欧州の馬場は本当に重いのか? 先入観を捨てないと、凱旋門賞は見えてこない
先日、ある競馬雑誌にヨーロッパの馬場に関する見解を記した。
すると、いくつかの反響の声が届いたのだが、中でも調教師や騎手からの反応が思いの外、多かった。そしてそのほとんどが「説得力があった」「納得出来ました」等、賛同の声だった。極端に言えば「言われているほど欧州の芝は重くない」「考えているほど馬場適性は重要ではない」ともとれる内容にもかかわらず、現場の最前線といえるホースマン達から賛同をいただけたのは私自身、意外だった。
その中である調教師が面白い事を言った。
「皆『欧州の芝は重い』って言うけど、実際に向こうへ行ったり、馬場を歩いたりした人はどのくらいいるんでしょうね?」
確かに多くの人は聞いた話で先入観を抱いているのではないだろうか。
そこで今回は改めて当方の見解を記させていただく。列挙する例は文字数の都合上、大幅に割愛しているが、それでも週刊誌を読まれた方には重複する内容も多い。ご容赦いただきたい。
時計だけならイメージほど重くない?
1400メートル、1分17秒05。
日本の馬場で記録される時計は速い。一見してそう思われそうだが、100分の1秒単位で表されている事からも分かるように、これは日本でマークされた時計ではない。同距離の日本のレコードは1分19秒0。これより2秒近く速い時計はフォレ賞のレコード。フォレ賞が行われる舞台は凱旋門賞と同じパリロンシャン競馬場。つまり、凱旋門賞の後半1400メートルと同じ馬場でこの時計が出ているのだ。これは2015年にメイクビリーヴが作った時計だが、その前年も1分17秒台で決着しているのだから、レコードだけが極端に速いというわけではない。
凱旋門賞の勝ち時計は時に2分40秒台にもなるため、極端に重い馬場と思われがちだが、フォレ賞の時計を見る限り、皆がイメージしているほど重くはないのだ
速い時計の出る馬場は日本馬向きなのか?
ではなぜ時に日本とは異質な時計を要す馬場となるのか……。フランス特有の遅い流れや道中に用意された10メートルの小高い丘、また、地盤が緩く雨で湿ると一気に重くなる等、いくつかの要因があるが、そこで疑問に思えるのはそもそも重い馬場は日本馬に不利なのか?という点だ。
日本調教馬は過去に延べ4頭が2着に善戦している。1999年のエルコンドルパサー、2010年のナカヤマフェスタ、そして12、13年のオルフェーヴルだ。この4度全てに共通しているのは重馬場だったという点。
一方、日本馬が得意とされる高速決着の例としてはデインドリームが勝った11年が2分24秒49で、ファウンドが制した16年(シャンティイ競馬場)は2分23秒6。前者ではヒルノダムールとナカヤマフェスタが10、11着、後者のマカヒキは14着だった。
つまり“時計を要す馬場は日本馬に向かず、速ければ日本馬向き”という単純な構図は成り立たないのではないだろうか。
馬場よりも問題視すべきと思える事
では“馬場”と“凱旋門賞を制す日本馬が出ていない”事は関係ないのか?
この答えを探すには、凱旋門賞以外にも視野を広げなければ“木を見て森を見ず”になってしまう。日本馬が制している海外のレースは沢山あるし、日本馬に限らず、非欧州馬が勝利した欧州のレースも数多い。これらと凱旋門賞との間に果たしてどのような溝が横たわっているかを検証すると、浮かび上がって来る事がある。
まず、日本馬がヨーロッパの馬場を克服した例としてはシーキングザパールやタイキシャトルらが98年にはすでにGⅠを勝利。アグネスワールドに至ってはイギリスとフランスでGⅠを優勝。近年でもエイシンヒカリがフランスのイスパーン賞(GⅠ)で2着馬を10馬身も突き放して快勝した。
また、ヨーロッパに遠征して実績を残した外国馬としては、16年にロイヤルアスコット開催のクイーンアンS(GⅠ)を勝った北米のテピン。少し古いところではイギリスでGⅠを3戦して2勝、2着1回だったオーストラリアのショワジール。同じくオーストラリアのブラックキャビアや香港のリトルブリッジ等もアスコットでGⅠを制した。
更に例を挙げると今年のロイヤルアスコット開催でコモンウェルスC(GⅠ)を制したカンパネッレもアメリカからの遠征馬。日本の窪田芳郎オーナーが所有するドラゴンシンボルが1位入線しながらも降着になったレースだから覚えておられる方も多いのではないだろうか。
ちなみにこのカンパネッレを管理するウェスリー・ウォード調教師はアメリカに厩舎を構えながらも欧州へ度々遠征。イギリス、フランスは勿論、アイルランドでも勝っており、ロイヤルアスコット開催だけでも3つのGⅠを含む12勝。馬場が重い事で知られるアスコット競馬場だが、アメリカの馬でもこれだけの実績を残しているのだ。
では、これらの馬にはどのような共通点があるだろう?
これは一目瞭然で、いずれも短~中距離戦なのだ。
先述したタイキシャトルやアグネスワールド、エイシンヒカリらもそうだが、いずれも中距離以下。とくに日本馬の中距離戦に於けるレベルの高さは顕著で、エイシンヒカリ以外にも、一昨年の香港で2つのGⅠを勝ったウインブライトや古くはルーラーシップ、シャドウゲイト等、日本でGⅠ未勝利の馬が、世界各国で中距離GⅠを勝っている。
これを頭に置いた上で改めて2400メートル路線を検証する。
世界で活躍する欧州馬の特徴から見えてくるモノ
凱旋門賞と同じ2400メートル戦で、欧州以外で施行される世界的なレースとしてはアメリカのブリーダーズCターフ、香港の香港ヴァーズ、それに2410メートルだがドバイのドバイシーマクラシックがある。
これらのレース結果で共通しているのはズバリ明らかにヨーロッパの馬が良績を残しているという点だ。デイジュールのようなスプリントで実績を残した馬は例外中の例外で、欧州馬は圧倒的に2400メートル戦で好走する例が多いのだ。
BCターフの05年以降の勝ち馬をみると欧州勢12勝に対し北米勢は4勝。同じ距離の香港ヴァーズもGⅠ昇格後の21回中16回を欧州馬が勝利。ちなみにその間、日本馬は3勝。これは国内でジャパンCと有馬記念がある時期なので遠征し辛いというイクスキューズが出来るが、ではドバイシーマクラシックはどうか。02年にGⅠに昇格以降、このレースを勝った日本馬はハーツクライとジェンティルドンナのみ。それ以外の17回中16回はヨーロッパの馬か、欧州馬が地元ドバイでも開業する厩舎に入って優勝している。
今春、クロノジェネシスとラヴズオンリーユーが英国のミシュリフに敗れたのは記憶に新しいが、16年にはドゥラメンテがポストポンドに、他にもブエナビスタやレイデオロ、シュヴァルグランにスワーヴリチャードといった数々のGⅠ馬が欧州勢の前に涙を呑んだのだ。舞台となるメイダン競馬場はほぼ平坦で、適性で言えば日本馬に分がありそうだが、実際には日本の一線級が次々と跳ね返されているのである。
これはもう単純に2400メートル路線ではヨーロッパの馬が強いという事ではないだろうか。
例えば中距離戦のドバイターフでは、アーモンドアイとヴィブロスがワンツーフィニッシュを決め、4着にもディアドラが入った(19年)事があるし、日本ではGⅠを勝てなかったリアルスティールが制した年(16年)もある。また、2着を6馬身以上千切って優勝したジャスタウェイ(14年)の例もある。今春の同競走では、日本のGⅠ実績が皆無といっても良いヴァンドギャルドが2着に善戦。もはやこのカテゴリーでの日本馬は軽視出来ない存在で、これは明らかに2400メートル戦線とは違う傾向といえるだろう。
凱旋門賞好走の日本馬から見えてくる結論
そこで、原点に帰って単純に2400メートル路線ではヨーロッパ勢が強いという観点で、凱旋門賞を見直すと、見えて来るモノがある。
3位入線だったディープインパクトまで拡大して、凱旋門賞で好走した馬達の名を再度見てみると、エルコンドルパサーにしてもオルフェーヴルにしても過去にGⅠを3勝以上、それもぶっち切りで勝った実績があった。いわば一時代を築いた馬だ。ナカヤマフェスタだけはGⅠ1勝のみだったが、宝塚記念(GⅠ)ではブエナビスタを並ぶ間もなく差し切っていた。同じ右回りで距離が200メートルしか違わない宝塚記念と凱旋門賞の関連性は高く、ディープインパクトもオルフェーヴルもグランプリの覇者だった。
少々話が逸れたが、結論としては“圧倒的に能力の高い馬達が通用した”と思えるのだ。
『能力があっても(馬場)適性がないと勝てない』とか『適性があれば能力で劣ってもカバー出来る』などと言われる事もあり、それを真っ向から否定する気はないが、あまりに馬場適性にばかりフォーカスし過ぎると、単純でいて大切な事を見落としがちになると思う。当方の意見が絶対に正しいと言い張る気はないし、競馬なので100%データ通りに決まらないのは分かっているが、様々な傾向を複合的に考えると一般的に思われているほど欧州の馬場は重くなく、だとすると“馬場適性”が必要以上に重要視されている気がするのだ。
最後にもう1度だけ改めて記す。
例えば中距離戦だとフランス、シンガポール、香港、ドバイ、中にはドバイのオールウェザー(11年ヴィクトワールピサ)ですら優勝したように、馬場がどこでも日本馬で通用する。これは短距離戦に於けるオセアニア勢でも同じ事が言える。
そして何より欧州馬の立場から見ると、彼等は世界中で2400メートル戦を勝っているのだ。
つまり凱旋門賞制覇を考える時「この馬は重い(と言われる)馬場に適性があるか?」と考えるよりもまずは「この馬の実績、実力で果たして2400メートル戦でも通用するのか?」を考えるべきだと個人的には思うのである。