なぜレアルは”調停役”アンチェロッティを呼んだのか...世代交代の波と「ソフトタッチ」の妙。
驚きの決定だった。
ジネディーヌ・ジダン監督の辞任で後任を探していたレアル・マドリーだが、そのポストにカルロ・アンチェロッティ監督を据える決断を下している。アンチェロッティ監督としては、2014-15シーズン以来、およそ6年ぶりの「復帰」となった。
就任決定後に行われたスペイン『マルカ』のアンケートでは、瞬く間に34万1300票(現地時間6月2日2時時点)が集まった。「賛成する。第一次政権でうまくやっていた」の回答に62%が票を投じている。マドリディスタはアンチェロッティ監督の就任を好意的に捉えている。
なにより、アンチェロッティ監督の功績は、マドリーにラ・デシマ(クラブ史上10回目のチャンピオンズリーグ優勝)をもたらしたことだ。2013-14シーズン、アトレティコ・マドリーとのファイナルを制して、マドリーはビッグイヤーを掲げた。
2014年には、51勝を挙げて世界記録を樹立した。2014年9月から2015年1月にかけては、公式戦22連勝を飾り、その時のレコードを更新した。「カルレット」の愛称で親しまれる男は、そうしてロッカールームとマドリディスタの信頼と愛を勝ち取った。
■第一次アンチェロッティ政権
アンチェロッティ監督にとって、2度目のマドリーでの挑戦になる。
最初にマドリードに到着したのは、2013年夏だった。ジョゼ・モウリーニョ監督(現ローマ)の後任として、選ばれた。「素晴らしい人間性を備え、フットボールをよく知る、インテリジェントな監督」というのがフロレンティーノ・ペレス会長の当時のアンチェロッティ評であった。
その頃、マドリーはカオスの中にいた。モウリーニョ監督が、イケル・カシージャス、セルヒオ・ラモス、ペペ、クリスティアーノ・ロナウドといった選手たちと度々衝突し、ロッカールームの雰囲気は最悪だった。そこで招聘されたのがアンチェロッティ監督で、彼には「調停役」としてのタスクが課されていた。
結論から言えば、アンチェロッティ監督は見事に役目を全うした。
前述のように、ラ・デシマの達成は大きかった。それだけではない。ガレス・ベイル、カリム・ベンゼマ、クリスティアーノ・ロナウドの「BBC」を看板3トップに、攻撃的なフットボールを展開した。アンヘル・ディ・マリアをセントラルハーフにコンバートするなど、選手の新たな可能性を見いだして才能を開花させた。
■ソフトタッチの監督
スペインメディアで、アンチェロッティ監督は”ソフトタッチ”だと称されていた。以前、これについて問われたイタリア人指揮官は「そのソフトタッチでチャンピオンズリーグを3回制したんだ」と答えている。
モウリーニョ監督が”剛腕”だったとすれば、アンチェロッティ監督はソフトタッチであった。「S」から「N」へと、真逆に振り切られるように、選手たちとマドリディスタはカルレットの虜になっていった。アンチェロッティ監督の凄さは、無論、そこに結果を伴わせるところにある。
マドリーの主力は高齢化している。
この夏に契約満了を迎えるセルヒオ・ラモス(35歳)に加え、ルカ・モドリッチ(35歳)、ベンゼマ(33歳)、マルセロ(33歳)、トニ・クロース(31歳)といった選手たちは30歳を超えている。そして、現時点で彼らの後釜は見つかっていない。
一方、マルティン・ウーデゴール(アーセナルにレンタル移籍)、ルカ・ヨヴィッチ(フランクフルトにレンタル移籍)とレンタル移籍していた選手たちが、戻ってくる。ヴィニシウス・ジュニオールやロドリゴ・ゴエスを含め、近年クラブが期待を込めて獲得してきたヤングプレーヤーをどのように扱うかも、注目すべき点だ。
「エヴァートンの選手たちとファンに、そしてこの歴史的な素晴らしいクラブを率いるチャンスを与えてくれたことに感謝したい。私は新たな挑戦に向かいたい。ずっと私の心にあったチーム、レアル・マドリーに行く」
「一緒に過ごした素晴らしい時間をずっと忘れない。クラブとファンに最大の幸運を。予期していなかった機会が訪れたけれど、これが私と家族にとって正しい決断だと信じている」
マドリーの指揮官に就任した後の、アンチェロッティ監督の第一声だ。ソフトタッチな調整役の、レアル・マドリーにおける第二章が始まる。