加計学園問題に関する単純な疑問「日本では獣医師が不足しているのか?」:データでみる国際比較
国会の閉会中審査でも議論の中心となった加計学園の問題。この問題はもともと、獣医師不足と規制改革の問題に端を発したものでした。
「特に地方で獣医師、とりわけ検疫などを行う公務員獣医師が不足しているのに、獣医師会の反対で何十年間も獣医学部の新設が実現しなかった。その規制改革のため、特区制度を活用し、獣医師が不足している地域の大学に獣医学部を創設する」という議論だったはずが、その手続きのなかで総理の旧知の友人の大学が(少なくとも結果的に)選ばれたことで、問題がこじれました。
安倍総理による「権力の私物化」があったのか、文科省官僚による忖度があったのか、といった証明のつけにくい問題は、ここでは置いておきます。むしろ重要なことは、総理をはじめ、獣医学部新設を進める立場の人々が展開する、「獣医師不足を解消するために、それを阻む『岩盤規制』の打破そのものに意義がある」という主張です。
確かに、地方、なかでも獣医学部を備えた大学のない四国では、とりわけ検疫などに携わる公務員獣医師の不足が深刻です。しかし、データで国際的に比較すると、「日本全体では獣医師は不足していない、むしろ多いくらいである」ことが分かります。だとすると、問題は獣医師が特定の地域や職種に偏っていることにあるはずですが、獣医学部の新設という「供給の増加」で臨むことは、解決策としては疑問が大きいといえます。
獣医師の各国比較
まず、大前提として、日本の獣医師のデータについてみていきます。各国との比較で用いるデータは世界動物保健機構(World Organization for Animal Health)のデータベースのものを用います。
図1は、これによって得られた、日本の獣医師の数です。ここから、この10年間で獣医師が少しずつ増えていることが分かります(2年ごとに数値が同じ個所が目立つのは、日本獣医師会が隔年で世界獣医師会に報告しているためとみられる)。
さらに図2は、各国との比較です。2014年段階で獣医師の数が多い順に並べると日本は上から8番目にあたります(データの欠けている中国などを除く)。
つまり、単純な人数でいえば、日本の獣医師は必ずしも少なくないといえます。
動物に対する獣医師の割合
次に、「一人当たりの獣医師が診る動物の数」を確認します。診察・治療の対象となる動物の数と照らすことで、獣医師が多いか少ないかを比較します。
まず、ウシやウマなどの家畜から。表1は、獣医師一人当たりが診察・治療する、平均的な家畜の頭数を表したものです。ここでは、ウシ、ウマ、ブタ、ヒツジ、ヤギなどの代表的な家畜に限定し、その合計頭数を多い順に国ごとに並べ、それぞれ獣医師の人数で割っています。
これによると、日本では家畜の頭数に照らして獣医師の数が非常に多いことが分かります。例えば、家畜の頭数で日本より圧倒的に多いオーストラリアやアルゼンチンのように、獣医師の絶対数で日本より少ない国も珍しくありません。また、家畜の頭数で日本の約2倍にあたるカナダと比べて、日本では一人の獣医師が担当する家畜はその5分の1以下です。
同様のことは、ペットに関してもいえます。表2は、イヌとネコの合計頭数を多い順に国ごとに並べ、それぞれ獣医師の人数で割ったものです。ここから、家畜ほど鮮明でないにせよ、ペットに関しても、日本では一人の獣医師が平均的に診る動物は、必ずしも多くないことが分かります。
以上を要するに、日本全体でみたとき、獣医師の数はほぼ十分、というより、各国との対比でみればやや多いことがわかります。
配置のアンバランス
それにもかかわらず、先述のように、特に地方では公務員獣医師の不足が問題となっています。これに関して、例えば山本幸三地方創生大臣は「ペット診療の獣医師が儲かるために多すぎる」という認識を示し、「獣医学部を新設し、獣医師を増やすことでペット診療の『価格破壊』をもたらせば、公務員獣医師を確保できる」と主張しています。
それでは、日本全体でみたとき、「公務員獣医師が少ない」のでしょうか。表3は、勤務形態ごとの獣医師の分布を、各国ごとに表したものです。これによると、日本では公的機関で勤務する獣医師の割合が約24パーセント。これはウクライナやインドなどの例外を除けば、各国と比較して必ずしも低いとはいえない水準です。
同様に、ペットクリニックの獣医師の割合は44パーセントで、これも必ずしも高い水準ともいえません。ヨーロッパやラテンアメリカでは、これが50パーセントを超える国も珍しくありません。つまり、「公務員獣医師と民間クリニックの獣医師」の比率でいえば、日本はごく普通のレベルといえます。
国際的な水準に照らして、公務員獣医師が必ずしも少ないといえないのに、「地方で公務員獣医師が不足している」のであれば、そこに地域間の偏在があることは確かです。
ただし、「だから獣医学部を新設して獣医師を増やすべき」という考え方は、ややシンプルすぎると思われます。獣医師の数を増やしても、その人たちが地方で公務員になることを促す方策がなければ、単に獣医師の偏在を後押しするだけだからです。そして、既に述べたように、日本では獣医師の数が基本的に足りています。だとすると、偏在を是正することが最優先事項であるなら、ひたすら獣医学部を新設する必要もないはずです。
飢餓問題との類似性
「地方における公務員獣医師の不足」の問題は、飢餓の問題を思い起こさせるものです。
飢餓というと「食糧が不足しているから発生する」と思われがちです。これに基づき、「食糧を増産することで飢餓が解消される」と考える立場をマルサス主義といいます。しかし、食糧が十分にあっても、飢餓が発生することは珍しくありません。
ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、1万人以上が死亡した1972年のエチオピア大飢饉の研究において、同年のエチオピアでの食糧生産がほぼ平年並みだったことを発見しました【アマルティア・セン『貧困と飢饉』】。つまり、干ばつによる凶作で餓死者が出た州はほぼ一ヵ所で、それ以外の州ではむしろこの年は豊作だったにもかかわらず、飢餓状態にある人の購買力が低下していたために、食糧が市場を通じて飢餓地帯に流通することはなく、国外へ輸出され続けたのです。
ここから得られる教訓は、「供給が十分であっても、何の規制もなく配分されれば、必要とする人の手に必要なものが届くとは限らない」ということです。これを踏まえて、センは飢餓対策として、飢餓地帯で公共事業などを行い、住民に購買力をつけさせることで、市場を通じて食糧を調達できる体制をつくることの有意性を強調します。
これは現代の世界でも同じで、食糧農業機関(FAO)によると、世界全体の食糧生産はほぼ十分ですが、それでも世界全体で慢性的に飢餓に苦しむ人は約8億人いるといわれます。そこには、市場を通じて売買されるために、食糧が「購買力のある」国や地域、人々の手元に過剰に集中し、「食品ロス」など無駄になることで、「購買力の乏しい」人々の手元に食糧が回らない状況があります。
この観点からすれば、「食糧さえ増産すれば飢餓問題は解決する」というマルサス主義の見方は疑わしくなります。配分を考慮に入れなければ、いくら増産したところで、食糧が過剰に集まる地域と不足する地域の格差が埋まることはないといえます。
重厚長大型発想の貧困
「地方の公務員獣医師の不足を解消するために獣医学部を新設して獣医師を増やす」という発想は、「供給を増やせば需要をまかなえるはず」と単純に捉える点で、食糧問題におけるマルサス主義と共通するといえます。そして、「とにかく数を増やす」ことに邁進することで「ザルに水を注ぐ」ことになりかねない点でも、両者は共通するといえます。
仮に四国の大学に獣医師学部を新設し、獣医師を増やしたところで、その人々をその土地の公務員獣医師にリードする方策がなければ、他の地方で職を見つけたり、民間クリニックで働く人が増えるだけに終わることも考えられます。また、獣医師を特定の地方、特定のセクターに誘導することを重視するなら、既に日本全体で数が十分である以上、獣医師の総数を現状より増やす必要があるかは疑問です。
海外に目を転じると、公共サービスの一部を民間の獣医師に委託するなどのコラボレーション(パブリック・プライベート・パートナーシップ)を推奨する動きが加速しています。例えば酪農大国オーストラリアでは、2002年に「非常時における動物疾病への対応に関する合意」が結ばれ、それまで公共機関が一手に担っていた公共サービスとしての動物治療に、民間獣医師が協力する体制が生まれました。これは民間クリニックの獣医師の協力を得ながら、公共サービスの質を維持するための取り組みといえます。
繰り返しになりますが、日本の獣医師の数は、各国と比較しても十分といえるものです。そのなかで、あたかも「規制改革」そのものを目的化するように獣医師学部の新設にこだわるより、給与・待遇などの改善を含め、「地方の公務員獣医師」というポストに人材をリードしたり、民間の獣医師に公的業務に協力してもらったりするためのインセンティブを考える方が、はるかに効率的・効果的ではないでしょうか。
少子化・高齢化が進むなか、ひたすら量を拡大させることよりむしろ、いかに効率的に質を維持するかが、日本にとっての課題といえます。獣医師をめぐる問題は、その氷山の一角といえるでしょう。