芸歴15年目での新コンビ。「とらふぐ」が語る“遅い再出発”だからこその可能性
吉本興業初の東大卒業芸人・藤本淳史さんとのコンビ「田畑藤本」を2020年末で解散後、ピン芸人として活動していた田畑勇一さん(38)。2018年に“ミャンマー住みます芸人”としてヤンゴンに移住したものの新型コロナ禍とクーデターで日本に戻った阿部直也さん(33)。独特のキャリアを積んできた二人が先月から新コンビ「とらふぐ」を結成しました。NSC東京校の同期(13期生)で芸歴15年目。年月を重ねての再出発になりますが、だからこそ感じるものがあると言葉に力を込めました。
15年目の再出発だからこそ
田畑:2020年の末で「田畑藤本」を解散しました。そして、去年からはピン芸人として活動していたんですけど、相方を探すライブもやってましたし、またコンビを組めたらなという思いはあったんです。
阿部とは同期で9年間ルームシェアもしていたので仲も良いし、しゃべりのすごさも知ってはいました。ただ、阿部は阿部で「タイガース」というトリオを組んでいたので相方候補ということではなかったんです。
阿部:ただ、去年の冬頃ですかね。たまたまライブの出演枠が一組分空いていて、そこに穴埋め的に田畑と出ることになったんです。
実は、ちょうどそのタイミングで僕もトリオの解散を決めてまして。そもそもトリオはミャンマーでの活動に向けて組んだものでしたし、コロナ禍とクーデターで向こうでの活動ができなくなった。さらに、日本に戻ってきても「M-1」で結果が出なかった。そんなことが重なり、解散を決めたところだったんです。
なので、すごいタイミングなんですけど、流れが奇跡的に合致して田畑と組むことになったんです。
田畑:互いに芸歴15年目での新コンビとなったんですけど、強く感じたのが周りの方々の優しさでした。
組んですぐの状態なのにライブへのオファーや劇場出番をいただきまして。思いのほか、予定が入っていったんです。
もちろん始まったばかりですけど、互いにこれまでやってきた上でのコンビなので皆さんが「応援してやろう」という思いになってくださったんですかね。
コンビとしては非常に遅いスタートですけど、蓄積が新たなステージでもプラスとなるならば、本当にありがたい話だなと感じています。
阿部:コンビとしては漫才をやっていこうと考えています。なので、方向性としては「M-1」で結果を出す。そこを狙っています。
田畑:今はどこにいっても「どんなネタをやるんだ…」という“吟味されてる感”がすごいですけどね(笑)。だからこそ中途半端なことはできないですし、そら、もうやるしかないです。
相方の意味
田畑:コンビを組んだ決め手はまず阿部のしゃべりの能力。そして、周りから愛される人としての魅力。この二つです。
ここも15年目だからこそ、しっかり、じっくり見た上での判断ができたと思いますし、そこには自信を持っているので、何とかその味を皆さんに知ってもらえたらなと思っています。
ただね、改めて思ったのがルームシェアを9年やって、何でも知ってる仲だと思っていたんですけど、相方になるとまた全然違うなと。そこの蓄積はまだゼロに等しいので、うまく合わせていかないといけないなと痛感しています。
阿部:こうやって取材を受けていても田畑が何を言うのか、すごく新鮮でもありますね(笑)。「あ、そんなん思ってるんや」とか。
ただ、互いにここまで芸人をやってきたので、言うならば、互いにギタリストやベーシストとして演奏する技術は積み重ねてきたと思うんです。そこをどう合わせて、どんな曲を作るのか。まずはそこがポイントだと考えています。
もちろん、そんなそんな簡単なことではないことも分かってはいるんですけど、そこをまた作っていく楽しさも感じています。
田畑はもともと「田畑藤本」として相方が東大卒ということで、いわゆる“高学歴”をネタにした漫才をやってきました。田畑自身も立命館大学を出てますし。
それをNSC時代から見てきて、もちろん高学歴という武器は分かりやすい部分でもあるけど、逆に言うと、高学歴に縛られた漫才をやらざるを得ないんだろうなということも思っていたんです。普通の漫才ができない。
ただ、同期の評価では田畑は純粋にツッコミがうまいよねということがあったんです。なので、高学歴に縛られず、プレーンな設定の漫才をやって、そこにシンプルにツッコミを入れていくとどうなるのか。ここはこれまで実は手付かずの分野でもあったので、そこの可能性はキレイに今も残されているんだろうなと。
田畑:「田畑藤本」の時は「藤本をどう生かすのか」を考え続けた13年だったので、今は相方から「どうしたい?」と言われるのがすごく新鮮でもあるんですよね。
ただ、それも15年目ということあっての感覚でしょうし、ここにきての再スタートの意味を幾重にも感じています。
阿部:ミャンマーで活動していた時は、当たり前ですけど、まず言葉の壁に大いに悩まされました。パッと「これだ!」というフレーズが思いついたとしても、まずそれをミャンマーの言葉に変換して出すので、言葉が整った時にはもうトークでその流れは終わっている。スベることすらできないまま時間が過ぎていく。
それを日々感じてきたので、今は日本語が通じるだけで「これなら何とかなる!」という感覚になれているのも、これまでの道のりがあったからだと思っています。
田畑:阿部と組まなかったら、芸人としてやってなかったことがたくさんある。それを日々感じています。
「M-1」の出場資格がコンビ結成15年以下ですから、僕らはあと15年出られます。その頃、僕は53歳。「錦鯉」の長谷川さんより年上で「M-1」にチャレンジできますから(笑)。
もちろん、この世界が簡単なものではないことは重々承知しています。でも、遅いスタートには遅いスタートの意味がある。それもまた、今感じています。
(撮影・中西正男)
■とらふぐ
1984年4月10日生まれで京都府出身の田畑勇一(本名・田畑祐一)と89年3月9日生まれで大阪府出身の阿部直也のコンビ。ともにNSC東京校13期生。互いにコンビ、トリオでの活動を経て、今年4月に「とらふぐ」を結成する。コンビ名は阿部のピン芸人時代の芸名が「べしゃりの虎」だったことと田畑の顔が「ふぐ」に似ていることからつけた。6月12日に配信トークライブ「てっさ」を開催する。