『コーダ あいのうた』ここまで純粋に感動させる映画がアカデミー賞の頂点に立つ、ある意味、意外な喜び
『ドライブ・マイ・カー』が国際長編映画賞に輝いた第94回アカデミー賞。しかし、この結果は予想どおり。他の部門も全体的に今年は大きなサプライズは起こらなかったといえる。サプライズといえば、ウィル・スミスの“事件”くらいか。
ただ、作品賞に関しては『コーダ あいのうた』が、大逆転の受賞になったといえる。『コーダ』は直前の前哨戦で急激に追い上げて、作品賞にたどりついた印象。数週間前までは最多ノミネートの『パワー・オブ・ザ・ドッグ』が作品賞に最も近いといわれていた。その予想どおりであれば、Netflix作品として念願の頂点になるはずだった。ついに配信会社の作品がアカデミー賞作品賞になるか……という期待もあった。『コーダ』もアメリカではApple TV+の配信作品でその快挙を達成したともいえるが、日本などでは劇場公開されており、やや実感が薄い。
前哨戦での長い期間、つねに『パワー・オブ・ザ・ドッグ』がトップランナーを走っていたが、やや混戦を予感させたのが、全米映画俳優組合賞(SAG)でトップの賞であるキャスト賞を『コーダ』が受賞したあたりのこと。その賞には『パワー・オブ・ザ・ドッグ』がノミネート自体されていなかったとはいえ、その後、アカデミー賞作品賞に最も近い結果となる、全米映画製作者連盟賞(PGA)も『コーダ』が受賞。『コーダ』は脚本家組合賞も受賞し、アカデミー賞直前の重要な賞を加速度的に制してきた印象。
『パワー・オブ・ザ・ドッグ』はアカデミー賞で最多の12ノミネート(11部門ノミネート)。『コーダ』は、わずか3部門のノミネート。普通に考えれば、作品賞に近いのは『パワー・オブ・ザ・ドッグ』だった。これは大逆転の結果である。
アカデミー賞の歴史を近年も含めて振り返ると、『コーダ』は作品賞受賞作として、ちょっと異色な作品である。あまりに素直に感動させる作品だからだ。今年のアカデミー賞の予想で多くの人と話しても「『コーダ』は本当にいい映画だけど、アカデミー賞作品賞っぽくはない」という意見が大勢だった。しかし、このような映画が頂点に立つことに、アカデミー賞の豊かさも感じた。
アカデミー賞作品賞の投票は、アカデミー会員の全員に権利がある(他の部門は、同業者に限定するなどいろいろなルールがある)。今年は作品賞に10本のノミネートがあり、会員はその10本をランクづけして投票するのだが、1位が一番少ない作品が却下され、それを1位にした人は2位が1位になるという繰り上げ方式で、結果的に最後に過半数をとった作品が受賞となる。つまり極端に賛否が分かれる作品は残りづらい。その点で『パワー・オブ・ザ・ドッグ』は賛否も分かれる作品でもあり、『コーダ』は全体的に「誰もが素直に感動できる」作品ということで、上位にランクされる可能性が高かった。
『コーダ』は、フランス映画『エール!』のリメイク。この「リメイク」という点もアカデミー賞作品賞のハンデになると思われた。ただ、『ディパーテッド』(香港映画『インファナル・アフェア』のリメイク)の作品賞受賞という過去もあり、アカデミーにとってあまりハンデは関係ないようだ。
聴覚障がいの家族の中で、一人だけ健聴者である少女ルビーを主人公にした『コーダ』。家族の「通訳」も務める彼女が、歌の才能にめざめ、その喜びを感じつつ、どこまで家族のために生きるか葛藤する物語は、耳の聴こえない家族がルビーの歌を「どう感じるのか」など、あちこちに感動のツボを押してくるシーンが詰め込まれている。家族への愛と、自分の将来の間で悩み、家族もルビーの思いも後押ししようとするプロセスは、『リトル・ダンサー』など過去の名作とも重なり、筆者も最初に観たとき、最後の20分は流れる涙を止めることができなかった。
こうした、あまりにストレートな感動作がアカデミー賞作品賞に到達することは近年なかったとも言える。人種差別をベースにしながら、エンタメ的に心をつかむ『グリーンブック』のケースに近いが、ある意味、これも多様性の反映か、あるいはその反動か。
そして『パワー・オブ・ザ・ドッグ』に作品賞を「与えなかった」ことを考えると、もしかしたら「映画はスクリーンで観るべきもの」というどこか静かな抵抗概念がまだまだ崩されていないのかも……と感じる。