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ブラジル人スカウトが語る「鹿島アントラーズの強さ」

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
住友金属、そして鹿島アントラーズに「プロとは何か」を伝えたジーコ(写真:アフロ)

 ブラジル人であるジョノ・ヴァイスは、現在、1カ月に8試合のペースでJリーグのスタディアムに足を運ぶ。Jリーグ入りを希望する母国の選手に、情報を送る為だ。

 ジョノは祖国の大学を卒業し、コンサルティング会社でアジアを担当した後、東京大学大学院を卒業した秀才である。

 彼が日本のサッカーに最も影響を与えた人物として挙げたのは、なるほど、ジーコだった。ジョノの言葉をお届けしたい。

撮影:著者
撮影:著者

 「11月3日の鹿島アントラーズvs.横浜Fマリノス戦は、アントラーズの見事な逆転勝ちでしたね。0-2からひっくり返す、いい試合でした。

 今シーズンのアントラーズは開幕から4連敗し、一体どうしたのだろう? と関係者やサポーターをヤキモキさせましたね。

 新監督になって、戦術が浸透しなかったからでしょうか。

 19節、20節も連敗しましたが、内田篤人選手が引退したあたりから、チームに火が点いた感があります。やはり、勝ちを重ねて来たチームですから、選手一人一人が〈どうすべきか〉を理解していますね。

 そういった勝者のメンタルをアントラーズに植え付けたのは、やはりジーコです。

 セレソンの10を着たスーパースターが、引退を撤回し、日本で復帰すると言った際、ブラジル人の誰もが耳を疑いました。しかも、当時の日本で強豪とされたチームではなく、2部の住友金属への入団でしたからね。そんななかで彼は、ゼロからサッカーを伝えていきました。

 ブラジル人からすれば『何故、そんなことをするの?』という心境でしたよ。でも、ジーコは本気だったんですね。選手として日本人の輪に入り、自ら笛を吹きながらサッカーとはどうするべきか、プロとは何なのか、をじっくり説いていったのです。

 今、鹿島アントラーズの選手たちは『2位じゃ意味が無い』『我々は常に優勝を義務付けられている』と口にしますね。下のリーグならまだプレーできたであろう内田篤人さんが引退を決めたのも、ジーコが備え付けた<勝者のメンタル>を理解しているからでしょう。

 そして、いくつタイトルを獲得してもブレないですよね。NBAで無敵だったシカゴ・ブルズやMLBのニューヨーク・ヤンキースなど、選手補強に失敗したり、驕ってしまって名門チームが低迷期に入ることは多々あります。でも、アントラーズに関してはそれがまったく無い点が驚きですよ。

 2006年のドイツワールドカップで、日本代表は1勝もできませんでした。ジーコが日本国民から戦犯だと呼ばれたことも知っています。確かにクラブを土台から築いていくことと、代表チームを強化するのはまったく違う作業でしょう。

 アジアでは勝てても、ワールドカップという舞台で好成績を残すのは並大抵のことではありません。ジーコ自身も、1978年アルゼンチン大会、1982年スペイン大会、1986年メキシコ大会とカナリアの主軸として3度出場しながら、勝利は掴めなかった。

 

 私が日本で仕事をするようになってからも、日本代表監督時代のジーコの采配についてあれこれ言う声が聞こえてきます。でも、ジーコは日本人選手たちに、『どんな時も自分で判断してプレーする精神を養ってほしかった。監督に言われてどうこうしているうちは、勝てないのだということを理解させる必要があった。だからこそ、日本代表選手たちに主体性を求めた』と語っています。

 指示を待つのが当たり前と感じている日本人選手を率いるのは、物凄く難しい仕事だったでしょうね。

 先日もお話ししたように、日本人FWは簡単にバックパスを選択します。シュートを打たないとサッカーは勝てないんです。少年の頃から、そういう判断力を付けていけなくては。https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20201023-00204096/

 ジーコの言葉を年輪のように刻んだ鹿島アントラーズは、やはり日本の強豪です。今日も、ジーコの意見が現場に反映されているんですね。今シーズンも残り少なくなって来ましたが、開幕後の連敗を立て直したところに鹿島アントラーズの歴史を私は感じます。

 内田、大迫勇也、柴崎岳、植田直通、安部裕葵と、いい選手がどんどん海外へ移籍してしまうので、チーム作りも大変でしょう。でも、ジーコの蒔いた種が大木になって来たのがアントラーズだと思います。

 マリノス戦の勝利で5位になりましたね。ACLへの切符を手にできるかな? ジーコ効果をまだまだ見たいです。」

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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