16万人を動員したロシア軍の極東大演習:作戦能力の回復と対日・対中関係
動員兵力16万人の大演習
今月13日、ロシア極東部でソ連崩壊後最大規模の軍事演習が始まった。
近年、国防予算の回復によってロシア軍はかつてない規模での演習を行うようになっており、その度に「ソ連崩壊後最大規模」という言葉が踊るが、今回の演習では人員16万人、戦車・装甲戦闘車両1000両、航空機130機、艦艇70隻という空前の兵力が動員されており、間違いなく過去最大規模となった。
また、プーチン大統領も演習場を訪れてその模様を視察するなど、ロシア政府トップの関心の高さも伺える。
では、この演習をどのように評価すべきであろうか。
演習は抜き打ち検閲の一環
第一に、今回の演習は今年初頭から始まった一連の抜き打ち検閲の一貫であることに留意する必要がある。
ソ連崩壊後のロシア軍では部隊に人員が十分配属されず、兵器の稼働率も低下した結果、規模は大きくとも即応性(ただちに作戦行動に移る能力)は大幅に低下していた。
大部分の部隊は指揮官しかいない「ペーパー部隊」に過ぎず、北カフカスの紛争地域や空挺軍などのエリート部隊を除くと、予備役を招集して時間を掛けて人員を充足しなければ戦える体制になかったのである。
これに対して2007年に就任したセルジュコフ国防相は、軍全体や部隊の規模を縮小する代わりに人員充足率を高め、全軍を常時即応化する方針が掲げられた。
この方針によってロシア軍の人員充足率はたしかに向上したが、本当にいかなるときでも戦闘態勢へ移行できるかどうかのチェックは行われてこなかった。
そこでセルジュコフの後任として2012年11月に就任したショイグ国防相が打ち出したのが、抜き打ち検閲であったわけである。
これは全く何の前触れもなしに部隊に戦闘態勢への移行を命じて即応性をチェックするものであり、これまでに北カフカスの南部軍管区やウラル・西シベリアの中央軍管区で実施されている。
通常の定期演習とは異なり、演習の実施時期や場所・任務等が一切伏せられているので、部隊の日頃の訓練が試される。
だが、欧州部での9000人以上を動員する演習は偶発戦争を防ぐための「ウィーン文書」の取り決めに従い、事前にOSCEへの通告が必要となる(ロシアでは西部軍管区や南部軍管区での演習が該当)。
これに対して今回はこうした取り決めに拘束されない極東部での演習であったことから、規模については遠慮する必要がなかったことも演習が大規模化した一因のようだ。
演習の鍵は即応性・機動性・小規模作戦
肝心の演習の内容だが、概ね、これまでの軍改革の路線に沿ったものと言えよう。
セルジュコフ改革の眼目は単にロシア軍をコンパクト化するだけでなく、従来の大規模戦争型軍備をより小規模なポスト冷戦型軍備へと転換することにあった。
このため、即応性の向上だけでなく、紛争勃発地点へと兵力を迅速に展開させる機動性の向上や、従来の大型編成(師団)を小型編成(旅団)へと移行させること、大規模作戦よりも小規模な作戦を同時並行的に実施する能力などが重視されている。
特に近年、ロシア軍が意識しているのがロシア国内での軍事作戦だ。
2014年にアフガニスタンから米軍が撤退するのに伴い、中央アジアやロシアのイスラム過激派がこれに呼応して活動を活発化させることが懸念されているためだ。
本来、ロシア国内での軍事作戦(反乱鎮圧など)は内務省国内軍の任務だが、総兵力16万人ほどの国内軍ではイスラム過激派が同時多発的に攻勢に出た場合に対応できないことは明らかで、連邦軍を国内治安作戦に投入する必要性が真剣に検討されるようになったのである。
つまり、近年のロシア軍はコンパクトさと機敏さ、そして小規模戦争への対応を追及してきたと言える。
そのような観点から見ると、今回の演習ではまず鉄道部隊が臨時の鉄道敷設を実施して最大3000km以上の彼方から部隊を緊急輸送する訓練から始まり、各部隊が17の演習場に分散して作戦行動を実施するなど、やはり機動性や小規模作戦が重視されていることが読み取れる。
特に長距離機動能力については目を瞠るものがあった。
従来の演習では数週間前から鉄道部隊や工兵部隊が臨時の鉄道敷設や河川への架橋を行い、準備を整えた上で長距離機動が行われていたが、今回は抜き打ち検閲であるために準備期間が与えられなかった。
にも関わらず、ロシア軍はこうした準備を極めて短期間で完了させ、最初の2日間に一昼夜で最大650kmという速度で部隊を高速機動させた。この期間中、東部軍管区には5000両もの戦闘車両が集結し、各部隊の移動距離は合計3万5000kmにも及んだという(その後も演習は続いているので、最終的な移動距離の合計はおそらく地球一周分を越えるだろう)。
その一方で、2000年代末までの演習で見られたような軍(複数の師団から成る)による大規模地上作戦や長距離弾道ミサイルの発射演習は、今回の演習では行われなかった(ただし戦略爆撃機による長距離パトロールは実施された)。
ロジスティクス面での変化と装備更新の遅れ
また、今回の演習では、補給を全て軍が独力で実施したことが注目される。
セルジュコフ国防相は合理化の一貫として炊事・洗濯から装備の整備・修理までを新たに設立した国営軍事役務公社にアウトソーシングする方式を導入したが、戦場にまで公社の軍属を連れて行くわけにはいかないとの批判や、公社による整備効率が低いとの批判が存在した。
さらに同公社を舞台とした巨額の国有資産横領事件が発覚したことでセルジュコフも失脚を余儀なくされている。
こうした事情もあって、今回の演習は、ロジスティクス面で明確に脱セルジュコフ路線を打ち出したと言えよう。
また、演習に登場した兵器も旧式が多かった上、無人偵察機や自動指揮通信システムといったC4ISR装備も登場せず、ロシア軍の装備更新が極東であまり進展していないことが改めて明らかになった。
ただ、ロシア軍は2020年までに全軍の装備更新を図るべく総額23兆ルーブル(約70兆円)もの装備更新プログラムを進めている最中であり、今後の動向には注意を要する。
演習の対外的な意義は?
最後に、今回の演習の対外的な関わりについて考えてみたい。
今回は北方領土駐留部隊である第18機関銃・砲兵師団が参加したほか、サハリンへの空挺降下演習、爆撃機による日本周辺でのパトロール飛行、日本海における海上演習等が行われたことで、日本側も神経を尖らせていた。
もちろん極東部で演習を行う以上、仮想敵として日本や米軍が意識されていなかった筈はないが、前述のように演習の主眼はあくまでも小規模作戦に置かれていた。
また、演習は日本周辺地域を含む広大な極東部全体で行われたのであり、日本を第一の念頭に置いたものとまでは言えまい。
そもそもプーチン政権は衰退の著しいシベリア・極東開発に関して日本の協力を取り付けようと躍起になっている最中であり、このタイミングで日本との軍事的緊張を高めるメリット自体が薄い(ちなみにプーチン大統領は今回の演習視察に伴ってサハリン州政府を訪問し、極東開発計画が進展していないことについて現地の当局者を「やる気があるのか」と厳しい言葉で叱責している)。
評価が難しいのは中国との関係性である。
今回、海上演習に参加した艦艇は中露合同軍事演習「海上協力2013」を終えて帰途にあった部隊であり、そのタイミングからして中国に対する何らかの牽制ではないかとの見方がある。演習に参加した中国艦隊は、その帰途、同国の艦艇として初めてオホーツク海を通過しているためだ。
同海域はロシア海軍の弾道ミサイル原潜のパトロール海域であるとともに、北極海航路への出入り口でもあることから、ロシア側としては中国艦隊の通過は戦略的に大きな意義を持つ。
もともとロシアの政府や軍内部には中国の軍事力増強や北極海への進出に対する強い警戒論があり、ロシアが「聖域」と見なすオホーツク海への中国艦隊の進出が好ましいものではないことはたしかであろう。
また、今回の演習では第26軍という部隊の存在が確認された。
以前、ロシア軍は中露国境付近に3個旅団から成る1個軍を新設するとのアナウンスを行っていたが、この第26軍のことを指していたと思われ、ロシア軍が中露国境の兵力を増強していることが明らかになった(ただし大規模な増強とまでは言えない)。
その一方、中露両国は戦略的パートナーとして基本的な良好な関係にあり、軍事演習を行って威嚇を行うような段階まで関係が緊張しているわけでもない。
たしかにロシアは近年、米国、日本、ヴェトナムといった国々との間でも太平洋安全保障上の協力関係を強化しているものの、中国との間でも海上演習を行うなど、バランスを図っている。
また、ロシアは今回、1998年の国境信頼醸成措置協定に基づいて演習の実施日時や詳細を中国にだけは事前通告していたと言われ、中国にとって演習は寝耳に水の事態ではなかった(ただし観戦武官の派遣は受け入れなかったようだ)。
まとめるならば、今回の演習は極めて大規模かつ迅速に行われたが、特定の外国に対する政治的・軍事的メッセージというよりは、ロシア軍の作戦能力をチェックする内向きの意味の方が大きかったように思われる。