“夢 石田社長と有里” 新作はCMのあのやりとりが聴ける幸せソング。社長のラストシングル!?
夢グループ・石田重廣社長と保科有里のユニット“夢 石田社長と有里”が、8月30日に発売した2ndシングル「やすくして〇」(〇=ハートマーク 以下同)が話題だ。通販のCMでの二人のやりとりをモチーフにした歌詞で、老若男女、みんなで歌える楽しい楽曲になっている。TikTokでもバズり、子供達にも人気だという「シーデー(CD)」「デーブイデー(DVD)」といった石田社長のCMでのなまり混じりのセリフも歌詞に含まれ、思わず笑顔になる曲だ。この曲について二人にインタビュー。さらに橋幸夫引退に伴い、その名前と作品を引き継ぐ二代目として結成され、9月6日に橋幸夫の代表曲「恋のメキシカン・ロック」でデビューした二代目橋幸夫yH2(ワイエイチツー)の小牧勇太、進公平、徳岡純平にもインタビュー。5人での夢“グループ”インタビューになった。
「“いい歌”じゃなくていい、聴いた方やコンサートのお客さんが必ず笑ってくれる曲をお願いしました」(石田)
――「やすくして〇」は、昨年発売した1stシングル「夢と…未来へ」とはガラッと変わって、社長と保科さんの通販のCMでのやりとりがそのまま歌詞の一部になっている思わずニヤリとしてしまう作品です。前作は社長が歌詞を書かれていましたが、今回は保科さんの作詞・曲(YURI.名義)です。
石田 僕がCDを出すのは今回が最後になると思います。保科有里さんと共に歩んできて7年になります。ネット上も含めて、世の中の人たちから少し関心を持たれるようになって、その関心の中心は何かというと「愛人」というワードです(笑)。もちろん事実ではないですが、保科さんの自叙伝のタイトルは『愛人!?困っちゃう…』です(笑)。もうひとつはCMでおなじみの「やすくしてね」という言葉です。あとは「シーデー」や「デーブイデー」。この四つの言葉を使った歌を作って欲しいと保科さんにお願いをしました。そうすれば聴いた方やコンサートのお客さんが必ず笑ってくれる。“いい歌”じゃなくていいんだとリクエストしました。頭から笑ってもらえる歌なんて他にないので「笑える歌」を、と。
「これで最後だから、とモチベーションを高めてレコーディングに臨んだら、あっという間に終わってしまって歌った記憶がない(笑)」(石田)
「私は今回が最後だなんて聞いてません」(保科)
――聴いた人みんなが笑顔になる曲だと思います。
保科 今までせつない曲は何曲か作ったことがあったのですが、こういうコミックソングというか、笑える歌を作ったのは初めてです。でも元々お笑いが大好きなので、自分が楽しめる曲が作れたと思います。でも最初の<♪パパパヤ、パパパラパ><シーデー><デーブイデー>という部分だけはすぐ書きましたが、そこからが進まなかったんです。
石田 バラードになる部分を入れて欲しい、ということもお願いしました。それで「よし!今回で最後だから」ってモチベーションを高めてレコーディングに臨んで、歌詞を渡されたら僕が歌うバラードの部分がほとんどない(笑)。<できませーん>とか、<わかりました><困っちゃうな>というセリフばかりで。これ歌なのかな?って思いながらレコーディングした記憶はありますが、歌った記憶がないんですよ(笑)。
――面白すぎます(笑)。
石田 最後の作品だからしっかりとレコーディングして、いい思い出を作ろうと思っていたら…。30分もかからないうちに終わってしまって。
保科 社長が練習しなくても歌いやすいようにと思って、社長のパートは簡単にしましたし、私は今回が「最後」だなんて聞いていないんですもん。
石田 自分の心の中でそう決めていたんです。野球の試合に出て一球もストライクが取れないまま交代させられたピッチャーみたいでした(笑)。
保科 いえ、どストライクでした。全然大丈夫です。
――CMでのやりとりを、そのまま歌にしてしまうというアイディアも面白いと思いますし、一度聴くと忘れられない曲で、コンサートでも盛り上がりそうです。
保科 CMを逆手にとった、これでもか攻撃ですみません(笑)。
石田 先日イベントで披露しましたが、たくさんのお客さんがいる前で歌ったらみなさん爆笑で、ありがたかったです。
「僕はせつない曲を歌う保科さんに、早く帰してあげないといけない」(石田)
――クスッと笑えるのですが、でもどこかぐっとくる部分もあります。
保科 よくぞ言ってくださいました。やっぱりせつない曲が好きなので、胸キュンメロディを入れたくなっちゃうんです。<誰かのために生きていこう 誰かのために>という歌詞を、社長があの声で歌うとすごくキュンときます。あそこ、すごく大切です。
石田 僕はせつない曲を歌う保科さんに、早く帰してあげなければいけないんです。ここで長居をしていると、せつない歌がせつなくなくなってしまうから。
保科 30年間やってきたのでもう大丈夫です。CMに出ている時点でせつなくないですから(笑)。
「誰かのために生きると思うことが、自分のために生きることになるんだよというメッセージを入れたくて」(保科)
――思いやりの大切さを歌っている歌詞は、年配の方から若い人まで共感できるのではないでしょうか。
保科 悩みを抱えている若い世代の方も多いと思います。「自分は何のために生きてるんだろう」という悩みが専門の相談窓口にもよく寄せられるそうです。そういう話を聞くと、誰かを喜ばせよう、助けてあげようと思えるようになると、心の持ち方が変わってくると思います。私もそうでした。親のために頑張ってみようとか、誰かのために生きると思うことが、自分のために生きることになるんだよというメッセージを入れたくて。
――『夢と…未来へ』の次はどういう路線で来るんだろうと思っていたので、こうきたかと驚かされましたが、メッセージは一貫していると思いました。
石田 これが今の自分達の集大成的なものだと考えています。もしかしたら5年後は僕が生きているのかもわからないし、これまでたくさんの友を失っているのでそんなことを考えていたら、こういう曲を作って欲しいと保科さんにお願いしました。
保科 これ以上の歌は、ないかもしれません。名曲ですね(笑)。いえ冗談です。社長は「名曲」という言葉に敏感なんです。「そんな簡単に名曲という言葉を使うな」って言われます。「売れて初めて、みんなが感動して、名曲だ」ってずっと言っています。
二代目橋幸夫yH2とは?
――今日は二代目橋幸夫yH2のメンバーも同席してくださっていますが、石田社長はこれからどうプロデュースしていくのでしょうか?
石田 まずお詫びしたいのが、当初は4人でデビューすることになっていましたが、一人が入社してすぐ退社してしまいました。学業優先ということで3人でのデビューになりました。このプロデュースは難しいです。橋幸夫さんから意志を託され、話題になったのでこれまでは多少成功したと思いますが、ここから先が難しいです。
――橋幸夫さんのラストステージのステージ上でバトンを渡されましたが、どんな気持ちでしたか?
小牧 僕は夢グループの社員でもあり、一年前に歌手デビューさせていただきましたが、二代目橋幸夫のオーディションがあると聞き、受けさせていただきました。本当は3人組だったのに、特別に4人にしていただいて、僕、補欠だったんです。でも一人卒業して正式メンバーになりました。
石田 「橋幸夫と歌の仲間たち」というコンサートに小牧も出演していました。中村泰士先生(「喝采」「北酒場」等)の遺作「母は海」という曲でデビューしました。
――社長は小牧さんの歌は以前から評価していたんですか?
石田 してません(笑)。歌がうまいのとプロとして成功するか全然別。評価ということだとプロとして成功できることが僕の評価だし、成功するのは非常に難しいこと。なぜかというと、小牧君が「とにかく歌手になりたい」という大きな夢を持ってうちの会社に来て、その大きな夢だけは実現させてあげることが僕の夢でした。そこまでは決して難しい夢ではなかった。ここからが厳しい社会だと思う。
「二代目橋幸夫yH2と新しい道を作らなければいけない」(石田)
――二代目橋幸夫yH2のストロングポイントを教えてください。
石田 いい点はほとんどないです。いいと思った時点でそこでおしまいじゃないですか。
保科 厳しいんですよ、社長。
石田 厳しい社会に入った以上は、いい点ではなく、これから自分たちがどういういいところがあるかを見いださないといけない。3人は二代目橋幸夫yH2というキャッチコピーと名前をもらった以上は、新しい道を作るために僕と3人で新しいやり方を考えなければいけません。歌うことを勉強するのではなく、新しい道を考える。歌う勉強はいつでもできます。歌を勉強したからといってプロにはなれません。そのために夢グループの社員でもあって、歌手じゃないよと。
――プロジェクトのような存在。
石田 そうです。歌手はCDを買ってもらう以前に、まず応援して下さる方を募るというのが大切です。歌から入ってもなかなか厳しい時代です。ただ歌っていても、ファンができないことには生活もままならない。まずは応援してくれる人たちを獲得するために、3人は夢グループの催事に参加し、働いています。働いていることについて頑張れよと応援してくださり「あー、そうか、歌もあるんだな。うまくいけばいいな」というところから、支持の輪が広がっていくといいなと思っています。ネット戦略も大切だと思います。
保科 純烈が健康ランドを回ってショーをやっていたので、yH2は催事を回って、最初はそんなに歌えないかもしれないけど、おばあちゃんの荷物を持って車まで運んであげたり、そういう“サービス精神”を徹底的に学べます。
「企業も二代目までは大体うまくいく。三代目でつぶれます。ここで成功してオリジナル曲を歌えばいい」(石田)
――3人のデビュー曲は橋幸夫さんの代表曲のひとつ『恋のメキシカン・ロック』ですが、今後も橋さんのカバー曲をリリースしていくのでしょうか?
石田 まず橋幸夫さんのカバーで世に出ていってそれが浸透して、成功できなければ何やってもダメです。企業も二代目までは大体うまくいく。三代目になるとつぶれます。親の顔を見なくなるからです。そう考えると、ここで成功を収めて独立=オリジナル曲を歌えばいいと思います。成功すれば勢いが出てくる。そうしたら三代目と変わらないじゃないですか。
保科 例えがすご過ぎて…。
――進さんは「恋の~」のレコーディングの時、大先輩橋さんから何かアドバイスはありましたか?
進 僕はどちらかというとバラードが得意で、「恋の~」はテンポが大事なのでテンポに気を付けて歌ったつもりがズレていたみたいで、橋さんからアドバイスをいただきました。
徳岡 橋さんはひとつ一つの節を大事にされる方で、ちょっと自分の癖で歌ってしまうと「音符と違うよ」と直してくださいました。
小牧 崩して歌うな、きちんと歌えと教わりました。
保科 音符どおりに普通に歌ったら面白くない歌になるじゃないですか。ところが橋さんは母音の使い方に味があって、昔から行間の“間”が独特なんです。
――徳岡さんは大学院生ということで、学業も忙しいですよね。
徳岡 植物系の研究室で特にタンポポを専門に研究しています。なので催事があっても今はなかなか3人が揃うことが難しいんです。
「『恋は~』は見せる歌。まず3人が生き生きと楽しんで歌って、お客さんを思い切り楽しませて」(保科)
――保科さんは先輩として3人デビューの曲を聴いてどう感じましたか?
保科 あの曲は聴く歌ではなく、見せる歌だと思っているので、3人が生き生きと楽しんで歌って、お客さんを巻き込んで楽しい空気を作ることができたらいいと思います。あとは年齢差をうまく使ってグループのキャラを作っていくといいかもしれませんね。
徳岡 そうですね。
小牧 僕だけ40代ですからね。
保科 二人で「もうちょっと動けよ」とか言っちゃってもいいかも(笑)。
徳岡 僕とは19歳差。
進 僕とも15歳差で、小牧さんは夢グループの先輩社員でもあります。
「なんでもやらないと生きていけない(笑)。でもヒット曲がないおかげで色々なことを楽しんでやっています」(保科)
――保科さんが振付けされたそうですすが、何役も大変ですね。
保科 社長の子守から(笑)、なんでもやらないと生きていけない(笑)。だからヒット曲があるとそれをずっと歌うしかないけど、そういう歌手人生も羨ましいと思いますが、でもヒット曲がないおかげで色々なことができるので楽しんでやっています(笑)。