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【体操】超大技「コバチ宙返り」の使い手 前田楓丞が再び目指す「鉄棒の世界一」#体操競技

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
鉄棒のスペシャリストとして世界一を目指す前田楓丞(写真:松尾/アフロスポーツ)

認定されれば「J難度」に相当すると目される鉄棒の離れ技「コバチ宙返り(バーを越えながら後方かかえ込み3回宙返り懸垂)」の成功動画をSNSで発信し、世界中の体操選手から熱視線を浴びているスペシャリストがいる。

前田楓丞(まえだ・ふうすけ)=自由ヶ丘ジュニア体操クラブ=は、主要国際大会は未経験ながらインスタのフォローワー数が約1万9000人。高校時代からI難度の「ミヤチ(伸身ブレットシュナイダー)」を大会で成功し、“鉄棒の天才”と称されてきた逸材だ。

順天堂大学を2021年に中退した後、競技から約1年間離れていたが、今年から復帰し、パリ五輪や2025年世界選手権を目指して再スタートを切っている。

一度は体操から離れかけたが再び戻ってきた前田楓丞。空中姿勢がとても美しい(撮影:矢内由美子)
一度は体操から離れかけたが再び戻ってきた前田楓丞。空中姿勢がとても美しい(撮影:矢内由美子)

■復帰1年目で全日本種目別選手権・鉄棒2位

6月11日に行われた全日本種目別選手権鉄棒。前田は雄大な空中姿勢による高難度の離れ技を次々と繰り出し、観客の目を釘付けにした。結果こそ優勝した田中佑典(田中体操クラブ)と0.067差の2位だったが、卓越した美しさで会場をため息で包んだ田中と比較しても、甲乙つけがたい演技内容だった。

「バッチリだったというところまでは行かなかったですが、落ちなかったという点では良くなったと思います」

大会後、前田は清々しい表情でそう言った。納得のいく演技を出来なかったという思いはあるが、僅差で優勝を逃したことへの悔しさは「ないですよ」と話していた。

見応えたっぷりだったその演技構成を紹介しよう。

1:ツウォルミン(前方車輪1回ひねり片手大逆手後ろ振り上がり 1回ひねり逆手倒立)(C難度)

2:アドラー1回ひねり(E難度)

3:移行(A難度)

4:カッシーナ(G難度)+5:コールマン(E難)=連続加点0.2

6:コバチ(D難度)

7:アドラーハーフ(D難度)+8:デフ(F難度)=連続加点0.2

9:エンドー(B難度)

10:伸身月面宙返り降り(D難度)

合計Dスコア:6.5

個性が出ているのは冒頭の片手車輪と、アドラーハーフからのデフのところ。前田によれば「デフは高校2、3年生くらいから遊びでやっていた。その頃は試合で使うつもりはなかったけど、東京五輪後の新ルールで離れ技の回数が制限されることになり『デフを入れるしかないな』という感じで取り入れました」という。

多くの技を持っているため、新ルールにも柔軟に対応できたのだ。ちなみに、以前やっていた「ミヤチ」は、現在は組み込んでいない。

今年6月の全日本種目別選手権鉄棒決勝の演技。「カッシーナ」を美しい空中姿勢で持った
今年6月の全日本種目別選手権鉄棒決勝の演技。「カッシーナ」を美しい空中姿勢で持った写真:松尾/アフロスポーツ

■高校時代にI難度の「ミヤチ」を成功させた天才だったが…

前田の名前が体操界をざわつかせたのは2018年だった。8月のインターハイ種目別鉄棒で優勝していた福岡・自由ヶ丘高校3年生の前田は、10月に行われた国体で、高校生ながらI難度の「ミヤチ」を決めた。続くカッシーナ、コバチ、コールマンもすべてスムーズにこなし、Dスコア6.3で15.150点。凄い選手が現れたと評判になった。

2019年春には順天堂大学へ進学し(※谷川翔の2学年下、橋本大輝の1学年上)、入学してすぐの4月にあった全日本個人総合選手権の種目別鉄棒で2位。離れ技はカッシーナ、屈身コバチ、コバチ、コールマンの4つを丁寧に実施した。

5月のNHK杯では種目別で14.733点で堂々の1位になった。

コロナ禍で大会がことごとくなくなった2020年から競技生活のリズムに狂いが生じて苦しみ始めたが、それでも2021年4月にあった全日本個人総合選手権の種目別鉄棒予選では、ブレットシュナイダーを成功させた内村航平に続く2位。6月の全日本種目別選手権ではミヤチ、カッシーナ、コバチ、屈身コバチ、コールマンを使った。

だが、これが大学時代最後の主要大会出場となった。2022年の正月休みに入ったタイミングで体操部を離れた。

自由ヶ丘高校時代の鉄棒の演技(2017年)
自由ヶ丘高校時代の鉄棒の演技(2017年)写真:長田洋平/アフロスポーツ

■祖母の一言で競技復帰と世界を目指すことを決意した

大学を辞めた後は地元の福岡県に戻り、2カ月ほどは体操から離れた日々を送った。そこからも、2週間に一度くらい練習したり、また1カ月間練習しなかったり、気持ちが定まらない状態。細々と体を動かしながらどうにか国体予選には出場したが、それで成績が良いはずもなく、一時は体操をやめて就職することも考えたという。

そんなある日、祖母に言われた言葉が前田の胸を衝いた。

「(もう一度)体操をやる姿を見るまで死ねない」

子どもの頃からかわいがってくれた祖母の願いで心が動き、前田は再び挑戦することを決意した。

「おばあちゃんは僕が体操をしてるところが好き。それを見るまで死ねないって言ってくれて、もう、やるしかないと思ったんです」

本格的な練習を再開した当初は、レベルの高い練習から一年近く離れていたため、宙返り一回転でも目が回り、手の皮もひどくむけた。けれども、痛さよりも楽しさが勝った。

「体操を辞めて仕事をしようかと考えた時に、仕事をしなかったというのが自分の中での答えだと思うんです。結局、体育館にちょいちょい顔を出しに行っていたのは、どこかに心残りがあったということだと」

2021年5月のNHK杯で種目別鉄棒に出た時の前田
2021年5月のNHK杯で種目別鉄棒に出た時の前田写真:松尾/アフロスポーツ

■レベルが上がってきた日本の鉄棒界

今年6月の全日本種目別選手権鉄棒の決勝は、優勝した田中佑典はもちろん、他の出場選手たちのほとんどが最後まで演技を通し、その都度、会場が沸いた。

この大会ではミスが出たが、東京五輪種目別金メダルの橋本大輝もいる。Dスコア6.6の個性的な構成で挑む杉野正尭(徳洲会体操クラブ)や、身体の線が美しい川上(徳洲会体操クラブ)、ユニバーシティゲームズで種目別銅メダルを獲った杉本海誉斗(相好体操クラブ)もいる。

数年前は団体メンバーを組む際に日本がやや苦手としていた鉄棒だが、このところは確実に底上げされている。そこに前田が再び加わったことで、今後はいっそう華やかに、そして熾烈な争いとなっていくだろう。

前田は鉄棒の魅力についてこのように語っている。

「鉄棒にはパッと見てわかるダイナミックさがある。今、凄いことをやったということがパッと見て分かるし、構成が分かりやすいことが魅力だと思ってます」

前田の次の試合は9月の全日本シニア選手権(立川立飛アリーナ)。

「認められる演技を出していくことによって、応援してもらえる。全日本種目別選手権の演技は、自分ではまったく納得いってないですけど、今後の目標を明確に持てるようになった、現実的なところになったと思っています」

世界中から熱視線を浴びる前田が日の丸をつけて国際大会の舞台に立つ日、そして、「コバチ宙返り」を成功させて「マエダ」の名がつく日が訪れることを楽しみに待ちたい。

ピアスもネイルもしているおしゃれ男子(撮影:矢内由美子)
ピアスもネイルもしているおしゃれ男子(撮影:矢内由美子)

◆前田楓丞(まえだ・ふうすけ)2000年6月20日、福岡県北九州市生まれの23歳。4歳の時に小倉南体操クラブで体操を始め、WISH体操クラブを経て自由ヶ丘ジュニア体操クラブへ。自由ヶ丘高校から順天堂大学に進んだ。身長163センチ。兄は国士舘大学レスリング部時代に2018年東日本学生選手権グレコローマン87キロ級で優勝した前田鴻介さん。

【前田楓丞選手のインスタアカウント fusuke.gym↓】

https://www.instagram.com/fusuke.gym/

手首のプロテクター跡に体操選手らしさが出ている(撮影:矢内由美子)
手首のプロテクター跡に体操選手らしさが出ている(撮影:矢内由美子)

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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