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原発事故で全町民避難で無人と化した町。そこにたったひとり残ったナオトさんと出会って

水上賢治映画ライター
「劇場版 ナオト、いまもひとりっきり」の中村真夕監督 筆者撮影

 福島第一原発から約12キロにあたりに位置する福島県富岡町。2011年3月、原発事故が起きると、同町は警戒区域となり、町民全員が避難で家を離れることを余儀なくされ、家畜はすべて殺処分が命じられた。

 その中、無人地帯と化した町にたったひとり残ることを決めた人物がいた。

 松村直登さん。

 いくつかの理由が重なって富岡町の自宅に戻った彼は人が消えた町にとどまり、置き去りにされた動物たちの世話をし続けた。

 その日々を記録した2014年制作のドキュメンタリー映画「ナオトひとりっきり」。2015年に劇場公開された同作は、大きな反響を呼ぶ。

 それから約8年を経たいま、続編でありひとつの区切りとなる作品でもある「劇場版 ナオト、いまもひとりっきり」が届けられた。

 前作から現在に至るまでの間に、富岡町は帰還できる地となり、東日本大震災から10年が経ち、コロナ禍の真っただ中で「復興五輪」と謳われた東京オリンピックは開催を終えた。その中で、いったい本作は物語るのか?

 ナオトさんと向き合い続けた中村真夕監督に訊く。(全七回)

「劇場版 ナオト、いまもひとりっきり」の中村真夕監督 筆者撮影
「劇場版 ナオト、いまもひとりっきり」の中村真夕監督 筆者撮影

ナオトさんに興味をもったきっかけ

 「劇場版 ナオト、いまもひとりっきり」の話に入る前に、まず「ナオトひとりっきり」のことを振り返りたい。

 そもそものところ、ナオトさんを取材するきっかけはどういう経緯があったのだろう?

「これはほかでもお話していることではありますが、東日本大震災後、わたしは某テレビ局で震災関連のニュース番組を制作していて、石巻に行ったり女川に行ったりと、とにかくいろいろと各所をまわって取材をしていました。

 その中で、あるとき、福島のことをきちんと取材して番組にしたいと考え始めて、調べ始めたんです。

 すると、作品の中でも触れていますけど、海外メディアがいくつもナオトさんのことを伝えていた。避難地域にただひとりとどまった人物として。

 それらの記事をみて、『こんな人がいるんだ』とびっくりしたんです。というのも、当時、彼のことを伝えている国内のメディアはほとんどなかった。

 そこで、『この人を取材したい』と思いました。2013年の夏前ぐらいのことでした」

 最初はそのテレビ番組での取材を模索。しかし、当時はまだ富岡町は警戒区域で、番組としての取材をする許可を得るのはなかなか難しかった。

 そこで、ひとりで取材に向かうことにしたという。

「わたしとしては取材を諦めたくない。

 もともと、その局に属しているわけではなく、フリーランスとして携わって番組を作っていたので、だったら、もう番組にこだわらずに自分ひとりでいっちゃおうと(苦笑)。

 それで、ナオトさんを訪ねることにしました。2013年の夏のことです」

おそらくわたしのことを懐疑的な目でみていたと思います

 ここから撮影はスタートするが、はじめのころのナオトさんとのやりとりをこう振り返る。

「ご本人に確認したことはないですけど、おそらくわたしのことを懐疑的な目でみていたと思います。

 というのも、当時、ナオトさんには世界中から取材が殺到していました。

 海外メディアの反響を受けて、日本のメディアもけっこう取材に来ていたんです。

 わたしも現場で実際に見ていましたけど、けっこう多くの日本の記者が熱意をもってナオトさんを取材していました。でも、最終的にあまり報じられることはなかった。

 当時、そういうことが続いていて、ナオトさんは『取材してもどうせ出せないんでしょ』みたいな気持ちになっていた。

 そこにフリーランスのディレクターのわたしがきて、いきなり『映画にしますから』と言っても何の説得力もない。

 だから、たぶん『あなたもほかと一緒でしょ』と最初は疑っていたと思います。『映画にとかいってるけど、実現しないだろう』と。

 ただ、そう思いながらも、ナオトさんはわたしのことを気にとめてくれていたといいますか。

 当時、ナオトさんのご自宅にいくには車がないと難しかった。いまは違うんですけど、車でいくしか交通手段がなかったんです。

 で、そのとき、わたしは完全にペーパードライバーで。へたくそな運転で若葉マークをつけて、ナオトさんのもとを訪れるようになった。

 あのあたり、日が暮れると街灯もなくて、真っ暗になる。だから、ちょっと遅くなって帰るときとか、ナオトさんは心配してくれていたと思います。『無事に帰れるか』と(笑)。

 そんな感じで、はじめは『しょうがないなぁ』みたいな感じで、わたしに付き合ってくれていたような気がします」

「劇場版 ナオト、いまもひとりっきり」より
「劇場版 ナオト、いまもひとりっきり」より

ニュース報道に携わるディレクターとして感じていた限界

自分が十分納得できるまで時間をかけて取材したい思い

 こうしてはじまった取材撮影は頓挫することなく、有言実行で、映画「ナオトひとりっきり」が完成。2015年に劇場公開されて大きな反響を呼ぶことになる。

「2013年の夏からスタートして、2014年の春まで記録をまとめたのが『ナオトひとりっきり』でした。

 作品は、日本だけではなく、ニューヨークやパリなど、いろいろな国で上映することができました」

 ただ、この反響とは関係なく、しばらくナオトさんを取材し続けようと当初から考えていたという。

「当時、ニュース報道の番組に携わっていたんですけど、ちょっと限界だったというか。

 自分はニュース報道に向かないのではないかと思い始めていた時期でした。

 というのもニュースというのは、日々起きたことを伝えることが基本にある。

 もちろん長期にわたって取材を続けて伝えるものもあるのですが、基本は日々飛び込んでくる新たなニュースを報じていく。

 そのニュース報道に携わるディレクターは、日々新たに生まれる事件や出来事をさっとキャッチしてニュースにしてパッと出す、みたいな感覚がある。

 そして、そのとき旬のネタのようなものがあったら、それを興味があろうとなかろうと、手早く簡潔にまとめて、すぐ伝える、みたいな能力がディレクターには求められるところがある。

 このいずれもがわたしには向かないんです(苦笑)。

 まず、自分に関心のあること以外は興味がもてない。たとえば、苦手な経済のネタを1本のニュースにまとめるとか苦痛でしかない(苦笑)。

 それから、日々のニュースは当然ですけど速報性が求められる。

 でも、わたしはどちらかというとそうではなくて、ひとつのことをじっくりと掘り下げて長い時間をかけて取材していきたい気持ちがありました。

 日々のニュース報道に比べれば、震災関連の番組もそこまで速さは求められないんですけど、それでもわたしとしては時間や取材が足りないように感じることが多かった。

 震災に関するニュースのほとんどは、悲劇や惨事を扱うことになる。なので、きちんと責任をもって伝えなければならないと思うし、自分としても責任をもって伝えたい。でも、自分が十分納得できるまで時間をかけて取材できたことがなかなかなかった。

 なので、ひとりでナオトさんの取材を始めたときに、自分がやると決めたなら、彼のことちゃんと追い続けようと思いました。自分が十分納得するまでじっくりと取材をし続けようと思いました」

(※第二回に続く)

「劇場版 ナオト、いまもひとりっきり」メインビジュアル
「劇場版 ナオト、いまもひとりっきり」メインビジュアル

「劇場版 ナオト、いまもひとりっきり」

監督:中村真夕

出演:松村直登、松村代祐、半谷信一、半谷トシ子、富岡町の動物たち

撮影:中村真夕、辻智彦

編集:清野英樹

公式HP:http://aloneinfukushima.jp/

2月25日(土)よりシアターイメージフォーラムにて公開

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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