投高打低、盗塁増、分業化・・・10年単位で見るNPBの変遷
投手は下から打ちやすい球を投げ、先に21点取った方の勝ち。
初期の野球のルールは現在とは大きく異なるものだった。その後、9回終了時点の得点で勝敗を決定するよう改変され、道具や技術の発展に伴ってプレーも洗練されていった。NPBは1936年に誕生し80年以上の歴史を持つ。1940年、1950年、1960年・・・と10年毎の成績を比べてみるとその時代の特徴が見えてくる。
55試合に登板し41完投。現代では考えられない創設期
NPB創設初期の1940年は超がつくほどの投高打低の時代。最高チーム打率は東京巨人の.237で9球団中4球団がチーム打率1割台だった。一方、投手成績では防御率0.93でトップだった野口(翼)がチームの105試合中57試合に登板し29完投。0.97で防御率2位だった須田(東京巨人)も55試合に登板して41完投と現代では考えられない成績を残している。最多本塁打は川上(東京巨人)の9本で全体の平均得点は3.08点、ロースコアの試合が中心だったが10年後には大きく変わる。
1950年の平均得点は一気に跳ね上がり4.84点。1940年には1試合平均0.11本だった本塁打が0.8本出るようになるなど打撃成績が大きく向上した。松竹ロビンズは137試合で908得点を挙げ、セリーグの打撃10傑は全員が打率3割を超えていた。さらにこの年代の特徴は盗塁も1試合平均1.2個と非常に多いこと。昨季が0.56個だったから現在の倍以上だ。平均得点、平均盗塁に加え平均安打数9.15本の3項目が最多であり、1940年から一転、打高の時代となった。
その後、クイックや牽制技術の発達に伴って盗塁数は減少。1980年にパリーグで1試合平均1.53本の本塁打が乱れ飛ぶことはあったが、この頃からほぼ平均得点は4.5点、平均安打数は8.5本、平均本塁打数は1本前後で推移している。
近年最大の変化は投手の分業制の確立
昭和から平成になって最も大きく変わったのが完投数。1960年から1990年までは3~4試合に1試合は記録されていたが2000年には約9試合に1試合、2010年には約13試合に1試合となり昨季は約35試合に1試合しか完投がなかった。そのため最も優れた先発完投型の投手を表彰する沢村賞は該当なしとなった。反面、1試合平均奪三振数は増え続けている。1940年が3.80個、1950年は3.55個と少なかったが1960年、1970年、1980年が5個台、1990年と2000年が約6.5個、2010年が約7個で昨季が7.65個となっている。
分業制が定着したことで短いイニングに全力投球出来るようになり、平均球速は年々向上。打撃力で投手陣をカバーし連覇を果たした西武は非常に稀有な例だが、優秀なリリーフ陣なしに優勝することは難しい。特に今季は新型コロナウィルスの影響で開幕延期となり例年以上の過密日程が避けられない。勝ちパターンの3枚だけでなく、ブルペンの厚みそのものが順位に影響しそうだ。