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八村塁の恩師 佐藤久夫コーチインタビュー3「次の八村塁の育成と信念のチーム作りを」

小永吉陽子Basketball Writer
毎年、情熱のある指導でチーム作りをする佐藤久夫コーチ(写真/小永吉陽子)

八村塁を育成した明成高・佐藤久夫コーチのインタビュー第3弾。現在、佐藤コーチの指導のモチベーションは、再び八村塁のような選手を育てることと、選手個々の可能性を引き出すチーム作りをすること。その情熱の指導と現在進行中のチームの大型化について聞いた。

◆インタビューVol.1 「高校3年間は世界に羽ばたく準備期間だった」

◆インタビューVol.2「潜在能力を引き出す指導に取り組んだ3年間」

八村塁を支える言葉「ハーフの大将」


――八村塁選手がNBAにドラフト指名されたことは日本のバスケ界に大きな影響を与えています。とくに若手代表選手に聞くと、みんなが刺激を受けてモチベーションになっているようです。明成の選手たちの反応はどうですか?

部員たちにはいつも塁の高校時代の話をしているのですが、ドラフトされたあとには「先輩が目標に向かってNBAという道を切り拓いたのだから、お前たちは恥ずかしい後輩でいてはだめではないか?」という問いかけをしています。今、チームに新しいプライドが生まれたように感じます。塁先輩に恥ずかしくないように、笑われないようにと、練習する毎日です。

八村塁に憧れて明成に入部する選手は多い。「ハーフの子供たちのロールモデルになる」ことも八村塁の目標(写真/小永吉陽子)
八村塁に憧れて明成に入部する選手は多い。「ハーフの子供たちのロールモデルになる」ことも八村塁の目標(写真/小永吉陽子)

――今、明成には八村選手と同様に、2つのルーツを持つハーフの選手の入部が多くなりました。彼らは八村選手に憧れて入部してくるのでしょうか?

「ハーフ」という表現をしますが、塁に憧れて入部してくるハーフの選手はとても多いです。中には「僕をバスケ部に入れてください。絶対に活躍します!」という、やる気満々の手紙を送ってくれた選手もいます。彼らは「塁さんのように」とバスケで活躍することを夢見て入学してくるのだから、八村塁の影響力というのは本当にすごいと思いますね。

以前、仙台高校を指導していた時(1986~2002年)は公立高校だったから県内の小さい選手しかいなくて、その小さな選手が全国で活躍するものだから、小さい選手ばかり集まりました(笑)。必然と環境がそうさせるのでしょう。でもそれは私一人が作ったものではなくて、集まってくれた選手たちのおかげでチームができたもの。コーチの力なんてこれっぽっちもない。本当にありがたいことです。

――八村選手は「ハーフの子供たちのために」と口にしています。その考えは、高校時代に佐藤コーチから「ハーフの大将になれ」という言葉をかけてもらったことによる決心からで「今まで生きてきた中で一番うれしかった言葉」と言って高校を卒業しました。当時はどういう思いから伝えた言葉なのでしょうか。

塁はお父さんとお母さんの国、ベナンと日本の2つのルーツをとても大切にして育ってきました。それが彼の大きな誇りなんですね。「ハーフの大将になれ」という言葉は、その誇りを内面性から強く持って、日本に大勢いる塁と同じ境遇の選手を引っ張っていくつもりで、世界に羽ばたく選手になってほしいという気持ちの表れでした。

やっぱり彼らの小さい時の生い立ちを聞くと、それぞれに問題を抱えている選手は多いです。選手と本音で付き合わなければバスケットの理解は出てこないので、塁にはストレートにそういう話をしました。塁は今までの日本人がやったことのない、誰も切り拓いていない道を歩んでいます。その先駆者になってほしいと心から思ったので「大将」という言葉を使いました。

もう一つ彼に言ったのが「みんなハーフだよ」と。私だってお父さんとお母さんのハーフだよ。塁はお父さんからすごい身体能力をもらったじゃないか。お母さんからは優しさをもらったじゃないか。それを誇りにしてほしい、と言いました。塁は家族の支えがあってこそ、ここまで成長したのです。

大型化を図った今年の明成。下級生主体ながら急激な成長を見せ、無限の可能性を秘めている。左から越田大翔、加藤陸、山崎一渉、木村拓郎、菅野ブルース(写真/小永吉陽子)
大型化を図った今年の明成。下級生主体ながら急激な成長を見せ、無限の可能性を秘めている。左から越田大翔、加藤陸、山崎一渉、木村拓郎、菅野ブルース(写真/小永吉陽子)

大きいからこそ、小さい選手ができるプレーへの挑戦


――今年の明成は下級生中心ですが、過去に例がないほど大型で成長著しいチームです。6月の東北大会でいえば、スタートは越田大翔(192センチ/2年)、菅野ブルース(194センチ/1年)、山崎一渉(198センチ/1年)、木村拓郎(187センチ/3年)、加藤陸(191センチ/2年)で平均192.4センチ。どんなチームを目指しているのでしょうか?

ここ2年はサイズがある選手が集まってくれたので、今年はチームの大型化を図っています。大きいからこそ、小さい選手がやれるプレーにチャレンジしなければと思ってやっています。私にとって、塁のような身体能力ある選手を育てるのが初めての経験だったのと一緒で、ここまで大型チームを育てるのは初めてのこと。やってみなければどうなるかわからない。だから考えて、考えて、チームを作っているところです。

ここまで40数年指導をしてきて、ほとんどの時間を小さい選手主体でバスケットやってきました。残りあと何年コーチをするかわからないけれど、私にとっても「やりたいバスケをやる」ラストチャンス。日本代表は大型化を目指すと言っていますが、センターの高さでは諸外国にはかなわない。だったらポイントガードやシューティングガードを大きくしてみたらどうだろうかと。私にも憧れがあって、NBAにはたどり着けないけれど、NCAAのバスケは相当好きでよく見てるんです。有望選手が来てくれたのだから、NCAAのようなスケールの大きなバスケットにチャレンジしたい。それが今なんじゃないか、と思っています。

――大きな選手をガードにコンバートするには、年齢が若ければ若いほどいいですが、脚力やハンドリング、バスケの考え方などを鍛える分、育成には時間がかかります。すぐには勝利に結びつかないかもしれない。それでもやり遂げたいチャレンジなのでしょうか。

時間はかかりますね。でもやってみたい。高校のチーム事情からすれば、大きな選手をガードにすることはなかなか難しい。でも次のカテゴリーで必ずコンバートできるとは限らないので、高校の段階で将来コンバートができるかどうかの経験をさせておきたい。もちろん、小さい選手も同時にチャンスを与えて育てます。ただ、これだけの選手層が集まったのだから、サイズのある選手を育成に時間がかかるからと現状のままで置いておくよりは、可能性を広げてあげたい思いですね。

明成の体育館「バスケラボ」のゴールには、八村塁が高校卒業時に計測した最高到達点(両手・右手・左手)を記したテープが。後輩たちの目標となっている(写真/小永吉陽子)
明成の体育館「バスケラボ」のゴールには、八村塁が高校卒業時に計測した最高到達点(両手・右手・左手)を記したテープが。後輩たちの目標となっている(写真/小永吉陽子)

U18でも実行したポイントガードの大型化


――以前、佐藤コーチがU18代表を指導したとき、渡邊雄太(メンフィス・グリズリーズ)選手や仙台高校の教え子である小松昌弘(TOKYO DIME/3x3日本代表)選手に1番(ポイントガード)と4番(パワーフォワード)を兼任するチーム作りをしたのはとても斬新で、戦術として効いていました。彼らは「ガードをやった経験は生きている」と言っています。そうしたアイディアは常に考えているのですか?

それは選手の特長を見て、将来に必要だからやったことです。渡邊雄太君は将来性とガードの適正がありました。小松の場合は、はじめて自分のチームで190センチ台をポイントガードにした選手。それは小さな仙台高校にとってはチャレンジだったけど、彼がその経験を生かして今でも3x3の世界で活躍しているのだとしたら、それはとてもうれしいことですね。今は2年生の越田にポイントガードをやらせているけれど、彼はまだ自分で判断することに迷いがある。中学時代までゴールに背を向けてプレーしていた選手たちに、その感覚を忘れさせて新しい色を注入していく。それは、やっぱり時間がかかるもの。

越田にガードのセンスがあるのかどうかは、やってみなければわからないけど、センスを育てていくのも高校生の段階では大事なことだと思っています。それに越田だけじゃなく、1年生のブルース(菅野)や、他にもたくさんの選手にポイントガードをやる局面を与えて試合に出しています。チーム内で大競争ですよ。

次の八村塁を育てる信念のコーチングを


――先ほど、「八村塁のような選手もう一人、また一人育てることができれば、ちょっとはコーチらしくなれる」(インタビューVol.2参照)とおっしゃっていましたが、それがスタートに起用している期待の1年生、山崎一渉(いぶ)選手や菅野ブルース選手なのでしょうか?

そうです。2人とも、塁を目標にしていて、「NBAでプレーしたい」と言って入学してきました。今は一渉もブルースもオフェンスには制限をつけずに好きに攻めさせています。塁がNBAに行けたのは本人の努力。だから塁を育てたのは私にとっては初優勝みたいなもの。全国優勝の1回はまぐれでもできます。でも続けて2回、3回と優勝するには、コーチとしての信念を作り上げなければ成し遂げられない。塁の場合がそうだけど「環境が人を育てる」のであれば、NBAでプレーしたい選手をどうやって日本の高校から海外に送り出すか、今度は計画的にその方法を探りながら育ててみたい。

八村塁のような選手を育てること、選手の可能性を引き出す指導をすること。これが私の今のコーチングのモチベーション。そしてやっぱり勝負事なので、集まってくれた選手たちと一緒に勝ちたい。明日にでも勝ちたい。でも明日には間に合わない。勝負と将来性との狭間でどうするか。さて、もう少し考えてやってみましょう、というのが今ですね。

――最後に。日本のバスケ界に多くの影響を与えている教え子の八村塁選手には、これからどんな選手になってほしいですか。

ただただ、長くNBAで活躍できる選手になってほしいし、みんなから愛される選手になってほしいですね。彼は大いなる気持ちを抱いて、その意志の強さと行動力で自分の道を切り拓いていった。これからもその生き様を私たちに見せて勇気を与えてほしい。彼には「ハーフの大将になれ」と言ってアメリカに送り出したけれど、今の彼は「日本の大将」ですよ。これからは日本の大将として引っ張っていく塁の姿を楽しみにして、ここ仙台から見守りたいですね。

NBA選手になった八村塁に「日本の大将になれ」と佐藤コーチは声援を送る(写真/小永吉陽子)
NBA選手になった八村塁に「日本の大将になれ」と佐藤コーチは声援を送る(写真/小永吉陽子)
Basketball Writer

「月刊バスケットボール」「HOOP」のバスケ専門誌編集部を経てフリーのスポーツライターに。ここではバスケの現場で起きていることやバスケに携わる人々を丁寧に綴る場とし、興味を持っているアジアバスケのレポートも発表したい。国内では旧姓で活動、FIBA国際大会ではパスポート名「YOKO TAKEDA」で活動。

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