけを敷いて寝ている人がいるか」「足腰が悪い人のための寝具(段ボールベッドなど)があるか」「女性の着替えスペースがあるか」「洗濯ができる環境があるか」など、チェック項目は具体的で詳細だ。

この情報を県と共有し、NPOが避難所の改善にも携わった。大地震への備えができていなかった市町村では、現場はかなり混乱していた。

「避難所の運営は、できるだけ被災者自身の自治で行うようにする、というのがほとんど知られていなくて、行政職員が10人も張り付いたりするところもあり、そうすると本来業務ができなくなって、罹災証明の発行などが遅れた」

そのような混乱の中で、「民」が果たした役割は大きかった。

被害が甚大だった益城町では、町の総合体育館に多くの人々が避難した。しかし、広いアリーナの天井が崩落する危険があるため、被災者は武道場やロビー、廊下などにぎっしりと過密な状態で詰め込まれ、食事の配給所には一時間も前から列ができるなど、被災者は厳しい環境に置かれた。それでも、体育館の指定管理者でもあるYMCAが、子どもたちに呼びかけて「わくわくワーク隊」を作り、掃除や館内の片付けなどをやり始めた頃から、少しずつ状況は改善してきた、という。

「子どもが掃除をしていれば、大人達も何かやらなきゃ、という気持ちになる。そうやって、避難所を自分たちでよくしていこうという動きが出てきた」

行政側から「福祉避難所を作るノウハウを教えて欲しい」「避難所の運営を助けて欲しい」というSOSも寄せられる。それに対応する団体や人をコーディネートするのも、栗田さんたちの役割だ。

災害の初期には、避難所での物資不足が大きく報道された。それを受けて、政府は現地からの要請を待たずに物資などを送る「プッシュ型」の支援を行い、全国の自治体や企業などからも、大量の物資が送られてきた。これについて、栗田さんはマスメディアに苦言を呈する。

「地域によっては『川で魚をとって食べた』という人たちがいたり、熊本市の町中でも、モノを出し合って地域で炊き出しをやっていた所もあった。でも、マスコミはそういう所はほとんど伝えず、困っている人たちのことばかり大きく報じる。そういう報道によって迷惑をしている人がたくさんいる。「モノがない」報道を真に受けた官邸主導で新たに90万食がドーンと送られてきて、現地は大変になる。モノは集積地まで来ていて、それを一人ひとりに届ける手が足りなかったわけで、モノより配る人手が必要だった。マスコミの『モノがない』報道によって、現地にモノが集中するという、過去と同じ状況が繰り返されている。集まってくるモノへの対応にも行政の職員の手がとられていたので、『そういうことは我々がやるから、県の職員は本来業務をやって下さい』と言いました」

避難所の設営にも携わる

ところで、熊本市は4年前に政令指定都市になったため、同市内の対応は熊本市、それ以外は熊本県と、災害対策本部は別々に作られた。そうなると、「民」との連携もそれぞれが行う形になり、熊本県との会合では、市の情報はほとんど入ってこない、という。

「県と熊本市では書類の書式も違う。県の腕章を作ってもらって使っていたら、『市の避難所で活動する時には市の腕章でないと』と言われた。自分たちで作って、くまモンの絵を入れたら、『くまモンは市のキャラクターではない』と(苦笑)」

ボランティアと他県から派遣された行政職員が一緒に避難所設営の準備をした
ボランティアと他県から派遣された行政職員が一緒に避難所設営の準備をした

腕章の絵は、熊本城に描き直した。市と情報交換するために、県とは別に会合の場をもった。

市が、拠点避難所となった小中学校で授業を再開させるために避難所の統合を行った際には、直前になって準備を依頼された。図面を見ながら、中の環境整備や要援護者対策などをアドバイスするだけでなく、RSYや長岡市などから来たボランティアチームが設営準備に当たった。

避難所で生活する人の中には、足が悪いお年寄りなど、ベッドが必要な人もいる。災害時に、ガムテープ一つで組み立てられる段ボールベッドのキットがあるが、熊本市側ではそれを用意できなかった。すると、JVOADが民間のネットワークで探し回り、鹿児島のNPOから提供を受けて、設置した。

このように、自治体の役割である避難所の設営も、「民」の力が不可欠となった今、「民」同士のつながりと、「官」との協働はますます重要になっている。

「これからますますボランティアが必要になってくる。どんどん活動に来て欲しいが、夏休みまでの間は、個人のボランティアを必要なだけ集めるのは難しいだろう。そうなると、生協など動員力がある組織の役割が大切になってくる。今はまだ、個々のボランティアとNPOの違いが、なかなか行政に理解されていない。災害においては、どちらも必要。それぞれ高い専門性をもって活動している我々NPOは、もっともっと頑張らないと」

復興基金の設立を

政府に対しては、「早く復興基金の設立を決めてもらいたい。そうすると、我々も活動しやすくなる」と注文する。

災害からの復興においては、法律で決められたメニューだけではなく、地域や個々の状況に応じた様々なきめ細かな対策が必要になるが、それを財政面から支えるのが基金。雲仙普賢岳の噴火災害で初めて作られ、被災者たちの生活再建のために機能した。

安倍首相は「被災地の復旧・復興に向け、先手先手で、できることはすべてやる」と約束している。官民協働で効果的な復興支援ができるような基金が早めに設立されることが望まれる。

また、現地を訪れてボランティア活動をできない人たちも、被災者支援を行うNPOに寄付するなどの支援をすれば、それは間接的に被災者を支援することにもなる。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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