NYを拠点に世界で活躍するAK Akemi kakihara。最新作に込めたメッセージとは?
2022年、NYを拠点に世界で活躍するシンガーソングライターAK Akemi kakiharaに注目したい。1986年デビュー、今でいうシティポップにも通じる柿原朱美として日本で活躍していた彼女。90年代末、その物語は加速する。夢を追い求め海外ミュージシャンとの交流を重ね、ダンスミュージック:クラブカルチャーに活路を見出したのだ。
2001年、NYへ移住。Francois K & Eric Kupperがリミックスした世界的なクラブヒット曲「Say That You Love Me」を、名門King Street Soundsよりリリースしたことをきっかけにワールドワイドな歌姫に。2008年には、縁がありレジェンドDJのDanny Krivit(Body & Soul, 718 Sessions)と結婚。Danny とのコラボレーションやツアーも頻繁に行われた。
そんなAKが、今年4月22日に12年ぶりとなるオリジナル・シングル「Beautiful You」をリリース。ドリーミーでスウィートな歌声、流麗なメロディーと爽快なトラックが折り重なるポップとダンスミュージックのクロスオーバーが話題となった。
その後、5月27日にはリミックス「Beautiful You - Danny Krivit Edit of Hex Hector Lush Mix」を発表。
さらに8月5日にはAKとSTUDIO APARTMENTによる共作となった「Sign Of Love」のリミックス「Sign Of Love(TsuruSwing VocalMix)」を立て続けにリリース。活動にトップギアが入ったAKのクリエイティブの源泉、海外デビューのきっかけ、そして今の心境を聞いてみた。
<AK Akemi kakihara独占インタビュー>
混沌とした世界に光を照らすかのような美しい楽曲
ーー新曲「Beautiful You」、朝の目覚めとともに聴きたいナンバーだと思いました。心地よいサウンドと歌声。まさに、混沌とした世界に光を照らすかのような美しい楽曲。どんなきっかけから言葉とメロディーが生まれたのでしょうか?
AK:美しいという言葉を女性は大切にしているんですね。常に可愛くいたいと思うじゃないですか? わたしの周りに、とても素晴らしい女性がいるんです。インスピレーションを周りに、その人が知らない間に溢れ出ていて注いでくれるんですよ。活き活きとその人がその人らしく、無邪気に笑顔でいることの美しさですね。内面からにじみ出てくるんです。幸せになれるんですよ。人間の笑顔に勝る美しさってあるんだろうか、って考えるんです。
——うんうん、わかります。
AK:今、パンデミックなどもあって、毎日の生活にアップダウンがありますよね。でも、ダウンしているときでも、その人がその人らしく自分と向き合う姿は美しいと思っています。自分を偽らない人。自分をそのまま受け入れて「これでOK!」って言える人に自分もなりたくて。そんなときにビューティフルという言葉、わたしにとってのビューティーって内面の美しさなんだなって気づきがあって。すべての女性に、すべての人に向けて自分らしく輝いて欲しいなと思って「Beautiful You」を作りました。
——AKさんが創作活動する上でビューティフルというキーワードは、本質なのでしょうね。
AK:嬉しいです。実はわたしの曲ではビューティフルという言葉を詞でよく使っていて。「@my best」という曲を書いたときにも、美しいという言葉ではなかったのですが、自己ベスト。自己ベストを更新しようとする姿は美しいと思っているんです。とくに、パンデミックってチャレンジの期間だと思っていて。人間って、わたしもそうですけど不安になりますし。失敗が続いちゃうと、自分ってダメかもと思うじゃないですか? これまでも震災など、いろいろ大変なことがあって。そんな現実に向き合わなければならない時でも、自分のなかにあるベストを乗り越えて行くことの大事さ。チャレンジする気持ちが大切でありビューティフルだと思っていますね。
——そんなとき、音楽が背中を押してくれたり、心に火を灯してくれたりするんですよね。
AK:失敗があっても、学びに変える力。太陽が出ていることに感謝したり、ふとした日常で小さな幸せを見出せる心。人が困っていたら、自分の家族をヘルプするような気持ちで助け合うことの大切さ。それが、わたしにとってのビューティフルだと思っています。人間のヒューマニティー、心の美しさに引かれますね。そんなところから曲が生まれるんです。
ーー「Beautiful You」は、優しくも力強い眼差しを感じるトラックメイクだと思うのですが、こだわられたポイントを教えてください。
AK:わたしは、もともと8歳の頃から曲を作ってきました。曲は作れるのですが、サウンド、トラックメイクは遅蒔きだったんです。プロツールス(デジタル・オーディオ・ワークステーション用のソフトウェア)が出はじめた頃に、自分でデモを作りたいなと習得したいと思ったんですね。マニュアルをたくさん積み上げて、だんだんと、アレンジやプログラミングを自分でするようになって。
——今では、すべてトラックメイクもセルフプロデュースでやられていますもんね。
AK:自分の伝えたいサウンドのムードは込められているかな。「Beautiful You」では、ビューティフルで色彩のある音像を意識しています。ライフをセレブレイトできるサウンドを志しましたね。今でも、音楽プロデューサーのすごい方々の音使いなどを聴くと羨ましいなと思うんですけど、でも、自分でサウンドもチャレンジするようにしています。
——心に寄り添ってくれる曲でありサウンドですよね。優しさと眼差しの力強さ。その両面が、きらめいた音使いからも伝わってきます。
AK:嬉しいです。今日は、これでよく眠れます(笑)。
ーーははは(笑)。AKさんといえば、1998年頃から海外アーティストとの交流が増え、2001年、NY の King Street Sounds より全米デビューシングル「Say That You Love Me」のリミックスをリリース前に、NYへと活動の場を移されました。それこそ、日本人アーティストが海外で活躍するのは大変だと思いますが、海外へ活動の場を移そうと思ったきっかけを教えてください。
AK:遡ってしまうのですが、前のレコード会社のポリスターにいた頃、A&Rにずっと「海外で曲をリリースして世界中の人に聴いてもらいたい!」って伝えていたんです。なのですが8枚目のアルバムをリリースした頃に、またその話をしたら「A&Rに、実はポリスターは国内のレーベルだから世界でリリースすることができないの」って言われて。「えっ!!!」みたいな(苦笑)。その頃、たまたまグローバルのレコード会社EMIからも声をかけてもらっていて。ポリスターのチームへ話したら、みんな応援してくれて移籍することになりました。盛大なフェアウェル・パーティーをしてもらって。
——そうだったんですね。
AK:そしてEMIへ移籍するにあたって、レーベルA&Rの長井信也さんに「条件がある」と言われたんです。「すべてのサウンドをAKに作って欲しい。サウンドプロデュースもセルフでやって欲しい」と言われて。「AKのデモを聴いていて、他のアレンジャーがやるよりも自分でやった方がよいと思っているからって」。それまで、自分でアレンジやプロデュースなどやっていなかったので驚いて。プラス「バジェット(制作費)を渡すから、自分でリサーチしてどこの国の好きなミュージシャンとレコーディングしてもいいから」って。後にも先にも、すごいオファーでした。心を決めて全部セルフプロデュースをすることになりました。
——すごいっすね。人生のターニングポイントだ。
AK:その後、まず自分が持っている好きなアーティストのCDのクレジットを見て、エンジニアやスタジオ、ミュージシャンを探しはじめました。そうしたら、共通点がたくさんあったんです。違うアーティストでも同じエンジニアがかかわられていたり。自分が好きな感性ってつながりがあったんだって。それで、スタジオの電話番号を調べて直接連絡をして音を聴いてもらいました。
——展開がダイナミックですねえ。
AK:ほとんどのミュージシャンやエンジニアが、音を気に入ってくれて返事をくれたんです。
それで1998年にロンドンレコーディングをして、1999年がLAレコーディング。2000年がNYレコーディングという。世界デビューを目指すべく、ステップを積み重ねてきました。名前も、海外の方にわかりやすいように柿原朱美からAKというアーティスト名に変えて。
——わあ、映画になりそうなお話ですよね。すごいエピソードがたくさんありそうです。
AK:たくさんエピソードはありますね。ロンドンレコーディングの際、ギタリストのプレイが最高でどのテイクもよかったんですよ。全部よいので、どのテイクにするか迷ってしまって。エンジニアに選んでもらおうとしたら「AK、君がプロデューサーだから自分で決めるんだよ!」って。「そうでないと、僕らがリスペクトされていないことになるから」と。それから意識が変わりましたね。
——プロフェッショナルなアドバイスですね。
AK:2枚目のLAレコーディングからは自分ですべてイニシアチブを取るようになって。3枚目のNYレコーディングでKevin KD Davisという、BeyoncéやUsherなどのミクシングをやっている方と組みました。「AK、全米からリリースするべきだよ。間違いないから! グローバルでチャレンジするべき!」だって。日本に戻ってA&Rの長井さんにNYへの移住を相談しました。
——そして、次なる第一歩は2001年、King Street Soundsからの全米リリースという。
AK:まず、誰と組もうかと考えたときに、1996年、Danny Krivit、Joe Claussell、Francois K.の3人がやっていた世界で最も音楽的影響力を持つサンデー・アフタヌーン・パーティー『Body & Soul』が思い浮かびました。Francois K.の音が好きだったのでKing Street Soundsへアプローチしたんです。
——1993年にHisa Ishiokaさんが設立した、ニューヨークのクラブミュージック・シーンを象徴するレーベルですね。まさに行動力。見事なタイミングという。
AK:それで、夢が形になることになり「Say That You Love Me」のリミックスをFrancois K.とEric Kupperがしてくれて、King Street Soundsから全米でリリースすることになりました。
——鳥肌が立ちますよね。
AK:NYに移住して、全米デビューが半年後だったんですよ。ほんとに信じられなかったですね。それだけじゃなく、イギリスのBBCやフランスでのラジオ、イタリアのチャートに上がってるとか。NYでは、Danny KrivitやLouie VegaなどDJがフロアでかけてくれて。自分でも夢を見ているような感じで。
——ダンスミュージックは世界の共通言語であり、広がっていく様を体感されたのですね。
AK:大きなターニングポイントとなりました。でも、そこにたどり着くまでにはプロツールスのマニュアルを読んだところからはじまっていて。わたし、女の子なのになんでパソコンのマニュアルを積み上げて夜中に読んでいるんだろうって(苦笑)。でも、そこからはじまっていたんですよね。
ーーそんなAKさんが、夢を形に成し遂げるために、日々大事にされてきたことを教えてください。
AK:感謝の気持ち以外の何物でもないですね。何かを行うときに自分ひとりでやれることはないとよく言っていて。曲を書くことだって、聴いてくれる人がいないと成り立たないんですよ。聴いてくれたリスナーがいるからこそ続けられるし。夢を形にするには、支えてくれている人への感謝の気持ちが大切ですね。
ーーそして、そんなすべての物語が2022年、最新曲「Beautiful You」へとつながっているのですね。本作は、朝聴くのにもぴったりな爽快さがあって、ある種AKさんの新たな境地を感じました。
AK:ありがとうございます。ずっと応援してくださっている方々にも、ほんと感謝ですね。ぜひ、新曲やリミックスを楽しんでもらえたら嬉しいです。
AK Akemi kakihara オフィシャルTwitter