昭和33年(1958年)の大霜害 植物の生育が進む暖かさのあとの霜は危険
霜は、大気中の水蒸気が昇華して、地面または植物の表面に付着した氷の結晶のことで、真冬ほど多く発生しますが、植物は寒さに備えているため霜による被害はありません。
遅霜
霜害は、春と秋の降霜に伴って農作物や苗木、若木の細胞が凍死または生育の機能低下をもたらす災害です。春から初夏にかけての霜が遅霜、あるいは、晩霜と言います。また、季節最後の霜を別れ霜と言います。
秋から冬にかけて降る霜を早霜と言い、遅霜とともに霜害の恐れがあります。
冬は発表しない気象庁の霜注意報
気象庁では、遅霜や早霜により農作物に被害が予想されるときは霜注意報を発表して注意を呼びかけていますが、真冬には霜による被害がないため、霜注意報は発表しません。
霜注意報を発表する期間は、地方の実情にあわせて、自治体等と協議して決めています。
昭和33年(1958年)の大霜害
昭和33年(1958年)の冬は気温が高く推移し、農作物の伸びが平年より進んでいました(図1)。
そこに、3月26日に低気圧が九州の南海上から八丈島近海を通過したため、太平洋側の地方で大雪となり、引き続いて寒気が南下したため東日本から西日本で大霜害が発生しました(図2)。関東地方では麦、九州南部や東海地方ではナタネが被害を受け、全国的には野菜、果樹、茶などが霜害を受けました。
八十八夜の泣き霜
霜害を防ぐには、霜の降りやすい窪地などを避けて農作物を栽培したり、防霜林を植えるなどの恒久対策をとるほか、霜注意報などで霜が予想されるときには、畑に設置した扇風機を回したり、火を焚いて煙を出して放射冷却を防ぐなどの応急対策をとります。
春に暖かい日が続けば続くほど植物は霜に弱くなります。暖かい日が続いた後の霜は、霜害が大きくなります。立春から数えて八十八日目の5月上旬に霜が降りると被害が深刻になるので、「八十八夜の泣き霜」と恐れられてきました。
夏も近く八十八夜ですが、この頃までは、暖かい日が続いたとしても、頭の片隅に霜に対する警戒を入れておく必要があります。
図1の出展:気象庁ホームページの資料をもとに著者作成。
図2の出展:デジタル台風(国立情報学研究所のウェブサイト)より。