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朝日新聞の謝罪で日本の名誉は回復されたのか

木村正人在英国際ジャーナリスト

覆水盆に返らず

朝日新聞の木村伊量社長が11日、福島第一原発事故の政府事故調査・検証委員会が作成した吉田調書や従軍慰安婦をめぐる報道の一部を取り消して謝罪したことは、どれほど日本の国際的な名誉を回復したのだろう。

米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は22日、朝日新聞が吉田調書をめぐる記事を取り消したことがNYタイムズ紙でも報じられたことについて、東京電力の広瀬直己社長が「感謝したい」と述べた投稿を掲載した。

広瀬社長は「東電の所員は誤った報道で傷つけられてきた。所員の勇気と忍耐が再び認められたことに感謝している」と記している。しかし、「覆水盆に返らず」と言うように、いったん世界中に拡散した負のイメージを元通りに回復するのは難しい。

従軍慰安婦問題をめぐって、韓国・済州島で慰安婦を強制連行したという吉田清治氏(故人)の虚偽証言と、「慰安婦」と「挺身隊」の混同が広げた傷は恐ろしく深い。

しかし、歴史認識に関する朝日新聞の誤報は、何も従軍慰安婦問題に始まった話ではない。

誤報の歴史

朝日新聞紙面審議会委員を務めた元朝日記者の後藤文康氏の『誤報―新聞報道の死角』(岩波新書、1996年)を読み返すと、いろいろな事例が紹介されている。

71年の「林彪(りんぴょう、中国共産党副主席で毛沢東の後継者と目されていた)クーデター未遂、逃亡、飛行機事故死」をめぐって、朝日新聞の北京特派員は一貫して林彪失脚説を否定。朝日新聞は「日中関係正常化」を日本外交の最優先課題に位置づけていた。

朝日社長は特派員に「うそは絶対に書くな。迎合の記事は書くな。追放されるような記事をあえて書く必要もない」と指示していたため、特派員は「追放」を恐れ、林彪失脚という事実をねじ曲げて報道していた。

82年には、中国への「侵略」という表現を文部省の要求で「進出」や「侵攻」に書き換えたという「教科書検定事件」が起きる。記者クラブの共同作業が原因で生じた誤報だったが、朝日新聞の対応は遅れた。

84年には「中国戦線の毒ガス作戦」の証拠写真として「煙幕」の写真を掲載した。続報で「煙幕」とわかったと修正しただけで、誤報をきちんと詫びなかった。

同年、「南京虐殺事件の際の中国兵の首」として掲載した写真も「旧満州の馬賊討伐の際の写真」とわかり、86年になって写真についてはお詫びして取り消している。90年に掲載した「戦没学徒の遺書」も信頼性に欠けることがわかり、お詫びを出している。

林彪事件について当時の編集トップは「日中正常化推進の社論と、公正、客観的な報道をすることとは、はっきり分けなければならない。前者のために後者をゆがめるようなことは断じて許されない」と総括している。

後藤氏も「ジャーナリストが正しい歴史認識を持つことは重要である。しかし、得た情報が自分の認識と使命感に合致したデータだからといって、真偽の吟味を怠ることは許されない」という自戒を記している。

「美化したり粉飾したりした体験を、いかにも歴史的な真実であるかのように語り継ぐことは戦争と平和を考える上で、決してプラスにはならない。それがキャンペーン的に扱われた場合はなおさらである」

教訓が活かされなかった理由

後進のジャーナリストのために残した後藤氏の教訓は、従軍慰安婦報道ではまったく活かされないばかりか、「偏向報道」にさらに拍車をかけてしまった。

生前の吉田清治氏からインタビューした記者に話を聞くと、証言の中で出てくる強制連行を記録した日記や資料を見せてくれと繰り返し頼んでも出してこないので、「ウソをついている」と疑ったという。

そんな怪しげな人物の証言を16回も掲載したのだから、「過失」ではなく「故意」と判断されても仕方がない。それとも英誌エコノミスト(電子版、20日付)が指摘しているように日本の企業文化が原因なのか。

「スキャンダルは、日本の企業や政府のヒエラルキーに共通する保身という態度を示唆している。朝日新聞が長期にわたって慰安婦報道の過ちを認めることができなかった主な原因は、最初に報じた記者たちが出世階段を登り詰め、権力を行使したからだ」

安倍首相「誤報で多くの人が苦しんだ」

安倍晋三首相は首相就任前、「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と述べ、従軍慰安婦をめぐる河野談話の見直しを公言していた。

首相になって河野談話の見直しは撤回したが、朝日新聞の謝罪に対して、11日のニッポン放送番組で「慰安婦問題の誤報で多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられた」と指摘した。

14日のNHK番組では「日本兵が、人さらいのように人の家に入っていって子どもをさらって慰安婦にしたという、そういう記事だった。世界中でそれを事実だと思って、非難するいろんな碑が出来ているのも事実だ」と述べた。

安倍首相と国家観を共有する自民党の稲田朋美政調会長は産経新聞のインタビューに、次のように語っている。

「いま世界には、旧日本軍が20万人の女性を性奴隷にしたという誤った認識が広がっている。その原因は吉田清治氏による虚偽の証言であり、それを報道し続けた朝日新聞だ」

「朝日新聞は自社の報道がもたらした結果なのだから、謝罪するだけでなく、必死になって名誉回復の措置をとるべきだ。われわれも与野党関係なく、言論人も経済人もみんなで国民運動として動かないと、いったん地に落ちた名誉を回復するのは難しい」

朝日新聞の従軍慰安婦報道を一貫して検証してきた産経新聞は24日付の主張で「国連総会のため、安倍晋三首相と岸田文雄外相がニューヨークを訪問中である。各国要人との会合、会談などさまざまな機会を生かして、正しい情報を発信する努力を始めてほしい」と訴えた。

海外メディアの反応は

朝日新聞が謝罪したことで日本国内の右派は鬼の首をとったようなはしゃぎぶりだが、これで日本の国際的な名誉が少しでも回復されたかとなると、甚だ疑わしい。

エコノミスト誌(電子版13日付)のアジア・コラム「Banyan(ベンガルボダイジュ)」は「吉田証言は慰安婦に対する日本の犯罪を証明する圧倒的な証拠のほんの一部に過ぎない。犯罪者の詳細で価値の高い証言がある」と指摘する。

英紙フィナンシャル・タイムズ(電子版、12日付)は「日本のナショナリストたちは何年もの間、朝日新聞が偏向した『自虐史観』を言いふらしていると非難してきた。彼らの声は、日本の過去の誇りを回復することを中心的なテーマに据える安倍氏の復活とともに大きくなってきた」という。

海外メディアは以前から「朝鮮半島下での強制連行」の有無をまったく論点にしておらず、旧日本軍慰安婦制度の中で起きた強制の構造を問題視してきた。吉田清治氏の虚偽証言や、「挺身隊」と「慰安婦」の混同には関心を払ってこなかった。

実際にインドネシアではオランダ人女性の強制連行・強制売春事件は起きている。

右派の政治家やメディアによる朝日新聞攻撃は、河野談話の見直しや従軍慰安婦問題の所在をあいまいにするために行われており、その運動の中心に安倍首相らナショナリスト勢力がいるとの見方が広がっている。

朝日新聞の謝罪に関する安倍首相と側近の発言で、安倍首相は戦後秩序を否定する「歴史修正主義者」というレッテルが定着し、「日本は右傾化している」と批判する格好の材料を与えてしまっている。

韓国国内の反応はどうなのか。筆者が主宰する「つぶやいたろうジャーナリズム塾」4期生で韓国留学中の笹山大志くんが、また起きた旭日旗騒動についてソウルからレポートを送ってきてくれた。

韓国人が旭日旗を嫌う本当の理由

【笹山大志=ソウル】また、旭日旗問題だ。旭日旗絡みで韓国が噛み付いてくるのは何度目だろうか。

またまた旭日旗

韓国で開催されている仁川アジア大会に参加するホッケー日本代表の男子選手が、練習の見学に来ていた現地の女子高生約20人に日本ホッケー協会のバッジをプレゼント。

しかし、バッジを受け取った生徒が旭日旗を連想させると学校に連絡。学校側が大会組織委員会に問題として報告した。

問題になった日本ホッケー協会バッジの図柄(同協会HPより)
問題になった日本ホッケー協会バッジの図柄(同協会HPより)

これに対し、日本ホッケー協会は「(バッジは)昔から使用していたものであり、旭日旗に似せてデザインしていないものだと聞いている」「心外な思いだが、事態を大きくしないためにも今大会ではバッジを使わないことを決めた」という。

このほか、直近では今年7月、ソウルの戦争記念館で予定していた「ワンピース特別展」が、原作に旭日旗を連想させるシーンが登場するとして一時中止に追い込まれる事態が発生した。

また、サッカーのブラジルW杯では、日本代表ユニフォームに織り込まれた模様が旭日旗を想起させるということも問題となった。

今年3月、オバマ米大統領が仲介した日米韓首脳会談、8月の日韓外相会談、局長級協議で関係改善に向けた環境整備が進められているものの、日韓首脳会談の見通しは立たない。

そんな中、旭日旗騒動など民間レベルで関係改善の足を引っ張る問題が起きている。

なぜ旭日旗が問題になるか

韓国で旭日旗が問題視されるのは、「『旭日旗を日本の帝国主義、軍国主義の象徴』ととらえる人が多いからだ」という見方がある。しかし、韓国国民の怒りの本質はそこにあるのだろうか。

ワンピース展やサッカーの日本代表ユニフォーム、今回のホッケー記念バッジにしても、背景に、帝国主義や軍国主義を見出す要素は何一つ見当たらない。

問題の本質は、特定非営利活動法人 言論NPO・東アジア研究院の第2回日韓共同世論調査(今年7月)に見られるように、5割以上の韓国人に「日本は軍国主義」と感じさせてしまう日本側の空気にあるのではないか。

その原因は「安倍首相の度重なる歴史修正主義的な発言」「ヘイトスピーチや嫌韓本で見られるネット右翼の顕在化」にあるように、私には感じられる。

「日本政府関係者が中国や韓国から非難を浴びる歴史認識発言を平然と行っても、以前のような処置が取られないこと」を問題視する人もいる。

他者の目、気にしなくなった日本

「もともと日本人は他者からの評価を非常に気にする民族だった。思っていることでも自分の評価を下げるような言動は慎む。私は日本のそうしたリベラルな部分が好きだったが、最近では他者目線を完全に忘れている」

日韓サッカーを追いかけている韓国人男性のユンさん(仮名)(36)は右傾化したと感じられる日本の空気についてこう語る。

「韓国人の旭日旗への反応は過剰」としながらも、「なぜ日本は韓国人が嫌がることを無神経にやってしまうのか」「自分が正しいと思っても、人が嫌がることはしないのが人間じゃないか」と話す人もいた。

旭日旗問題の本質は、日本人が他者目線、国際社会の視線を冷静に感じ取れなくなったことにもあるようだ。

日本との経済格差が縮まり、韓国側は歴史話題に関して遠慮なく日本に本音をぶつけられるようになった。それは日本も同じだが、悲しいかな、日本側の発言は国際的な評価を得られていない。

それどころか、逆に日本の国際的な評価を貶めているのが現実だ。

先日、朝日新聞が吉田証言に関連する記事を取り消したことで、「慰安婦問題で日本には非がなかった」「慰安婦問題は存在しなかった」「これらを国際社会に訴えて、日本の名誉を回復させよう」という日本国内の右派の動きが活発化している。

しかし、こうした動きこそ、韓国だけではなく、国際社会での日本の評価を低下させているのである。日本の右派が描く構図とは異なり、吉田証言は慰安婦問題に対する国際社会の評価の根拠にはなっていない。

日本の右派の主張は国際社会からはまったく相手にされていない。日本が歴史修正主義に傾いていると国際社会から見られれば見られるほど、日本の名誉を回復するどころか、日本を世界から孤立させている。

安倍首相は国会で次のように発言している。

「慰安婦問題については、筆舌に尽くしがたい、つらい思いをされた方々のことを思い、非常に心が痛みます。この点についての思いは、私も歴代総理と変わりがありません」

「この(河野)談話は官房長官の談話ですが、菅官房長官が記者会見で述べているとおり、安倍内閣でそれを見直すことは考えておりません」

安倍首相の国会答弁と、安倍政権を支える右派の主張。どちらが日本の本音なのだろう。そこを韓国だけではなく、国際社会も訝っているのだ。

私は、日本が国際社会で高い地位を維持することを願っている。日本を愛するからこそ、日本国内で高まる右派の論調にはとても同調できない。

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笹山大志(ささやま たいし)。1994年生まれ。立命館大学政策科学部所属。北朝鮮問題や日韓ナショナリズムに関心がある。現在、韓国延世大学語学堂に語学留学中。日韓学生フォーラムに参加、日韓市民へのインタビューを学生ウェブメディア「Digital Free Press」で連載し、若者の視点で日韓関係を探っている。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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