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「前竜王」「前名人」の称号はなぜ名乗られなくなったのか?

松本博文将棋ライター
タイトル通算99期のレジェンドも現在は「羽生善治九段」を名乗る(写真撮影:筆者)

 2019年12月7日。竜王戦七番勝負第5局で広瀬章人竜王(32歳)は豊島将之名人(29歳)に敗れ、1勝4敗で竜王位を失いました。

【前記事】

スキのない令和の王者・豊島将之名人(29)竜王戦第5局を逆転で制し史上4人目の竜王・名人同時制覇達成

 その肩書は「八段」に戻りました。

 広瀬八段はこれまで王位1期、竜王1期を獲得。広瀬八段はこれから始まる王将戦七番勝負で渡辺明王将(35歳)を降して王将位に就けば「タイトル3期獲得」の条件を満たして九段に昇段します。

 ところで竜王位を失冠し、他にタイトルがない場合には1年間「前竜王」を名乗る資格があります。しかし広瀬八段は、そうしませんでした。

 前年の2018年。羽生善治竜王は挑戦者の広瀬八段に竜王位を明け渡した後、27年ぶりに無冠となりました。その肩書が大きく注目されましたが、やはり「羽生前竜王」ではなく「羽生九段」となっています。

 近年では「前竜王」およびそれよりも歴史が古い「前名人」の呼称は、ここ二十数年は使われなくなってきました。ここではその称号の歴史をたどってみます。

木村義雄前名人

 戦前から戦後にかけて無敵を誇った木村義雄名人は、実質を重んじるリアリストで、肩書の弊害を見抜いた人でした。

【参考記事】

昭和の偉人・木村義雄14世名人が看破した、日本における肩書偏重の弊害

 戦後の1947年。木村名人は名人戦七番勝負で若き塚田正夫八段の挑戦を受け、2勝4敗1持将棋で敗れて、ついに名人位を退くことになりました。

 木村名人の肩書は「木村前名人」に変わりました。

 古来、九段は名人と同義の段位でした。そのため九段をどう扱うべきかは難しく、戦後、複雑な経緯を経ています。ここでは詳細は割愛しますが、九段は後にタイトルとなり、さらに時代が進むと名人経験者クラスが名乗れる段位となり、後には条件が次第に緩和され、現在では多くの棋士が九段に昇段しています。

 当時、木村前名人の段位が九段でないとすれば、八段です。名人在位中には、失冠すれば元の八段に戻る覚悟も示されていました。

 しかしそれまでの抜群の実績を考えると、体面にこだわらない本人はともかく、周囲は「木村八段」の肩書ではやはり違和感があったことでしょう。

 木村前名人という呼称は2年ほど続きました。

 1949年、木村前名人は塚田名人にリターンマッチを挑みます。諸般の事情により、この時だけは五番勝負でしたが、3勝2敗で見事に名人復位を決めました。

 立場が替わって、この後はしばらく「木村名人」「塚田前名人」の呼称となりました。

若年の「前名人」「前竜王」登場

 その後、前名人は名人を失冠した棋士が一年間だけ名乗る称号と決められ、名人を失冠してタイトルがない場合には「前名人」を名乗ることが慣例として続きました。

 1983年。名人戦七番勝負で加藤一二三名人に谷川浩司八段が挑戦し、名人位獲得。史上最年少21歳の谷川名人が誕生しました。

 1985年6月。谷川名人は中原誠挑戦者に2勝4敗で敗れて、名人位を明け渡しています。23歳の「前名人」も史上最年少となります。以後、同年度(1986年3月)に棋王位を獲得するまでは「谷川前名人」の肩書でした。

 1987年、それまでの十段戦を発展解消する形で、序列第1位のタイトル戦である竜王戦が創設されました。以後、将棋界では七大タイトル戦の中でも竜王戦と名人戦が「大二冠」と認識されるようになります。

 1988年に第1期の七番勝負がおこなわれ、島朗六段が初代竜王となりました。翌89年には羽生善治六段が新たな竜王に。島竜王は失冠後、一年の間「島前竜王」となりました。

 90年。羽生竜王は谷川二冠の挑戦を受けて、竜王位を失冠。前例にならって「羽生前竜王」となりました。羽生前竜王は20歳で、これが現在に至るまで「前竜王」の中では史上最年少の記録です。

 羽生前竜王は3か月と少しで棋王位を獲得。その後は27年に渡ってタイトルを保持し続けました。

 1994年度。米長邦雄名人、佐藤康光竜王は、七冠ロードの途上にあった羽生善治挑戦者に敗れていずれも失冠し、米長前名人、佐藤前竜王の肩書になりました。では両者の席次は、どちらが上位となるでしょうか。またどちらが上座に着くのが収まりがよいでしょうか。これは難問で、両者が棋聖戦予選で対戦した際には、上座を譲り合って対局が始まらないという事件(?)が起こっています。

竜王、名人どちらが上位と話題になったころの話。佐藤康光前竜王と米長邦雄前名人が上座を譲り合い、棋聖戦の対局が一時間近く遅れたことがある。結局、上下なしではじまったが。

出典:奥田裕「産経新聞」2000年6月17日夕刊「編集余話」

谷川「前竜王・前名人」が九段を名乗る

 羽生竜王・名人、羽生七冠の次は、谷川竜王・名人の時代が訪れました。

【参考記事】

羽生善治、谷川浩司、森内俊之、そして豊島将之 将棋界の頂点を極めた「竜王・名人」の系譜

 1998年。谷川竜王・名人は、佐藤康光八段に名人位、藤井猛七段に竜王位を明け渡し、無冠となりました。

 前例にならえばその後の肩書は「谷川前竜王」、あるいは「谷川前竜王・名人」などが候補だったのかもしれません。しかし本人が選んだのはシンプルな「谷川九段」でした。

 毎日新聞の将棋担当であった加古明光記者は、観戦記中に次のように記しています。

 名人と竜王には、失冠すると「前」の肩書が1年間つく。谷川には「前名人」「前竜王」を名乗る資格がある。しかし、本局からは「九段」である。

 これは本人の意向で「単に九段にしてほしい」とあったためだ。主催者側が言うのもおかしいが、分かるような気がする。「前名人」を1年間名乗るのは、前期名人戦の敗北を引きずっているようなもの。敗局の屈辱感はふっ切りたいだろう。

出典:加古明光「毎日新聞」1999年1月3日朝刊

 この時の谷川九段はまだ36歳の若さです。この先もタイトル復帰の可能性は高く、また現実に、そうなりました。谷川九段の潔さが端的に表れた決断と言えるでしょうし、また木村義雄前名人の頃とは、既に時代背景も、棋士の意識も大きく変わっていたとも言えるでしょう。

 谷川九段の後には、後輩の棋士が続きます。

△…佐藤康光前名人の肩書が29日の理事会で「九段」に決まった。谷川・現棋聖が2年前の竜王戦で敗れた直後、「前竜王・前名人」を返上した前例がある。▲…佐藤九段は「前名人というすっきりしない肩書ではなく、九段として心機一転、将棋に打ち込んだ方が自分にとってもいいと思う」と話している。

出典:「読売新聞」2000年7月1日朝刊「盤側」

△…竜王戦七番勝負で敗れた藤井猛前竜王は、「前竜王」の呼称を返上、九段を名乗る。本人の意向を将棋連盟理事会が承認した。前竜王は、正式な呼称として約一年間名乗る権利があった。過去に谷川浩司九段が前竜王の肩書を返上し九段を名乗った例がある。

出典:「読売新聞」2001年12月6日「盤側」

 「すっきりしない肩書」(佐藤康光九段)というのは、依然第一線で戦っているトップクラスの棋士の本音だったのかもしれません。「米長邦雄前名人」「佐藤康光前竜王」を最後として、谷川九段以降は現在に至るまで「前竜王」「前名人」を名乗る棋士は現れていません。

タイトル99期「永世七冠」でも羽生九段

 新しいファンにはあまりなじみのない「前竜王」「前名人」という称号がにわかに脚光を浴びたのは、2018年12月、羽生竜王が失冠し、27年ぶりに無冠になったからでした。

 この時、ファンや関係者はその肩書に注目しました。

「これだけの実績があって、いくらなんでもただの『羽生九段』というわけにはいかないのではないか」

「以前のように『前竜王』を名乗るのが妥当ではないか」

「永世称号がたくさんあるのだから、現役中であってもどれか使うのがいいのではないか」

 そうした類の声が多く聞かれました。

 本人の決定は、至ってシンプルなものでした。

羽生善治の肩書について

日本将棋連盟では、羽生善治の肩書を、本人の意向を踏まえ「九段」とすることに決定いたしました。

出典:日本将棋連盟リリース、2018年12月25日

追記:「前竜王」「前名人」の肩書廃止

 2020年2月18日。「前竜王」「前名人」の肩書は、正式に廃止されることになりました。

日本将棋連盟は18日、「前竜王」「前名人」の肩書を廃止すると発表した。同連盟によると、これまで竜王・名人保持者がタイトルを失って無冠になった際、1年間に限って「前竜王」「前名人」を名乗ることができた。しかし、20年以上にわたってこの呼称を選択する棋士がいなかったため、常務会で協議のうえこれらの肩書を廃止することに決めた。

出典:「読売新聞」2020年2月19日朝刊

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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