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ベーブ・ルースから大谷まで99年の空白。二刀流ができていたかもしれない選手は、誰か。

谷口輝世子スポーツライター
(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 エンゼルスの大谷が打者として力を発揮している。7日のタイガース戦では、初回に12号3ランを放った。エンゼルス球団によると、同一シーズンでの「4勝、12本塁打」は、1888年のジミー・ライアン、1919年のベーブ・ルース以来、3人目だという。

 ベーブ・ルースが成し遂げて以来、99年ぶりだ。

 もし、二刀流のチャンスを与えられていたら、99年の間に、この記録を達成できた選手は他にもいたのだろうか。

 「もしかしたら」の候補者の一人に、デーブ・ウィンフィールドを挙げたい。

 ウィンフィールドは走攻守揃った名選手で、70年代から90年代半ばまでパドレスやヤンキースで活躍。通算成績は、打率2割8分3厘、465本塁打、1833打点。通算安打は3110本。外野手としてもゴールドグラブを7回受賞。2001年には殿堂入りを果たしている。メジャーリーグだけでなく、NBA、NFLと3つのプロスポーツからドラフトで指名された選手としても知られている。

 改めて書くまでもないが、ウィンフィールドはメジャーでは打者であって、投手ではない。メジャーでは1度も登板したことはない。

 ミネソタ出身のウィンフィールドは、セント・ポール・セントラル高校からミネソタ大学に進学し、野球とバスケットボールを両立していた。

 ウィンフィールドは高校時代から投打に優れていたが、同大学野球部のディック・シーバート監督は主に投手として起用した。ウィンフィールド自身は「高校3年生の時の内野守備が、華やかさにかけるものだったからだろう」と回顧している。

 ウィンフィールドは大学2年生のときには、8勝3敗で、防御率1.48で、ビッグテンリーグの防御率のタイトルを獲得している。3年生のときは故障で振るわなかったが、4年生でも投手として大活躍。シーズン最初の試合では負け投手になったが、黒星はこれだけでその後13連勝。防御率は2.74。時々は外野も守って打撃成績は打率3割8分5厘、33打点。

 大学全米一を決めるカレッジワールドシリーズでは一回戦のオクラホマ大戦で14奪三振、無失点で完封勝利。このカレッジワールドシリーズでは17回1/3を投げ、被安打10、自責3、29奪三振。打者としては15打数7安打、2打点。カレッジワールドシリーズの最優秀選手に選ばれている。

 前述したようにミネソタ大学の監督はウィンフィールドを主に投手として起用していた。そうであったにも関わらず、ウィンフィールドが外野守備や打撃の技量を磨くことができたのは「夏休み」があったからだ。

 米国の高校野球や大学野球は、夏休み期間中には学校対抗の公式戦は行わない。その代わり、選手たちは、全米各地で民間が主催するサマーリーグでプレーする。

 大学生だったウィンフィールドは夏の間はアラスカへ行き、ホームスティをしながら、アラスカ・サマーリーグでプレーした。このリーグでウィンフィールドの監督だったジム・ディーツは、彼を投手ではなく、野手もできる二刀流だと見なしていた。

 ウィンフィールドは自著で「大学にとって、僕はピッチャーだったけど、ジム・ディーツにとって、僕はベースボール・プレイヤーだった」と述べている。

 夏のアラスカでウィンフィールドは、ディーツ監督から外野守備を叩きこまれた。外野手と投手を兼任しながら、184打数58安打でチームトップの打率3割1分5厘を記録。58安打の内訳は単打(30)、二塁打(7)、三塁打(6)、本塁打(15)。56打点を挙げ、6盗塁記録。このリーグのMVPに選出された。

 ミネソタ大学とサマーリーグでの2人の監督がいたことで、ウィンフィールドは、投手としての力と野手としての力を発揮した。

 1973年にパドレスからドラフト指名されてプロ入り。パドレスはチーム事情もあって、投手よりも打者としてのウィンフィールドに期待した。大卒でもマイナーで1、2シーズンは下積みするのが一般的だが、彼は打者としても即戦力だった。ドラフトが6月5日で、19日にはすでにメジャーデビューを果たしている。マイナーでは1試合もプレーしていない。

 ウィンフィールドがパドレスから指名された1970年代初めは、メジャーリーグで専門化、分業化が進んでた時代と重なる。アメリカンリーグで指名打者制が導入されたのは、1973年のこと。救援投手の働きを記録として残せるように「セーブ」という記録ができたのは1959年だった。二刀流という概念が、当時の専業化、分業化の流れに反していたことは確かだろう。

走攻守のほか、投球にも言及しているウィンフィールドの野球入門書。
走攻守のほか、投球にも言及しているウィンフィールドの野球入門書。

 「もし」と仮定の話をしても仕方がないのは重々承知の上だけれど、70年代のメジャーに二刀流の概念があったのなら…。メジャーでの野手としての活躍、ミネソタ大学時代の投手としての成績から推測して、ウィンフィールドの名前は、野球史のベーブ・ルースと大谷の間に刻まれていたのではないか、と思う。

 ※大学時代の成績、サマー・リーグの成績は以下の書籍から引用した。

WINFIELD A PLAYER'S LIFE By Dave Winfield with Tom Parker

スポーツライター

デイリースポーツ紙で日本のプロ野球を担当。98年から米国に拠点を移しメジャーリーグを担当。2001年からフリーランスのスポーツライターに。現地に住んでいるからこそ見えてくる米国のプロスポーツ、学生スポーツ、子どものスポーツ事情をお伝えします。著書『なぜ、子どものスポーツを見ていると力が入るのかーー米国発スポーツペアレンティングのすすめ 』(生活書院)『帝国化するメジャーリーグ』(明石書店)分担執筆『21世紀スポーツ大事典』(大修館書店)分担執筆『運動部活動の理論と実践』(大修館書店) 連絡先kiyokotaniguchiアットマークhotmail.com

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