学力の新観点「思考コード」を知っていますか?
知識とは何か? 思考力とは何か?
知識の詰め込みだけではダメ。思考力を鍛えなければいけない。誰もが口をそろえる。ときに知識とは何か、思考力とは何か。私たちはそれすら明確に説明できないことに気付く。しかしそれでは知識の詰め込みを否定することもできなければ、思考力を育てる教育を設計することもできない。
知識や思考力という概念に何らかの枠組みを与える試みは、過去に数多くなされてきた。有名なのは1956年にB.S.ブルームらが開発した「教育目標分類学(通称ブルーム・タキソノミー)」である。もともとは大学の試験問題を作成・評価するに当たって、関係者の共通言語をつくり認識をそろえる目的であったが、それが教育目標を示すのにも活用されるようになった。
<ブルームの教育目標分類学(認知領域)>
(1)知識=情報や概念を想起する
(2)理解=伝えられたことがわかり、素材や観念を利用できる
(3)応用=情報や概念を特定の具体的な状況で使う
(4)分析=情報や概念を各部分に分解し、相互の関係を明らかにする
(5)総合=様々な概念を組み合わせて新たなものを形作る
(6)評価=素材や方法の価値を目的に照らして判断する
特に欧米では、各教育機関がこれをベースにして教育到達目標を設定するようになった。OECDの学習到達度調査通称PISAしかり、ヨーロッパの言語運用能力基準CEFRしかり、国際バカロレアのディプロマポリシーしかり、イギリスやアメリカの共通テストしかりである。
2001年にはその改訂版が、ブルームの後継者らによって開発された。(1)記憶(2)理解(3)応用(4)分析(5)評価(6)創造の認知課程の次元軸と、事実的認識、概念的知識、遂行的知識、メタ認知的知識という知識の次元軸という2軸の掛け合わせによる2次元の表で教育目標が表現されるようになった。
難関校や公立中高一貫校の出題傾向を分析するために開発
いま世界標準の思考力を意識するなら、ひとまずこの概念を押さえておく必要がある。日本においてもこの概念を取り入れ、体系的に思考力を育てる取り組みがすでに多く始まっている。学校だけではない。中学受験用の模擬試験においても、偏差値とは違う評価軸として、改訂版ブルーム分類学をベースにした概念が導入されている。それが首都圏模試センターの「思考コード」だ。
首都圏模試センターの各種模試では、4教科の各設問が、思考コード上のどの領域に該当する問題なのかが分類されており、その正答率により、受験者の思考力の傾向がわかるようになっている。
たとえばフランシスコ・ザビエルに関する問題を、各領域にあてはめてつくってみると下図のようになる。
縦軸を上がると問題の難易度が上がることがわかる。横軸を見てみよう。横軸が右にいくのに従って知識の活用力や表現力が上がることがわかる。Aの領域では聞かれたことに知っている知識で答えればいい。単に知識や理解を試している。Bの領域では出題者からの問いかけに、事実に基づいて論理的に適切な形で答えなければならない。これが論理的思考だ。さらにCの領域までいくともはや答えが一つではない。「自分なら」という条件が加わる。出題者との対話を通して、さまざまな知識を活用しながら自分にしかできない解答を創造しなければならない。これが創造的思考だ。知識にも「レベル」があり、思考力にも「深さ」があることが可視化されている。
「思考コード」という概念を模試に導入することになったいきさつを、首都圏模試センターに聞いた。
「難関校や公立中高一貫校の中学入試のそっくり模試をつくるために、それぞれの学校が求める知識のレベルや思考の深さを分析し、それを設計図として作問する必要がありました」
「難関校といわれる学校ほど、A2よりA3そしてB2よりB3と上方向の領域の問題が出題される傾向があります。Cの領域はもともと麻布では出題されていますが、大学入試改革の影響もあって中学受験全体でAよりもB、BよりもCと右側の力が求められるようになっています。首都圏模試で実施している各種模擬試験の出題傾向を思考コードの表に当てはめると、おおむねこのように表すことができます」
これがそのまま世間一般の中学入試において、どのタイプの思考力が求められているのかを表すことになる。
難関校ではA3やB3くらいまで出題される。御三家レベルになると学校によってはC2の領域にまで踏み込むこともあるという。中堅校レベルであればB2までに対応できていればいい。公立中高一貫校で求められる知識レベルは中堅校とほぼ変わらないが、情報の読取力や知識の活用力、表現力に加えて「あなたの考えを述べなさい」という問いに象徴されるように、Cの領域にまで踏み込むことが求められる。
首都圏模試の思考コード開発に携わった本間勇人氏(本間教育研究所)は、わかりやすい例として、2017年の海城中学校の帰国生入試の問題を見せてくれた。鈴森康一著『ロボットはなぜ生き物に似てしまうのか』の一節が課題文として引用され、ショベルカーのアームと人間の腕の比較、お掃除ロボット「ルンバ」とカブトガニの比較、国際宇宙ステーションのロボットアームとタカアシガニの足の比較が述べられている。写真も添えられている。それを見て、次の4問に答える。
問1 次の(1)〜(4)について、本文の内容に合うものには○を、合わないものには×を回答欄に記入しなさい。
(1) ロボットやショベルカーがヒトのアームに似ているとは言っても、機種によっては似ていないものも少なくはない。
(2) 長い時間をかけた進化の力で誕生したカブトガニの姿は、長い間ほとんど変化していない。
(3) ルンバとカブトガニが共に扁平な形をしているのは、ルンバの設計者がカブトガニをモデルにしたためである。
(4) 海底を住処とするカニは、地上の生き物よりはるかに細長い脚を持ちながら、地上の生き物にはとても取り扱えない重い物体を扱うことができる。
問2 下線部では、「ヒト」と「産業用ロボット」、「ショベルカー」の3者のアーム構成がいずれも3つのパーツからなるという類似性の背景には、3次元空間を自由に動く目的があることが述べられています。では、もし肘関節が固定されていて、上腕と前腕が1つのパーツとして振る舞う場合に、具体的にはどのような不都合が生じると思いますか。説明しなさい。
問3 「ルンバ」と「カブトガニ」にはなぜ類似性が生じたのですか。また、「『きぼう』のロボットアーム」と「タカアシガニ」にはなぜ類似性が生じたのですか。本文に基づいてそれぞれ答えなさい。
問4 本文の例文以外に、「人間の作った物」と「動物」で類似性を持った組み合わせを1つ挙げ、それらの似ているところと、類似性が生じた理由について、あなたの考えを説明しなさい。さらに、「人間の作った物」と「植物」で類似性を持った例も1つ挙げ、同様に説明しなさい。
問1は「A 知識・理解」の領域の問題だといえる。問2と問3は「B 応用・論理」。問4は「C 批判・創造」の領域の問題だ。
海城は学校として、国際バカロレアの教育を長年研究し、できる範囲で取り入れてきた。生徒の思考力を育てるという観点では、当然タキソノミーも意識してきたはずだ。そのうえで、海外で教育を受けた帰国生を対象とした入試に、高度な思考力を求める問題を出したのである。
最近では「思考力入試」と呼ばれる中学入試の新ジャンルも登場している。たとえば聖学院中学校の「思考力テスト」。
1問目は、カンボジアの市場の写真8枚を見て、「読み取れることをなるべくたくさん書き出してください」である。2問目には、カンボジアの肉市場と日本のスーパーの肉売り場の写真が並ぶ。それらを比較して気付いたことを書き出させ、さらに書き出した内容を見ながら、カンボジアの市場のメリットを記述させる。3問目は仮に受験生自身がカンボジアで暮らすことになったらどんな能力が必要になると思うかを問う。最後の4問目では、このテストを受けて考えたことを200字以内にまとめさせる。
受験科目的な知識はほとんど必要ない。その代わりに徐々に高い次元の思考、すなわちCの領域に近づいていく問題構成になっていることがわかる。必ずしも受験科目的な知識のレベルは高くなくてもいいので、高い次元の思考力をもつ生徒を欲している学校側の意図が見える。
点数や偏差値に変わる新しい学力の基準
「思考コードを意識した入試を行っている学校では、普段の授業の中でも、思考コードを意識しています。自分の授業内容を思考コードと照らし合わせることで、たとえば生徒たちにディスカッションをさせるときでも、B2の議論をさせるべきのか、C3の議論までもっていくのか、思考力の引き上げを、客観的に狙うことができるようになります」
「麻布や武蔵のような学校では、思考コードなどなくても、当然C3の議論までしなければならないという文化ができあがっています。12歳の時点で高い次元の思考力をもつ生徒も多くいます。逆にこれまでそのような文化が育っていなかった学校や、比較的新しい学校は、思考コードという概念を取り入れることで、生徒の思考力を体系的に伸ばすことが可能になります」
「最初からC2やC3の思考力をもっている子供にとってはA2やB1の思考が苦痛であることもあり得ます。逆になかなかC領域まで行けない子供もいます。それでもいいんです。B2が得意な子、A2が得意な子、C3が得意な子など、それぞれに得意な領域をもつ子供たちが集まって『集合天才』を形成すれば、社会としてはいいんです」
「日本の一般的な学校のしくみの中では、ともするとC3の思考力なんて子供にもたせてはいけないと考えられているのではないかという節すらありますよね(笑)。ルールが決められていて、自分で判断してはいけないみたいな。生徒たちだけでなく、そもそもC3的な思考力を持っている先生を評価できない学校がほとんどです」
「たとえば形の上ではアクティブ・ラーニング的な授業をしていても、思考のレベルが全然違うことがあります。知識を定着させるための習得型アクティブ・ラーニングなのか正解のない問いに挑む探究型アクティブ・ラーニングなのか。思考コードを意識しないと、一部の地頭のいい生徒だけが勝手にC3の領域まで行っただけでその他ほとんどの生徒は習得型アクティブ・ラーニングに終始しているのに、あたかも探究型アクティブ・ラーニングの授業が成立しているかのような錯覚を生むことも考えられます」
このような会話をしていると、当初ぼんやりとしか認識できていなかった「思考力」という言葉の輪郭が、くっきりと鮮やかに見えてくる気がする。そのために思考コードという概念が有効なのだ。
現在議論が続いている大学入試改革における新入試制度の概念図を思考コードに当てはめてみると、思考力の観点から、従来の入試制度との違いがはっきりとわかる。
従来のセンター試験ではA1、A2のみしか見ていなかったが、「大学入学希望者学力テスト(仮)」ではB3までを見ることが可能になる。さらに、各大学の個別選抜で自由度の高い記述式や小論文が課されるということは、C3の領域の思考力が求められるようになることが予測できる。
こうとらえると、大学入試改革で、本質的に何が変わるのか、変えるべきなのかが理解しやすくなる。ただ選択問題が記述問題に置き換わったり、単に応用問題が増えたりするという話ではないのだ。
テストの点数や偏差値は上がったり下がったりする。しかし一度身に付いた思考のレベルが下がることは基本的にはあり得ない。子供の成長を見守る新しい観点として、思考コードを参考にしてみてほしい。