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なぜ第三者委員会や監査の客観中立性は疑わしく、しかし我々は容認せざるを得ないのか?

上山信一慶應大学名誉教授、経営コンサルタント
出典:Estonia Tool Box

ダイハツ、宝塚歌劇団、日本大学、そして自民党。営利、非営利を問わず日本の組織の不祥事の露呈が絶えない。

事実が明るみに出るとたいていは、真相究明や再発防止策を考える第三者委員会が置かれる。そこで客観中立の立場から原因の掘り下げがなされ、調査結果と再発防止策が報告書にまとめられて公表される。そして関係者は責任を取って辞任、あるいは処分を受け事件はいったん幕引きとなり、社会的にもみそぎが済んだこととなる。

この一連のプロトコルはもはや社会のルーティンの一つとなりつつある。そしてパブリシティ会社や弁護士事務所などの”不祥事対策産業”が成り立ちつつある。加えて、深刻あるいは悪質な場合は、これと並行して警察や検察など司直が関与し、マスコミによる社会的制裁を浴びることにもなる。今回は、この不祥事対策がはらむ欺瞞(ぎまん)性と、それへの現実対処策について考えたい。

〇第三者委員会は本当に第三者なのか? 

事件を起こした企業(組織)は改革を経て再生させなければならない。しかし社会的信用を失ってしまうと、自ら原因を調査し再発を防止すると言っても社会は許さない。そこで第三者の力を借りて真相を究明するのだが、「第三者性」というのはなかなかの曲者(くせもの)である。

なぜなら、経営陣が全く見ず知らずの第三者を選ぶことはほぼありえない。見当はずれの分析を公表されたら困るし、できもしない改善策を提案されても困る。経営責任を社外に向けて高らかに言い放たれるのも悩ましい。かといって先般の宝塚歌劇団の調査のように明らかに会社を擁護するかのごとく「過失なし」「原因不明」といった報告書を出されて、社会の反発を買っても困る。かえって炎上し”二次災害”をもたらすからだ。

経営者は第三者委員会の人選、特に誰を委員長にすべきか、悩みに悩む。上策は社内には厳しく、対外的には若干の擁護をしてくれる第三者がいい。しかしなかなかそういう人はいない。そもそも急に頼まれ、時間を割いて報告書まで書いてくれる委員など、簡単には見つからない。

かくして多くの組織は他社の第三者委員会を手掛けた大手弁護士事務所に頼むという結論に至りがちである。だが弁護士はその名の通り客観中立の視点からの調査が本務ではない。どうしてもクライアントの意向を斟酌(しんしゃく)し、また法令の視点を重視してものごとを判断しがちだ。また、残念ながら経営実務や大組織の実態には必ずしも精通していない。結果として原因究明が緩く、また書く文章も意図してか意図せずしてか抽象的に過ぎることが多い。かくして第三者委員会の報告書は、みそぎ、通過儀礼としては不可欠なものだが、再発防止に向けた提案としては当該組織にも社会にもなかなか”刺さる”ものにならない。

〇完璧な第三者性や客観性は求めえない

企業経営では不祥事や違法行為を抑止するために普段から内部監査や外部監査、英語で言うコンプライアンスやガバナンスの仕組みがある。いずれも”外部の視点”からのチェックを含む、社外取締役(非常勤監査役を含む)や監査法人が企業を監視する仕組みになっている。 

しかし、この世界には「裸の王様」にも似たおかしな慣行が多い。最たる存在は監査法人だろう。監査法人は企業から報酬を受け取り、その見返りとして企業の会計や業務執行の適法性を証明する。これは原理的におかしい。なぜなら犯罪の疑いのある人が自分で検事を雇って無罪を証明するような制度だからだ。

本来は、各企業が政府に監査費用を支払い、それをプールした資金を使って政府が各社にランダムに監査法人を割り当てその年の監査をさせるべきだろう。そうすれば監査法人の顧客は企業ではなく政府になる。すると監査法人は次々と不祥事を摘発するのではないか。ところが現行制度はわが国に限らず、世界中どこでも監査法人が企業と個別契約を結び、その報酬の対価として企業の適法性を証明する。しかも多くの企業が何年も同じ監査法人を雇い続けている。お互いに作業が楽だからだ。しかし、そこからなれ合いや忖度(そんたく)が生まれかねない。もちろん公認会計士はプロの矜持(きょうじ)をよりどころに仕事をしている。また監査法人は協会を作り、相互にけん制やチェックの仕組みを働かせている。しかし上記の原理矛盾は解消できない。

今の仕組みは実務の都合に照らすと現実的であり筆者も否定はしない。だが世界中で識者が「監査のあり方は原理的におかしい」と気がつきながら実務上の都合から、この原理矛盾は放置されている。

さきほどの大手弁護士事務所による第三者調査の委員会も、同じ原理矛盾に直面している。不祥事を是正するプロセスとして第三者委員会によるみそぎは必須である。しかし 所詮は経営陣が信用する人物しか起用しえない。同様の問題は大企業の指名報酬委員会による社長の人選、あるいは独立社外取締役の人選についても起きる。取締役は文字通り、株主の視点から執行役員の行動をチェックする。だがそのチェック役を選ぶのは多くのケースで現行の経営陣、つまり執行役員である。これも被疑者が担当する刑事を選ぶようなもので、どこが”取締役”なのか、原理的には悩ましい。

〇第三者委員会が力を発揮する条件

このように第三者性・中立性を標榜する委員会や制度は、欺瞞、いや原理矛盾に満ちている。だが第三者性・中立性をあまり厳格に解釈すると世の中は立ち行かなくなる。 第三者だから、中立だからと言って会社の内情や社員の気持ちを理解できない人たちが集まって調査報告書を書いて公表すると、一部のマスコミは喜ぶかもしれないが会社の再生には痛手となりかねない。

要は第三者とはいっても専門家と企業の間には適度な距離感が必要になる。また第三者委員の誰かひとりではなくチームワークによって行き過ぎた厳しさや甘さを相互けん制してもらう。そして調査結果はなるべく公開し世間の目に触れるようにするといった工夫が必要だろう。

〇タイミングも大事

私自身の経験に照らすと、不祥事の後の調査には実は3タイプがあると思う。第1は検察や警察など司直の手による調査である(違法行為の疑いがある場合)。第2は企業による自主的な調査である。自然災害や従業員の過失などが原因で企業には法的責任のない場合であっても道義的、あるいは社会的責任が問われる場合など行う。技術的な原因の解明や正しい経営判断が行われたかを点検し、調査結果を内外に説明する。

第3は再発を防止するための調査委員会である。この委員会の調査結果や提言は全面公表しなくてもよい。だから内容は容赦なくて構わない。タイミング的には鉄は熱いうちに打たなければならないので、第1の調査が終わり第2の整理を始める際に第3の委員会が設置されるのがよい。

〇最後はインテグリティ(真摯さ)

今まで見てきたように全知全能で客観中立の第三者委員会というしつらえは、事件の解決のためには必要だが現実にはそういうものにはなりえない。そこで必要となるのは第三者委員会のインテグリティ(真摯さ)である。社会的責任を帯びた作業であり、決して事実を曲げて報告してはならない。一方で企業の再生に助けとなる報告をしなければならない。そのはざまで制度を運用しながら限りなく理想に近い現実的対応をしていく。その鍛錬と工夫を通じて経営陣と社会の両方から信頼を獲得するのは難行に近い。だが第三者とはそういうものという使命感と勇気と諦めを持って臨むのである。

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慶應大学名誉教授、経営コンサルタント

専門は戦略と改革。国交省(旧運輸省)、マッキンゼー(パートナー)を経て米ジョージタウン大学研究教授、慶應大学総合政策学部教授を歴任。平和堂、スターフライヤー等の社外取締役・監査役、北九州市及び京都市顧問を兼務。東京都・大阪府市・愛知県の3都府県顧問や新潟市都市政策研究所長を歴任。著書に『改革力』『大阪維新』『行政評価の時代』等。京大法、米プリンストン大学院修士卒。これまで世界119か国を旅した。大学院大学至善館特命教授。オンラインサロン「街の未来、日本の未来」主宰 https://lounge.dmm.com/detail/1745/。1957年大阪市生まれ。

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