キンコン西野『映画 えんとつ町のプペル』は何をもって成功と言えるのか?
■『映画 えんとつ町のプペル』の成功ラインは100億?
『映画 えんとつ町のプペル』が12月25日(金)に公開初日を迎えた。お笑い芸人キングコング西野亮廣氏が製作総指揮・原作・脚本を担当したことで知られる。
ベストセラーの絵本「えんとつ町のプペル」を映画化したという報道が多いが、実は映画の構想のほうが先だ。10章に及ぶ物語を西野氏が書いたのは2011年のころ。そのうち3~5章を絵本として世に出した。
つまり絵本の内容を膨らませて100分の映画にしたわけではないのである。映画単体を語るうえでは、そのことは大したことではないのかもしれない。しかし我々ビジネスを考える立場の人間からしたら、そら恐ろしいほど壮大な試みだと捉えられる。
今回は、公開されたばかりの『映画 えんとつ町のプペル』が、何をもって成功と言えるのか。経営コンサルタントの立場から考察を書きたいと思う。
さて一部報道で書かれているとおり(テレビにおける西野氏の発言を拾っても)、「興行収入100億円が一つの成功ライン」と言えるだろうか。
興行収入100億円ラインは、1998年に101億円超の大ヒットを記録した『踊る大捜査線 THE MOVIE』程度と考えればいい。それなりに社会現象を巻き起こさないと、なかなか到達しない記録だ。
2015年に、大ヒット映画の続編として世に出てきた『ジュラシック・ワールド』は95億円を記録。『ジュラシック・ワールド』でさえ100億円には届かなかった。
いずれにしても100億円の興行収入をめざすなら、700万人ほどの観客を動員しなければならないと言われる。西野氏のオンラインサロン「西野亮廣エンタメ研究所」の登録者数は7万人超であるが、さすがにサロンメンバー個々の頑張りでは限界があると言えよう。
マスメディアを使った大規模なプロモーションと、口コミを使った「バイラル・マーケティング」が不可欠だ。
■西野氏の偉大な功績が「裏目」に?
「キングコング西野亮廣」でネット検索すると、いまだに「信者」とか「お金」といったキーワードも一緒に引っかかる。テレビに出ても、そのような視点で西野氏はいじられることが多く、ビジネス的視点から捉えると強い違和感を覚える。
西野氏はクラウドファンディングやオンラインサロンという概念を日本に広めた先駆者だ。その功績はきわめて大きい。
イノベーター理論で言えば、人間のタイプは
・イノベーター(革新者):2.5%
・アーリーアダプター(初期採用者):13.5%
・アーリーマジョリティ(前期追随者):34%
・レイトマジョリティ(後期追随者):34%
・ラガード(遅滞者):16%
の5つに分けられ、当初西野氏を支持したのは、もちろん「イノベーター」たちだった。だからこそイノベーター以外の多くの人は「怪しい」と感じ、「金を集めて何をしてるんだ」と訝しんだ。
しかしご自身が構想した物語を映画化するためであった、と考えたら合点がいく。クラウドファンディングを使ってお金を集め、絵本を完成させる(絵本の印税だけではクリエイターに十分な報酬を支払うことはできないため)。
そしてオンラインサロンを使いながら映画化プロジェクトを本格化させ、実際に映画化までこぎ着けた。こう捉えるとどうだろうか。
「絵本を出したらヒットしたもんだから、それならいっちょう映画化でもしてやろうか」
という安直な発想ではなかったのだ。
西野氏自身が描いた構想を実現させるために、試行錯誤を繰り返しながら、新しい仕組み、ツールを巧みに活用した。それがたまたまクラウドファンディングであり、オンラインサロンであった。
そう考えると、このマーケティング活動全体が強く革新的であったと言えないだろうか。
しかし残念なことに、その活動プロセスは正当な評価を受けていないと言える。功績の割には、いまだに色眼鏡で見る人が多く、このファクターが映画の成功を妨げる要素になりうるのではないか。私はそう考えている。
なぜなら先述したとおり、もし100億円の興行収入をめざすなら、
「観たい人が観たらいい」
というスタンスでは到底叶えられないからである。質の高いブランディング戦略が不可欠なのだ。
■ブランディングのマイナス要素
『映画 えんとつ町のプペル』の内容については言及しない。ここではブランディングについて、簡単に解説していこう。
消費者が何らかの商材にお金を支払う場合、大きく分けて2つのベネフィット(便益)を手に入れたいと考える。それが「機能的ベネフィット」と「情緒的ベネフィット」の2つだ。
映画でいえば、作品そのものが本当に素晴らしく、多くの人に魅力が伝わるようなものに仕上がっているのであれば「機能的ベネフィット」は高いと言えるだろう。
いっぽうで作品の内容はともかく、周りの多くの人が鑑賞している、観ないと時代に取り残されるかも、という感覚を覚える場合、「情緒的ベネフィット」が高いと言えるだろう。
『君の名は。』が大ヒットした際、ふだんはアニメ映画を観ない人でさえ映画館へ足を延ばした。そして想像していた以上に感動すれば、周りにも「絶対に観に行ったほうがいいよ」とお勧めすることになる。
「情緒的ベネフィット」が「機能的ベネフィット」に変容するとき、口コミで広がる「バイラル・マーケティング」が大きく機能する。したがって、2つのベネフィットが組み合わさって、映画は大ヒットするものなのだ。
だからジブリやディズニーといった、すでに確立されたブランドの映画は強い。作品の内容を詳しく知らなくても「ジブリの映画だから観たい」「ディズニー映画は外せない」という雰囲気(情緒的ベネフィット)を市場につくり出せる。
だから公開前からプロモーションコストを使えるし、初動の動きがよければさらにコストを投入して、「今この映画を観ないと取り残される感」を煽るのだ。
空前のヒットを記録中の『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』も、そのようなマーケティング活動をして大成功をおさめている。
しかし『映画 えんとつ町のプペル』はどうか。
映画の作品そのものよりも、西野氏に対するネガティブな印象を持つ人がいまだに一定数いる。このような現状では、「情緒的ベネフィット」をうまく活用できない。
「ジブリの映画だから観たい」という人がいるように、「ジブリの映画だから観たくない」という人もいるだろう。しかし、後者はあまり一般的ではない。
「私、ジブリの映画だけは観に行かないと決めてるんだ」
と公然と口にする人は、そう多くないのだ。
いっぽうで、「西野氏の映画だから観たい」という人がいるように、「西野氏の映画だから観たくない」という人もいるだろう。しかも、その割合はそれなりにいるようだ。
西野氏はビジネスのこと、とくにマーケティングのことについては熟知しており、数々の成功をおさめている。我々ビジネスパーソンも見習うべきことは、とても多い。
しかし、数百万人を動員する映画を成功に導くためには、ブランディング戦略は避けて通れない。にもかかわらず、今回の『映画 えんとつ町のプペル』のプロモーションプロセスにおいて、西野氏は前面に出すぎてしまってはいなかったか。そこが少し気になった。
まるで選挙中の政治家を見ているかのような、宣伝運動のように見えた。あそこまで露出しなくても、西野氏のファンは映画館に足を運んだだろう。大事なことは「アンチ西野」を刺激しないことだった。
強烈な「アンチ」の存在はあなどれない。もしも興行収入100億円が成功ラインとして考えるならば、プラスの要素に目を向けるだけでなく、マイナス要素への配慮も重要なのだ。
■映画化が実現しただけですでに成功である
西野氏は納得しないだろうが、ビジネス的視点からすると、興行収入100億円を大幅に下回ったとしても、赤字にでもならなければ、失敗とは言えないのではないかと思う。
クラウドファンディングやオンラインサロンといった新しい仕組みを取り入れながら、夢の実現へと進んだ8年以上に及ぶプロセスは、途方もなくスケールが大きく、尊い。
それは間違いないことだ。
芸人という知名度を生かして映画をつくったわけではないことは明らかであり、大変苦しい工程であっただろう。世の中のビジネスパーソンは、このチャレンジ精神を見習うべきである。
最後に、西野氏が公言した「ディズニーを倒す」という表現について書く。この挑発的な物言いは、多くの関係者の心情を逆なでしたかもしれないが、とはいえこの表現を茶化すのはやめてもらいたいと、個人的には強く思っている。
約6年前のこと。
「2014 FIFAワールドカップ(ブラジル大会)」において、サッカー日本代表はグループリーグ敗退という屈辱的な結果を味わった。当時の日本代表のエース、本田圭佑選手は、2010年の南アフリカ大会から「優勝を目指す」と公言しており、それまでの4年間も「ワールドカップ優勝」を目標に、チームを引っ張ってきた。
当然、本田選手に夢を見せられた多くの人はこの結果に大きな失望を覚えただろう。しかし、だからといって本田選手をバッシングしていいはずはなかった。
それはまるで、大きな夢を掲げ、そこに向かって挑戦する人を嘲笑うかのような態度だったからだ。我々に夢を見せてくれたその勇気に、大いなる拍手を浴びせたらどうだ、と心から言いたい。
先述した「イノベーター理論」で表現すると、日本そのものが世界において、もう「レイトマジョリティ」か「ラガード」に位置している。
ほとんどの日本人が、世界において挑戦者でなくなっているのである。それどころか、新しいことをスタートさせる「イノベーター」や、それを追随する「アーリーマジョリティ」の足を引っ張る人が大多数だ。
だからアメリカや中国はおろか、アジア諸国と比べてもユニコーン企業(企業価値が高い未上場ベンチャー企業)が極端に少ないのである。
『映画 えんとつ町のプペル』は作品そのものだけでなく、映画が実現されるまでのプロセスにも目を向けると、私たちが学ぶべき多くのことがある。そう思わせられる映画である。