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【京都市】中京区「朱雀門跡」の石碑と鬼の名笛伝承

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

「朱雀門」は平安京朱雀大路、現千本通の北端にありました。平安京大内裏外郭十二門の一つです。

大内裏の外郭十二門のうち最も重要な門だったそうです。

1227年(安貞1)焼滅してしまいましたが、門は七間五戸の重層の入母屋造り。瓦ぶきで棟の両端に金色の鴟尾を置いていたらしく、想像するだけでも豪華な感じですね♪

朱雀大路は,平安京のメインストリートで,朱雀門から南へいくと、王城鎮護の『羅城門』に至ります。

75mもの幅をもつ朱雀大路がまっすぐ北にのび、その4km先には平城宮の正門である朱雀門がありました。

平安時代の中期頃から生活の中心は左京のみに偏ったため、右京は荒地のまま放置されるに至ったそう。この朱雀門周辺も、昼に通るのも恐ろしい所と化していたといったといわれてます。

鎌倉時代の「十訓抄(じゅっきんしょう)」や「糸竹口伝(しちくこうでん)」によると、「葉二(はふたつ)」という天下一の名笛をもった鬼が住んでいた、とされる平安京朱雀門。

伝承によると…

都一の笛の名手として名をはせていた源博雅が朱雀門の前で笛を吹いていると、どこからともなく同じように素晴らしい笛を吹く男が現れた。何度か朱雀門で笛を合わせるうち、互いの笛を交換することになり、男の笛はあまりに素晴らしく、博雅はつい返しそびれたまま、月日は過ぎ、博雅亡き後、浄蔵という笛の名手がその笛をふくと素晴らしい音色だったそう。博雅が笛を交換した朱雀門で浄蔵に笛を吹くと、楼上から「素晴らしき音色かな」と声が!これが鬼の笛であると確信したそうです。

その笛は、宇治の「平等院鳳凰堂」に収められたそうですよ。

「門」というのは当時の都人に、あの世とこの世の境界だったのでしょうね。

今では、大きな道路のそばに石碑が見られるだけですが、朱雀門のあった場所だと思うと、感慨深いですね。

平安宮 朱雀門阯碑

場所:京都市中京区西ノ京小堀町

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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