【富士宮市】富士宮市は昔、蚕糸業が盛んだった!『淀川南公園』で富士宮の産業の歴史を垣間みました!
たまにはいつも通る通勤道路を変えてみたら、公園内に歩く博物館の看板を見つけたので立ち寄ってみました。
西淀川橋の南側にある『淀川南公園』。
南北に細長い園内は一面が芝生で、砂場とトイレ、水飲み場があります。
なんの変哲もない地域のみなさんの憩いの場所に見えますが、この公園内に歩く博物館の看板がありました。
『西新堀用水取り入れ口』と記された看板。どうやら公園の外にある水色の小さなダムのようなものを示しているようです。
公園の外をぐるっと回るとさらに『西新堀用水取り入れ口』に近付くことができました。
富士宮市は富士山の伏流水による湧水に恵まれています。
今でこそ豊かな水は市内のどこでも恩恵を受けられていますが、昔は湧水のない地域では天水に頼る生活を余儀なくされていたと言います。
そして、水のない土地を開発するため、芝川や潤井川などの河川や湧水から取水し多くの用水が開かれました。
『西新堀用水』のそのひとつで淀師川の下川から取水しています。
今まで気が付きませんでしたが、西淀川橋下を流れる下川(淀師川)は川幅も広く、水量も多いです。川を覗くと引き込まれそうなくらいの勢いです。
『西新堀用水』は江戸時代後期に、浅間大社西側の浅間神社社領地開発のため開削されたそうです。資料には1771年「駿州富士郡淀師村に新椻新堀をつくった。淀師川から用水を引き入れ、同郡大宮浅間神社領の畑を田にした」と記されています。
この下川の上流を地図で調べてみると、富岡小学校近くの渋沢湧水(出水)を水源としているようです。
動力として水車が使用されるようになったこともあり、1896年拡幅改修されたそうです。
何の動力に使われていたのかと調べてみると、この場所には、市内初の製糸工場があったと推定されています。
明治大正時代には養蚕や製糸など蚕糸業が盛んな地域だった富士宮市。
そういえば養蚕の名残か、桑の木を見かけることも珍しくありません。子供の頃は良く桑の実をもぎ取って食べていたなぁ。とふと思い出したりして…
何気なく立ち寄った『淀川南公園』で、富士宮の産業の歴史を垣間見ることができました。
淀川南公園:富士宮市淀川町4