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権力に狙い撃ちされた元記者の闘いの記録。政治タブー案件にテレビ局は難色、職を辞して挑むことに

水上賢治映画ライター
「標的」より

 いったい、これのなにが「捏造」に当たるのだろうか?

 そういう強い憤りを覚えてしまう現実を目の当たりにするのがドキュメンタリー映画「標的」だ。

 本作は、「捏造記者」といういわれなきレッテルを貼られてしまったひとりの元新聞記者を追っている。

 彼の名は、植村隆。

 朝日新聞大阪社会部記者だった植村は、1991年8月に元「慰安婦」だった韓国人女性の証言を伝える記事を書く。

 その中で、女性が女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人相手に性行為を強いられた証言を報じる。

 この韓国人女性が名乗りでたことをきっかけに、他のメディアも植村の記事を追随するように、同じような記事が掲載された。

 それから時を経た、安倍晋三衆院議員が政権に復帰した後となる2014年。

 いわゆる朝日バッシングの過程で、植村を「捏造記者」とする執拗な攻撃が始まる。

 その影響で、彼自身どころか家族までも卑劣な脅迫に晒される。

 なぜ、ほかにも同じような慰安婦についての記事は発表されたのに、植村だけが狙い撃ちのように「標的」にされたのか?

 本作は、植村の現在に至る過程を追う。手掛けた西嶋真司監督に訊く。(全六回)

映画「標的」の西嶋真司監督
映画「標的」の西嶋真司監督

1991年8月、僕もソウル特派員記者だったんです

 前回(第一回)、植村隆元記者を取材しようと決意するまでの経緯を主に訊いた。

 ここからは実際の取材過程を訊こうと思うが、その前に、植村氏が元「慰安婦」だった韓国人女性の証言を伝えるスクープ記事が掲載された1991年8月、西嶋監督はJNNソウル支局のソウル特派員記者だった。

 のちに植村が「捏造した」とのバッシングを受けることになる「挺身隊」と「慰安婦」が韓国で同義語として広く使われていた慰安婦報道を実際に目の当たりにしていた。

「当時、植村さんは特派員ではなく、朝日新聞大阪社会部記者としてソウルに取材に入ってその記事を書いた。

 元慰安婦の女性が生存していたという大スクープで。その後、その女性本人が記者会見をして、韓国のメディアも一斉に大々的に報じられたわけです。

 ですから、ソウル特派員の僕としては、(スクープを)抜かれた立場だったんですよ(笑)。

 ただ、正直なことを言うと、当時、僕の取材のテーマ対象に慰安婦は入っていなかった。

 存在は知られていましたけど、そもそもまだ生存されているかわからない、存命であったとしてもなかなか表に出ることは難しい。だから、名乗り出てくる人はいないのではないかとの思いがありました。

 これは僕だけじゃなくて、おそれく日本のメディアの多くがそう考えていたのではないかと思います。

 それが確かに生存していて、しかも名乗り出て詳細を語った。ということで、もう驚いたわけです。

 それで、『朝日』の記事が出て、本人が記者会見されて、日本のメディアもみんな取材に行ったんです。

 名乗り出た金学順さんには、僕もお会いしてお話をききました。

 それで当時、日本に記事を送ったんですけど、その中で、植村さんと同じように『挺身(ていしん)隊として』という言葉を使っているんです。

 取材した当時の記録を改めて見直してみると、『挺身隊問題を解決しろ』というようなプラカードを持ったデモが起きている。

 ですから、当時、多くの日本のメディアは『朝日新聞』だけではなく、挺身隊として戦場に連行された。あるいは強制連行という言葉を使っている新聞もある。

 ですけど、特に問題になっていない。

 それが、『朝日新聞』と、その記事を書いた植村さんだけが23年後にバッシングを受けることになる。

 この攻撃は、なんらかの意図があると考えざるをえない。

 そこもまたこの作品を作るきっかけになっています」

「標的」より
「標的」より

最初のうちは局には報告しないで、自分で独自の取材

 では、改めて実際の取材はどう進められていったのだろう?

「植村さんへの捏造バッシングが始まるのが2014年の夏のこと。

 それから約2年後の2016年に僕ははじめて植村さんにお会いしました。

 そのお会いした日から取材をしたい旨をお伝えして、無事ご承諾いただき、同年の10月から取材を始めました。

 当時、僕はまだRKB毎日放送のディレクターで、最初のうちは局には報告しないで、自分で独自の取材をしていたんです。

 植村さんへのインタビューや、植村さんの周囲の人のコメント録りとか。

 それから植村さんの記事を捏造とした櫻井よしこさんの記者会見を取材したりと」

企画が通らず局を離れてひとりで作り始めることに

 当初は、テレビのドキュメンタリーとして考えていたという。

「さきほど触れたように取材を始めた当初は、福岡のRKB毎日放送のディレクターでした。

 ですから、テレビのドキュメンタリーとして最初は制作しようと思っていたんです。

 ところが案の定といいますかこのテーマは難しいということで企画が通らなかったんです。

 それで、このまま局に残ろうとすると、このテーマは諦めざるをえない。

 じゃあ、どうするとなったとき、諦めると後悔すると思った。

 ならばということで、局を離れて、一か八かですけど、ひとりで作り始めることにしたんです(苦笑)。

  それで2018年の9月に会社を離れて、その年の11月に毎年行われている『Tokyo Docs』でプレゼンテーションして企画が選ばれて。

 この植村さんのバッシングについて人権問題として、とりわけ欧米のメディアから『こういうジャーナリストに対する権力側の個人攻撃はおかしい、ぜひ作るべき』というような声を多くいただいて、それが後押しとなって制作を続けていきました」

植村さんとの初対面はバッシングが続く2016年9月

 話を少し戻すが、植村氏とはどのような形で初めて対面したのだろう?

「2016年9月に植村さんは福岡で講演をやられたんです。

 自らが受けたバッシングを語る公演を、2015年ぐらいからはじめて全国を回られていた。

 おそらくこのとき、福岡での講演は初めてで、聞きにいったんです。

 講演会が終わったあと、植村さんに声をかけて伝えました『実は僕も当時、韓国にいてまったくあなたと同じ内容の記事を書いたんだ』と。

 その場で、『やっぱりこれはおかしいことだよね』となって何人かのグループで食事に行ったんです。

 そのときに、『これはやっぱり関係者の話を、まず記録として今のうちに残しておいた方がいい』と伝えたら、植村さんに『少しでもいいから自分では捏造記者ではないということを知ってもらいたい』という思いがやはりあって。

 『何でも協力するからいってください』とおっしゃってくれて、じゃあということで2016年の10月からすぐ植村さんの暮らす北海道に行って取材が始まりました」

(※第三回に続く)

【西嶋真司インタビュー第一回はこちら】

「標的」ポスタービジュアル
「標的」ポスタービジュアル

「標的」

監督:西嶋真司

法律監修:武蔵小杉合同法律事務所・神原元、北海道合同法律事務所・小野寺信勝

監修:佐藤和雄

音楽:竹口美紀

演奏:Viento

歌:川原一紗

撮影:油谷良清、西嶋真司

プロデューサー:川井田博幸

配給:グループ現代

製作・著作:ドキュメントアジア

沖縄・桜坂劇場にて公開中、

鹿児島・ガーデンズシネマにて5/28(土)~5/29(日)

北海道・大黒座にて6/12(日)~

広島・横川シネマにて6/24(金)~

熊本・Denkikanにて7/8(金)~

大分・シネマ5 7/16(土)~公開

写真はすべて(C)ドキュメントアジア

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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