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「一番楽しい時期をすごせた」2年間。日本代表に戻ってきた乾貴士を支えたエイバルでの日々。

河治良幸スポーツジャーナリスト
笑顔をまじえながら日本代表のトレーニングに励む乾貴士(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

「勘違いしてもらいたくないのはバルセロナから点を取ったからといって、他のチームから取れるわけではない」

バルセロナ戦であげた2得点についての質問が出ると、乾は少し照れた表情を浮かべながらもそう語った。

「シーズン1ゴールしか取れてなかったのに(最後のバルセロナ戦で)2ゴール取っちゃったというだけ。それまで1ゴールしか取れてなかったっていうのがありますから」

そう乾が”釘を刺す”のには彼なりの理由がある様に思う。乾はエイバルで「自分のサッカー人生の中では一番楽しい時期をすごせている」と語るが、今回の合宿中に29歳の誕生日を迎えたテクニシャンにとって、ここまで決して順風満帆だったわけではない。

野洲高校で2年時に全国高校サッカー選手権を制し、”セクシーフットボール”の象徴的な存在として全国にその名を轟かせた乾は鳴り物入りで横浜F・マリノスに入団するも、なかなか出場機会を得られないまま当時J2だったセレッソ大阪にレンタル移籍。香川真司らと息の合ったプレーで居場所を得た乾は最終的にJ1昇格を逃したものの、そのまま完全移籍。2009年には日本代表に初選出された乾はシーズン終盤のザスパ草津戦で1試合4得点を決めるなど、J1昇格の立役者になった。

そこから2011年にドイツ2部のボーフムで、念願の欧州移籍を実現させた乾は1部昇格に貢献すると、ドイツ屈指の大都市にホームを構える名門フランクフルトに加入する。そのフランクフルトでも初年度こそ6得点をあげる活躍を見せるも、なかなか出場機会が安定せず、その度に日本代表での立場も揺らいだ。当時のザッケローニ監督のもとでいわゆる”当落線上の選手”だった乾は2013年のコンフェデレーションズ杯でも出場機会に恵まれなかった。

しかし、0-3で惨敗したブラジル戦で最も相手を脅かしたのが、88分に本田圭佑との交替で投入された乾だった。左サイドから積極的な仕掛けでシュートに持ち込み、当時のセレソン守護神ジュリオ・セーザルを慌てさせた。試合後、うつむきながら取材対応していた乾に、バイエルン・ミュンヘンの主力だった相手CBのダンテが名指しで称賛していたことを告げると「え、ダンテが?それは嬉しいですね」と表情が和らいだ。

結局、翌年のブラジルW杯で最終メンバーから漏れた乾だがフランクフルトで奮起し、ハビエル・アギーレ前監督が率いる日本代表でも左サイドの主力として起用される様になった。しかし、ようやく軌道に乗りかけた代表キャリアもアジアカップの敗退。唯一の失点シーンは乾サイドのプレスが甘くなったところで、ロングパスをゴールにつなげられたものだった。そして”八百長疑惑”にともなうアギーレ監督の退任により暗転する。

2015年の3月に就任したヴァイッド・ハリルホジッチ監督のもとでは、代表スタッフが主導で選出したと見られる最初のメンバーに選ばれ、2試合目のウズベキスタン戦に出場したものの、後半の早い時間帯に交替。それ以降、2年2ヶ月もの期間、乾に代表の招集がかかることはなかった。

しかし、その年に夏に移籍市場のギリギリでスペインのエイバルに加入し、あこがれだったリーガ・エスパニョーラの世界に飛び込んだ乾は加入当初こそなかなか出場機会を得られなかったものの、徐々に適応してレギュラークラスの選手として評価を上げていく。リーガ・エスパニョーラで日本人選手が活躍しにくい要因は限られた外国人枠に加えて「うまい選手が多い」(乾)ことだ。

「うまいだけじゃ通用しないというか、そういう中で何か違う特徴を持ってないと通用しない。外国人枠で行く限り、それプラス何か武器が必要になってきます」

その乾は高い技術とアイディアをベースとしながら、献身的な守備から好守の切り替わりでタイミングよくスペースに飛び出す意識など、スペシャリティに磨きをかけてエイバルの2シーズン連続のリーガ残留、さらにクラブの規模を考えれば上々とも言える10位フィニッシュに貢献した。それでも2015年から指揮を執るホセ・ルイス・メンディリバル監督は乾に「規律を守るだけでなく殻を破ってほしい」と要求する。

乾が加入した当初は守備の強さやハードワークを口酸っぱく要求していたはずだが、今ではそれを当たり前の様にこなす乾に対して、もっと規則に縛られず自由にやってほしいと説く。その乾も先に書いた様に、エイバルで最初から継続して試合に出ていたわけではない。今シーズンも出場機会を失っていた時期はある。日本代表のハリルホジッチ監督がここまで招集を先延ばししたのも、継続性の課題が大きいだろう。

しかし、この代表に呼ばれなかった2年間は乾がプロの選手になって最も充実した期間になった様だ。そこには”日本代表”というプレッシャーからしばらく離れ、落ちついてリーガ・エスパニョーラでの挑戦に集中できたこともある。

「今ストレスなく楽しくできているのが一番なので、この2年間代表のこともそれほど考えずにやれた。そのプレッシャーがないというのは自分の中で良かったのかなと思います」

「(サッカーも生活環境も)全てが自分に合った」というエイバルで過ごしてきた2シーズンで、良い時も良くない時も、乾の支えになったのは選手の起用を決めるメディリバル監督の存在だった。「(出場機会が少ない時期もやってこられたのは)監督ですね、そこは。チームメートも声をかけてくれたりしましたけど、監督が誰にでも平等でチャンスを与えてくれるので、そこで腐る意味が無かった」と乾は語る。

「見てくれない監督ならそこで腐ってたかもしれないですけど、全てを見てくれてる監督なので。そういうところで腐らなかったのかなと思います」

そうした環境の中で「ボールを失う回数も減りましたし、ディフェンスでの戦術理解度も高くなりましたし、攻撃の部分の特徴も出していけた」と今季を振り返る乾だが、シーズン通しての結果には決して満足しているわけではない。日本代表になかなか呼ばれなかったことについても「結果を出してなかったので。仕方ないと思います」と割り切る。

これまでで一番楽しくサッカーができたシーズンだったが、一方で「やっぱり結果は出せなかったので、そこらへんはすごく悔しい」シーズンでもあったのだ。乾もプロのサッカー選手として、そして現在は再び日の丸を背負う選手として野心や責任感はあるし、成功を求めていもいる。しかし、自分に過剰なストレスをかけ、サッカーを心から楽しめなくなったら結局パフォーマンスも落ちてしまうことを認識しているのだ。

「そこまで緊張感を持ち過ぎると空回りしちゃうので、いつも通り平常心でやっていきたいですけど、その中で結果が付いてくれば一番ですね」

シリア戦、さらに最終予選のイラク戦に向け、そう語る乾はエイバルという街についての質問がある記者から出ると、満面の笑顔で答えた。

「(故郷の滋賀と)変わんないっすよ。タイプが違うな、街が小さいので。1回来てみてください(笑)」

スポーツジャーナリスト

タグマのウェブマガジン【サッカーの羅針盤】 https://www.targma.jp/kawaji/ を運営。 『エル・ゴラッソ』の創刊に携わり、現在は日本代表を担当。セガのサッカーゲーム『WCCF』選手カードデータを製作協力。著書は『ジャイアントキリングはキセキじゃない』(東邦出版)『勝負のスイッチ』(白夜書房)、『サッカーの見方が180度変わる データ進化論』(ソル・メディア)『解説者のコトバを知れば サッカーの観かたが解る』(内外出版社)など。プレー分析を軸にワールドサッカーの潮流を見守る。NHK『ミラクルボディー』の「スペイン代表 世界最強の”天才脳”」監修。

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