タイキシャトルの藤沢が安田記念当日「遠征しないで済むか」と語った理由とは……
安田記念前にタイキシャトルを襲ったピンチとは……
1998年のJRA賞年度代表馬に選出されたのはタイキシャトル(美浦・藤沢和雄厩舎)だった。
徹底的にマイル以下しか走らなかった短距離馬が栄えある年度代表馬に選ばれたのは、JRA賞史上初めての快挙だった。歴史が動く決め手となったのは同馬がこの年の夏、フランスのマイルのG1・ジャックルマロワ賞を圧倒的1番人気に応えて優勝したため。そして、そのヨーロッパの伝統的なG1レースへの出走が確約されたのが渡仏直前に使い優勝した安田記念(G1)だった。当時、安田記念でのタイキシャトルのオッズは1.3倍。多くのファンが勝利を信じ、一見順当に決まった結果となったが、レース直後の藤沢は複雑な表情で思いもしない言葉を口にした。
この安田記念を迎えるまでのタイキシャトルの戦績は9戦8勝。デビュー4戦目に伏兵の逃げ切りを許して2着に敗れたが、他はパーフェクト。現在の数え方でいう3歳時にマイルチャンピオンシップ(G1)とスプリンターズS(G1)を制覇。早くも短距離界を制圧すると、古馬となった翌98年、安田記念のステップとして使った京王杯SC(G2)を1分20秒1という時計で駆け抜けた。この時計は前年、僚馬のタイキブリザードが作った1分20秒5というレコードを更新するもので、レース後、藤沢は苦笑混じりに次のように言った。
「7歳になったブリザードが必死に樹立したレコードをあっさり更新してしまったね」
藤沢が苦笑したのには、もう一つ要因があった。実はこの時のタイキシャトルは決して順調だったわけではなかった。元々唯一の弱点が爪と言われていた馬であり、冬場、北海道の放牧先で裂蹄になってしまったのだ。表には出なかったが、一時はプレップレースどころか安田記念さえ使えないのではないか?という状況に追い込まれた。それはすなわち海外遠征どころではないという意味でもあった。
しかし、そこで1人の男が立ち上がった。志賀勝雄。52年生まれで当時46歳の装蹄師だった。通常、一つの蹄鉄は6本の釘で固定されるが、志賀は4本しか打たなかった。「蹄鉄と爪の間にあえて隙間を作る事で伸長を促したのです」と彼は語った。フォーポイントというこの作戦が奏功し、後の年度代表馬は、安田記念はもちろん前哨戦にも出走可能となった。
安田記念当日の大雨に「海外遠征しないで済むか」と伯楽が語った理由
こうして東京のマイルのG1に間に合ったタイキシャトルは早々に「勝てば海外遠征」と発表された。しかし、実は指揮官は複雑な心境だった事が後に分かる。ちなみにレース当日は酷い雨で極悪馬場となるのだが、そんな状況を見て、藤沢は「ホッとした」。道悪ならこなせるし、勝てるだろうから……という理由ではない。むしろ、本気なのか冗談なのか分からない正反対の理由を、伯楽はポツリと口にした。
「これで負ければ遠征しなくて済む」
ここだけを切り取ると誤解を招きかねないので、この言葉へと続いたストーリーを記そう。
遡る事3年。藤沢は連続して海外へ挑戦している。95年にアメリカへ飛んだクロフネミステリーはG2に挑戦し3着。96、97年はいずれもタイキブリザードで太平洋を越えた。96年にカナダで行われたブリーダーズCでは13着、97年は現地で前哨戦を叩いてからブリーダーズCに再挑戦したがここも6着に敗れていた。今はなきハリウッドパーク競馬場の検疫厩舎地区で、若き日の伯楽は肩を落として言った。
「海外なので相手が強いのは承知していたけど、それにしても強かった。私のわがままを聞いてもらい、オーナーには申し訳ない気持ちでいっぱいです」
クロフネミステリーもタイキブリザードもオーナーは大樹ファーム。帯同馬として連れて行った馬のオーナーは大樹ファームの社長関連の個人名義。3年連続で打ちのめされ、これ以上迷惑はかけられないと思ったところに現れたのが、同じ大樹ファームのタイキシャトルだったのだ。
そのため藤沢の心は揺れた。
「海外で通用する馬を、という気持ちは常に持っているけど、同じオーナーの馬で行ってまた負けたら顔向け出来ない」
だから安田記念当日の田んぼのような馬場を見た時は「これで行かないで済むかも」と胸を撫で下ろしたのだ。
しかし、そんなリーディングトレーナーの気持ちとは裏腹、この大雨が追い風となった。この日、藤沢が東京競馬場で使った馬はメインのタイキシャトルの前に4頭いた。まずは第1レース、第2レースと連勝して幕を開けた。更に第4レースを勝利すると第6レースも1着。メインレースを前に4戦4勝という厩舎成績で、真打ちの登場となったのだ。そして……。
「どろんこの馬場もモノともせず、抜け出したね。強かった。これじゃ、海外に行かないわけにはいきませんね」
レコード勝ちした前走とは一転し勝ち時計は1分37秒5も要した。2着の香港馬オリエンタルエクスプレスに2馬身半の差をつけ、どんな馬場でも王者は王者というところを見せつけた。
こうして勇躍フランスへ飛んだタイキシャトルは冒頭で記したようにジャックルマロワ賞(G1)を制覇する。藤沢と大樹ファーム、そして手綱を取った岡部幸雄(当時騎手)のトリオとしては、4年越しとなる念願の海外での優勝劇だったわけだ。
ちなみにフランスでもアクシデントに見舞われたのだが、それは別のお話。またの機会に記させていただこう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)